Take it EZ! セカンドダンジョン

あまりにもブログから離れていたら,「この広告は1ヶ月以上更新のない...」的な表示が出るようになってしまったことをうけて更新します。

いやーこの1ヶ月。3回くらいかな?志望の大学院に行き,オープンキャンパス行ったりOGの研究者の方にお話聞いたり図書館に入って論文見たりしてきた。そのために,様々な論文や書籍を探したり読んだりで,バタバタしてました。だけならまだしも,院試の分野とまっっったく関係のない学部の卒論にも取り組まねばならず,そちらの研究計画を立てるためにこれはこれで文献購読...方や,精神保健,方や,言語心理学。頭の切り替えツラーって感じでした。
他は,相変わらずバイトと学校があるくらいなんで,身体はそんなに辛くないね。前年の後半が異常だったのね...

私は,院試を決めてから,バイト先を精神障害者の支援に関連するものに変えたので,そこでいろんな支援のあり方を見た。クソヌマ病院にも相変わらず通院してるので,そっちの人々とのつながりもまだある。当事者会にもスタッフとして関わっている。それに,研究をしたいと思う気持が出てきてからは,文献を読むようになった。
正直,わからないことがよりいっそうわからなくなったなぁといった感じで,ずっとモヤモヤしている。

今のバイト先の仕事は,どちらかと言うと(私の感覚では),障害または病気から回復して就労だ―みたいな感じではなく,障害または病気と付き合いつつ穏やかに暮らす,つまりその人の「落ち着いた生活」の現状維持,へのお手伝い,と言った感じだ。だから,そこの人々と話すときは,別に特別な話をするでもなく,言ってしまえば,私が入院しているときにそこの人々と話すときのような会話が多い。もちろん私は自分の障害を開示してないから,相手はそう思っているわけないのだけど,私としては「仲間」のような感覚に陥ることがある。立場上,本当はダメなことではあるけどね。

私は,自分も含めて,障害を持つ人々が生きやすくなるには,多分仲間が必要なんだろうと考えている。
私自身が,19歳のときの入院でカオスな人々といっしょに生活したことで,その後うんとよくなったことから勝手に思っているだけかもしれないのだけど,ね。
けど,例えばネット上の掲示板やチャットで,家から出られなくても当事者が出会えることで,少しでも心が軽くなることも実際にあるみたいだし,SNSで同病者アカみたいのを作る人が多くいるのも,仲間を求めているからだろうと思う。

仲間と出会って話すこと,共感することは,状態の回復や維持に有効だと思う。
だけど,生きづらさの解消には,どうなのだろう,と疑問に思うこともある。
仲間と話し,そのときは共感しあい,孤独も薄れる。でも,その場を離れて健常者だらけのところに戻ったとき,本当に生きづらさは解消したと言えるか。
就労の方法や,障害を持ちながら生きるテクニックを仲間を通して知り,障害持ちながらもなんとかかんとか上手く適応できるようにした人は,本当に生きやすくなった,と言えるのか。

私は多分,14歳くらいから後は,「言語化できないけど,なんかやりにくい感じ」を持ちながら生きてきたから生きやすい人生がどんなのかよく分からない。しいていえば,この2年は例の人と一緒にいてとても生きやすくはなったけど,でもそれは「私の感じ方」が変化し,世の中に変に合わせる必要がないと知ったからであり,根本的な,生きづらい環境がなくなったわけでは,決してない。

仲間を作り共感をし合うこと,知識を得ること,病気や障害を「なんとかしつつ」社会に適応すること。
全て必要なことだと思う。だけど,それだけでは確実に足りない,と思う。
世の中に変に合わることをやめた私は,きっとまた一歩,「フツー」から遠ざかった。すなわち,ある意味で生きづらくなった。
人と違う考え方を持つだけで,生きづらくなる,っていう世の中,障害開示した日にはそりゃ,生きづらい。

きっと,これから先,焦点を当てねばならないのは「生きづらさ」についてだ。
それは,仲間のなかだけでは確実に解決できず,その外,すなわち社会や社会が持つ偏見と,向き合わねば解決のできないことだろう。

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