Take it EZ! セカンドダンジョン

今日は外泊。まだ一人でアパートに戻るのはじーさんに許されないから、実家。
ヌマ病院に入院してから、2週間経った。学校からおくってもらった代替レポートや提出課題を、5科目完成させて提出した、くらいかなぁ、やったことと言えば。まぁヒドイ出来だと思うけど、今の状況でできることはやっている、と前向きにとらえるしかない。

病院では、入院仲間と話す機会がふえはじめた。20歳とか、22歳の女の子や、30代のにーちゃん、60、70代のご婦人、おばぁちゃん。同じ病棟の女性の患者さん20人ちょいは、全員名前覚えたし、たぶん全員と会話した。今の病棟では、私が一番若いけれど、他の病棟には少し年下くらいの同年代の女の子がいるから、楽しい。けどその分、人の話を聴いたりだとか、なぜか私もいっしょに悩んだりだとか、そういうこともあるわけだ、なんだけど、それが今の私にとっては救いになっている。正直言って、自分のことを考えたくない。単位のために、機械的に課題をこなして、あとは、自分以外のことをしゃべってる。まぁ、ある意味逃げている。

今回病院で出会った人は、この数カ月間の私の周りにいた人たちとは全く違った人生の人が多い。
一言でいえば、危ない。よく今まで生きてこられましたね、というような人が、数名。そんな話を内緒で私にしてくれるところも、またおもしろいのだけど。
私の日常であったはずのおちついた大学生活の中にいる子たちには、逆立ちしてもわかんねぇんだろうなとおもうような、ドン引き話や苦労が、ある。学歴うんぬんとかレポートや課題や就職や、サークルやバイト、そんなもんとは縁遠い、闇でしか生きられないやつも確かに存在していることを、再認識させられた。
でも逆に、そいつらにとっては私も含めた平凡で一般的で、でもその中で幸福を見つけるっていう、おちついた話や苦労が、ひっくりかえってもわかんないんだろうな。お互い様だ。

その、中間点にいるように見える女の子たちが、いる。自分の言葉を見つけられずに、病んでいる。きっと、現実的に、居場所がないんだろうと思う。定点がないんだ。そして、自分に定点がなく、私が知っている20歳、22歳とは全く違う苦労を背負っていることに気がつかずに、いたりする。外部から見ると、そんな位置こそ、つらいと思う。

私も、たぶん3年半くらい前からそうなった。定点が、なくなった。私は普通に生きてる平凡なヒト、だと思っていたのが、いつのまにかレールから脱線した。初めからレールに乗らないアウトローとは違う。
Yは、私を完全に脱線させてくれる存在だと思ってた。でもあいつは私も同じことをしたいと言うと、おまえはだめだ、という。今、病棟でいっしょの、Yよりも(やってきたことが)ヒドイ笑にーちゃんも、年下の彼女に同じことを言うらしい。その彼女は、たぶん私と同じく脱線組なんだ。今のヌマは、そんな私でいても大丈夫な場所だ。キレイキレイでいい子じゃなくてOK。かっこいい生き方じゃなくてOK。

でもそれも、いつまでも続けてちゃだめだ。自分の定点を、新たに定めるか、戻るか、みんなするんだ。
闇に戻るやつは戻ればいい。または一般的な日のあたる笑生き方を新たに選ぶのもありだと思う。
それで、私は、どこに行こうか。ただ、普通に普通に、みんなと同じく大学行ってバイトやって、って、それは自分を苦しめていたらしいのは、確かだ。大学で学ぶことはやっぱ楽しいし、ゆずれない。だけど、自分の核を、その場のみんなの平均に近づけようとして、そうすることで居場所作って安心しているのは、違う。

本当、思う。私は、誰なんだよ、つって←大げさ
2014年7月6日、たぶん私は精神的に一回死んだ。じーさんの言うとおりだ。

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コメント
良いエントリでした
今も苦しいだろうけど、思考の方向性がすごくいいと思います。誰の言葉か忘れたけど、大切なのは今いる地点じゃなくて、そこから向かってる方向だからね。

ときに、僕は苦労知らずのポンコツ人間ですが、そういう自分も「苦労できなかった」ゆえの(まあ、たいしたことないw)苦労にひどく悩みます。ひと言で言うと、その結果としてのメンタルの弱さ・自信のなさです。

いわゆる苦労した人に出会うと、圧倒されて自分に何の価値もないように感じます。

昔はそれを克服しようと、何度もできるだけ厳しい状況に身を投じました。でもことごとく失敗しました。もちろん病気のせいもあるけれど。

で、根性とか地頭とか体力とか戦闘力とかコミュ力とか、人が生きていくのにとても大切なものを僕が捨て去るのに、実に十数年かかりました。もう僕がそれらのものを求めることはないです。ひたすら逃げまくりますw。それが結局自分が行き着いたスタンス・定点かな。涙が出るほど情けないし、人は嗤うでしょうが、弱者の戦略です。

もちろんそんなチカラに欠けた人生には大きなリスクがともないます。若いころに苦労しなかったツケをこれからの人生で払わなければいけないと思うと正直ゾッとします。もっとも、苦労人=タフ、苦労してない人=ヤワっていうイコールが成り立つわけでもなく、もっとややこしい部分があることもわかってはいるけど。


ちょうどうらさんと同じ歳の頃、似たような内容の小論をある雑誌?に書いたことを思い出したので、思わず語ってしまいました。スルーしてください。

ゆっくりしてね。
2014/07/28(月) 09:08:20 | URL | ポンコツ #-[ 編集 ]
Re: 良いエントリでした
いち さん

苦労できなかったゆえの苦労、わかるような気がします。
いちさんのとは、すこしズレてるかもしれませんが、私は今まで(ってか今も)何に対しても超恵まれた生活をさせてもらってました。親は元気で寛容だし、私にお金の心配をさせないようにいつも気を遣ってもらってきたので、金銭的物質的苦労を知りません。小学校中学校高校でも、勉強や他のことで、人についていけなかったってことも考える限りなくて、どっちかっていうとたぶん、大した努力もせずに通過してきてしまってます。

20代に入ってからは、人間関係異性関係のわけわかんないトラブル続きで、金銭的にも自立しなければならない(と思い込んでいた)ので少しだーけ、苦労した気はしますが、それって今まで恵まれすぎてた分を考えると、まだまだ苦労して順当だと思ってます。

けど、苦労して手に入れた「人として生きていくのに大切なもの」を周りに還元できるか、それか独り占めして勝手に生きていくのかっていうのは、その本人の考え方や感じかたに依るところだと思います。どんだけ苦労してようが、それをはなにかけて自分は自分は、って人は、全然尊敬できないし、逆に苦労してる(してきた)ことをちらっとも見せずに、でも人に何かを成せる人はマジですごい人だと思います。いちさんは、後者のような人だと思ってます。きっと、「ぞっとする」ようなことじゃなくて、これから素敵なことがたくさんおこるのにふさわしい人だと、思います。
2014/09/11(木) 10:59:28 | URL | うら #-[ 編集 ]
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