Take it EZ! セカンドダンジョン

ピア・サポートについて考えてみた。院試の関係で、ピアに関する論文を読んだり、幸運なことに専門家にお話を聞いたりしていたので、考える機会になった。

一口にピア・サポートと言っても、定義がはっきりあるわけではなく、形態も様々なようだ。どうやら、大きくは3つの形態に分かれるようだ。
まず、現在、全国的に取り入られつつある、ピアサポーターの制度のもとに行われるものがある。これはどちらかというと、ピアサポーターが、利用者に援助をするという制度のようだ。
就労支援や就労移行、地活、デイなどでのミーティング、セルフヘルプグループでの集まりなどは、フォーマルな形での双方向のピアサポートになるだろう。これが2つ目。
見落としてはいけないのが3つ目で、自然に友人・仲間同士で発生する、ピアサポートだ。私は、これは、なくてはならないと思う。

私は、数え切れないほど、自然発生的なピアサポートを行なってきたと思う。それは、勉強し始めた今になって気がついたことで、行なっている最中は「ただ普通に仲間と関わっただけ」だった。

ODをした後、何もなかったように軽口を叩いてくるくせに、「スペック(←私)が死ぬと想像するとゾッとした」と書き残した友達。私こそ、彼女が死んだら立ち直るのにかなりの時間を要すると思う。

3年前に亡くなった友達は、夜逃げした私を心配して定期的な電話を続けてくれた。

OD後に入院したとき、5年来の入院仲間が近くにいてくれて、その3日目に、「うらちゃんがやっと笑った!」って喜んでくれた。そのとき初めて、いっしょにいてくれた事実に気がついた。その人は自分だって調子悪かったはずなのにね。

助かった、と思う。確かに一つ一つの出来事は取るに足らないことかもしれないけれど、それらが積み重なっていなかったら、私はもっと孤独だっただろう。そして、このように助けられまくっているということは、きっと私も無意識にこの人達の役に立っていたのだと思う。ってか、そうであって欲しいと思う。

つながりのきっかけとなるような機会、すなわちセルフヘルプグループへの参加や、作業所、デイケアに通うこと、それはピア・サポートへの入り口として重要だ。それに、その場で行われる話合い自体がすでに参加者の不安感や孤独を解消するものとして機能しているはずで、分かりやすい。

仲間や友人同士の双方向の自然発生的なピア・サポートは、多分、気づかないうちに行っている。病気や障害を前提に、それがあっての相手だとわかった上で、接する。
自殺未遂をした、表情が前と違う、だからそばにいよう…結構重度の精神障害を抱えた女性が、私に対してそう思ってくれていた。学校の友達や健常者の友達には、これは自然にできることではないだろうな。
病気について、絶妙なジョークを言い合える友達。それは、病気つながりだから、だけではなく、その上で相手の性格を知って思いやりを持ち会えるから言えることだ、つまり、友達として当たり前の気遣いと、お互いの性質への理解がなんとなくあるから、言えることだ。

制度を整えて、じゃあこの人がこの人の支援をします、この機関に真面目にかよっていてください、って、それは確実に必要なことかもしれないけどそれだけじゃ足りないと、思う。
きっと、お互いが何かしらの障害や病気っていうことは当然のことで、それも込みで相手を見た結果、友達でいたい、元気でいてほしい、と思える人間同士は、知らずしらずにピアの精神を持っていて、ピア・サポートを実践しているのだろう、と思った。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する