Take it EZ! セカンドダンジョン

なーんかやる気がおきない私です。
一応、最低限だけはやっているのだけど、なんかね...生きている実感がわかないよね...

ここ数回、精神障害に関連することを書いてきている。
私は孤独が、精神障害者をよけいに蝕み、最悪の場合、死に至らしめているのだと思っている。

最近、「孤独力」という言葉を聴いた。何かの本のタイトルで使われていて、聞くようになったのだと思う。
私は、そこで言う孤独力、には納得した。
この孤独力、というのは、だれかとつるむまねば生きていけないとかSNS依存とか、見かけのつながりにたよらずとも生きていける力、というものだと私は解釈した。
常に人といっしょにいなければ「恥ずかしい」「寂しい」。人に囲まれて人と同じことして、が心地よい、そんな人は孤独力がないと言えて、それでは何かに躓いたとき、または老年期に差し掛かった時、困るよね、だから一人でも平気だと強がりでなく言える生き方をしようか、みたいな感じかな。

孤独力には、自尊感情が関わっている。自尊感情が高く保たれている人ほど、平常時は一人でも大丈夫であり、人との本物のつながりを築けている。
逆に自尊感情の低い人ほど、人がそばにいなければ不安になったり、一人では何もできない無力感に襲われたり、何かの役を失うと一気にしぼんだり荒れたりする。
自尊感情を育て、孤独力をつけよう、ということだ。

でも、私が精神障害者に対して思う、「孤独」はそれとは違う。
自分は孤独が好きだから、一人でも大丈夫です、っていう精神障害者を知っている。私はその人を、心から哀れだと思っている。孤独が好きで自分から一人でいる人間はあなたみたいな表情はしない、と思う。
はっきり言って、言い訳、負け惜しみ、強がりであると思った。孤独や寂しさがあなたを蝕んでいなければ、もっと前を向いて歩けるはずだ、と思った。

孤独でもいい、という精神障害者は本物のつながりを欠いていることがよくあるように思う。
根底には、どうせ分かってくれない、だれかとつながるなんて、後で痛むからいやだ、だったら一人の方がマシだ、という気持がある。もし、本当に孤独でいいなら、なんであなた自助会に来ているのですか、なんであなた、一人になると病むのですか?と聞いてみたいことが多々ある。つながりを諦めた人々。

逆に、つながりを切望する人がいる。自分の孤独を知り、分かり合える者を探す人。
私はこのような人を「孤独力が低い」とは決して思わない。彼らは、本当に分かり合える人から力を得て、自尊感情を回復させるだろうと思うからだ。
本当に分かり合える人から認められ、自分も人の役に立ったとき、自分の価値を認め、自尊感情が高まる、そして、孤独力が高まる。
だから、本当の意味でのつながりに飢えて切望し、行動を起こす人間は、自分に正直だと思う。

私は、自分のまわりでものすごく孤独力が高い人は、例の人だと思う。
2年半の間、つるまず、人にひるまず、一人でも自分を見失わず、堂々としている。元々、自尊感情が正常に高い人なのだと思う。私は例の人を見て、学んだ。
私は孤独力が低く、つながりを切望した。切望の仕方が間違っていて、人を傷つけるくらい、求めていたら、いつの間にか、本当の意味で孤独ではなくなっていた。
自分は一部の人と、離れていようがつながっているし、自分の何かを与えることができる人がいる、そしてその人びとは私に何かを与える、と分かっているからだ。

それがない人は、多分病む。
病んでいてそれがない人は蝕まれるし、求めている最中の人は苦しんでいるのかもしれない。
でも、求めて行動すればいつか、本当の意味でつながれる人は見つかるはずだし、それによって心持ちもかわるだろう。
求めて行動している人を、受け止められる「孤独力の高い」人が、少しでも増えればよい。

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