Take it EZ! セカンドダンジョン

とうとう,院試が明日に迫った。
今日はこれから,大学の最寄り駅のホテルに向かう。
別に,朝早く出ればホテルに泊まる必要なく会場に着くのだけど,最近の体力のなさと精神の不安定さを考えると,少しでも省エネしたほうがいいと判断し,数週間前に部屋を取った。

正直,今の状態はよくない。
おとといバイトを早退してから昨日の18時まで,ほとんどベッドから起き上がれなかった。立つことができなかった。
精神的というよりは,身体が動かないという状態...すなわち,いつもの私らしく,ストレスを頭で感じるより前に身体に出たというパターンだろう。



3年前の夏にとても悔しい思いをした。
2年前の夏にも同じような思いを,1年前の春にもう1度起こったときには,空虚感に襲われた。
3年前の夏に,病院の仲間が亡くなったとき,他の仲間で話した。何で自分たちは何もできなかったのだろう。
あの人の具合が悪そうなことなんて,みんな分かってた。でも,先生や,ワーカーさんが,なんとかすると思っていた面があった,親は病院が嫌いで精神疾患を認めなかった。だから,軽口でアドバイスしかできなかった。
もっと,内科への受診を強く勧めていれば。心配だ,だけで終わらせずにアクションを起こしていれば。
なぜ,それができなかったか。それは,私達も当事者だったからで,患者だったからだ。自分の具合が悪いから,云々ではなく,私たちにそれをやる「力」と「権利」がないと,頭の隅で思っているからだ,と私は思う。

なぜか。社会の偏見が,私達の「力」に対する認識を弱めている気がしてならない。
昔からある偏見に加えてメディアの偏った報道,あることないこと書いて,障害者を危険者扱いする表現をする作品の数々。偏見による差別。

それが,精神障害者の肩身を狭くし,力を奪い,孤独に陥らせるのではないか。
私達が,もっと堂々と,私達だからこそ分かる,この人は今危ない状態じゃないのか,なんとかしなければならない,そして何とかする力がある!
そう思えれば,きっと,彼らの死は防げたのではないか。自殺でないから余計に。

今,必要なのは,障害者自身に力をつけること。社会になんとかして戻ろう,ではなく,より生きやすい社会にするための材料を自分たちから発信し,自ら社会に働きかけ,環境を整えること。
ただし,そのためには障害者一人の力では無理だ。仲間2人で集まっても無理だ。もっと幅広く,まずは当事者同士が安心して自己を受け入れることのできる体制・場所を作り,その上で力をつけ,社会に働きかける。
そうすれば,きっと自身に力が戻り,いや,戻る以上に力をつけることができ,孤独も緩和され,ある人は仕事に今までとは違う心持ちで復帰できるかもしれないし,ある人は自分の生活をよりよくできるかもしれない,ある人は偏見に怯えなくなり,ある人は家族や友人に自己開示ができるようになるだろう。
孤独死を防ぐには様々なアプローチがあるけれど,私はいつでも,当事者の側から,当事者が何をできるかを一番に考えたいと思う。

専門性を身に着けて,研究をしよう。現場を常に感じながら,学問として考えていこう。
1年前の夏にそう思った。

村上龍はエッセイに書いていた。
夢,などはない。夢ではなく,実現すべきは目標だ.と。
そして,目標を持つのは憂鬱だ。って。

私の目標は,ひとりよがりのクソみたいな目標だ。
それに向かってたまに疑心暗鬼になりながらここまで来る過程は,辛いとは言わないまでも楽しいものではない。
そして,きっと大学院に入れたとしても,そこから本物の目標に向かう過程を考えたとき,また憂鬱になるはずだ。
でもそれでもいいのだ。きっと,このことが私のライフ・ワークになることには,もう数年前からどこかで気がついていた,そして否定していた。だって,自分の痛いところに触れることでもあるから。

まずは,明日の試験を精一杯受けてこよう。
今,できることはそれだけだ。

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2017/08/23(水) 17:19:04 | | #[ 編集 ]
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