Take it EZ! セカンドダンジョン

3月26日(水) 20:00(-1)

疲れがー少しとれてきた。うん、精神的な疲れがひどかったにもかかわらず、体もいつも以上に使ってたから余計疲れたよ。昨日今日にかけて、約16時間寝た。眠剤はなし。
で。今日はようやく病院へ行った。
カウンセリングでは、自分が今思うこと、逃げたいこと、等をマジで話してきた。途中、何度も泣きそうになったけどそこはストイックw
問題はじーさんだよじーさん!私が今回マジでODしようとしてた薬を言ったら、そんなもん飲んだら大変になるじゃすまないぞ、とか言ってマジ怒ってた。で、そのくせ行動そのものに関しては何も言ってこないし。突き放したみたいな言い方されて、マジ嫌だった。
大学で自分の心理でも学べみたいなことしか言われなくてさ、はぁ?なんだよくそじじーって言いたくなったけどそこもストイックw
本当、診察受けてからこっちも30分以上いらいらしてて、マジこんどこそ全部飲んでやろうかこのやろう、って思った。

私は、外部からの刺激がたくさんあるわけでも、環境に恵まれなかったわけでもなんでもない。環境はめっちゃよかった。
自分ではどうしようもないような、外部からの刺激、先天的な何か、大変な境遇で生きてきた方が、精神を病んで人に支援を求めるのは、私は当然だと思うしなければならないことだと思う。たいていの人はそのどれかや、その複合だろうと思う。
いろんなつらい過去や思い出すのを封印しているようなひどいことを、耐えてやってきて、それをどうにかするために人に頼るのは、ぜんぜん何の問題もない。
でもね、私は違う。
私は、完全に自分の内部にしか問題がないんだ。別に、なんともないことで勝手に悩んで死にたくなってかまってちゃんになって。人は耐えられるようなことが、なぜか耐えられなくて、そのくせに不幸なふりをする。で、私はその「ふり」が上手いのかなんなのか知らないけど、知らないうちに救いの手(のように見えるもの)が差し伸べられてるってことがある。でも、その手すら、私にとっては不十分で、さらに言えば悩みを増大させるものにしかならない。

それを、私は「自分は感性が人より少し敏感」っていうふうに言い聞かせてた。だって、そう言い聞かせないと、やってけないじゃん。もし、人と同じレベルでなんでも感じてて、そのくせこんなに弱いなら、もう対処のしようがない。それこそ、死にたくなるよ。
我慢が足りず、わがままで、クソみたいな自分。今でも死ねと思うのに、辛さを感じる感受性さえも人よりないとなったら、それこそすぐにでも死のう。

でさ、じーさんの診察受けたあと、それすごく感じたんだよね。はいはい、どうせじーさんも私はクソだと思ってるんでしょ。毎日、大変な患者さんばっか診て、そういうのは「助け」ようとするかもだけど、私みたいな全部自分のせいなのに勝手に辛がってるやつなんて、ほっとけばいいと思ってるんでしょ。今日はけっこうマジで話したのに、シカトかよ。
こんなんだったら、もっと辛ければよかった。
外的な要素で、もっともっと辛くなれればよかった。そうすれば死ねた。だれか助けてくれた。少しは、まだ生きやすかったかも。くそじじい。

そこまで思って、やめた。
何思ってるんだ、私。「だれか助けてくれた」って。実は他人に期待して、自分で何もやる気なかったのかよって。私は、やっぱりどう考えても、今の自分を苦しめてる思考の歪みは自分のせいだと思う。過去にどうやってその歪みが作られたかなんて知ったこっちゃないけど、それをずるずる引きずって今対処できないのは、自分のせいだ。自分のせいだからこそ、他人に期待してどうする。
一瞬、じーさんが機嫌わるくなって怒った理由をうがった。このじじい、私が薬飲んで死んだら自分や病院の体裁が悪いから言ってるだけで、私のことはどうでもいいんじゃねぇの。
そう思った自分、マジ汚いと思った。でも、同時に放っておかれたっていう恐怖や不安がでかかった。

やることやったら、それに近いものが返ってくるんだなと思った。
狂言みたいなOD直前まで行って、辛かったねかわいそうだったね、そう言われたかったのかよ。
こんなに辛いんだよって、表明する手段がそんな狂言しかないのかよ。表明する必要があるのかよ、あるとしたら、それは誰かに辛いって認めて欲しいからだけだろう。
なんでそんなにすぐ辛くなるんだよ、そんなに弱いやつは死ね。
そんな、自分をさらに追い詰めるような思考で人と接すれば、あたりまえだけど良い結果は返ってこない。
なのに私は、自分の今のゆがんだ思考のままを、人に受け入れてほしいみたく思ってた。でも、気がついた、それは、それこそ、甘え、弱さだよ。自分が少し強くならないと。

カウンセラーさんは、その強くなるっていうのは、意識してたからといって一朝一夕にできるものではないと言っていた。私もそう思う。私の根本の問題が「幹」だとしたら、毎日の生活のなかで起こる小さな「枝葉」の部分の問題と向き合っているうちに、少しずつ気づかないうちに、強くなっているのかもしれない。
それでも。私はその「幹」にもダイレクトに触れたいと思う。それが、もしかしたらじーさんの言う、私が「大学で学ぶべき」ことなのかもしれない。

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