Take it EZ! セカンドダンジョン

9月に入ったね。学校はまだ始まらないのでダラダラしてます。
最近は、バイト2つ、院試の英語の勉強、ゼミで行う実験の準備、たまにウェーブのこと、等を行ってます。学校が始まったらいろいろ規模を縮小しなければならないね。

3ヶ月前から例の人は職業訓練校に通っている。ほとんどデスクワーク的なものを経験していなかったので、PCに関連のあるものを受講している。
学校からはちょくちょく課題がでているみたいで、家でもやっているのだけど、今回の課題では相当切羽詰っているらしかった。こういった切羽詰まる状況は今まであまり経験したことなかったのか、焦っているのがよく伝わってくる。

一昨日かな、例の人は、切羽詰っているのに焦りだけが先立って行動が伴わないことがあった。
その時、彼は、「もう、腐りそうだ…」みたいなことを、軽めな調子で言ったあと、「いや、今更か、もう(前から自分の人生は)腐っているよな」みたいなことを言った。さらに、「それから考えると、今こうして(勉強に対して)焦るということは幸せかもしれない」「今こうしていられることだけでもすごいことだ」という趣旨のことを言っていた。
確かに彼の今までの経歴や、2年前に起こった出来事を考えると、今このようにして落ち着いて学校に通いバイトをし、前向きに歩んでいることは並大抵なことではないと思う。きっと、2年前の彼は想像もできなかっただろう。
でも、多分、一昨日彼が言ったことは本心ではない。

例の人のそのような気持は、私も経験がある。
私は18歳から20歳の終わりまで、摂食障害や不安障害や適応障害や抑うつの症状で、上手くいかない日々が続いていた。大学を辞め、専門学校を休学して辞め、バイトをするけれど続いて半年...みたいな。入院もした。
21歳になる少し前から、ほぼフルタイムで働き始めた。事務の仕事で1日8時間から9時間。よい職場で働きやすく、苦痛はほとんどなかった。
あぁすごいな、奇跡みたいだな、私が1日8時間、普通に働けている!と、最初は思っていた。直前の2年と比べると、今はなんて生き生きしているんだろう、みたいなね。でも、それは続かない。

欲望には底がない。
できなかったことが、奇跡的にできるようになってもそれが続くと、できなかったことができるということが当たり前になる。そして、さらにその上の欲望が生まれる。もっともっと、って。
私は当時、1日8時間、月20日働けるようになったころから、何か資格を取りたいと思ったし、もっと自分にとってやりがいのあることを見つけたいと思った(まぁ、その後Y関連等々でそれどころではなく、欲求は生き延びることのみに絞られるのだけどw)。また、自殺未遂のあと長期入院をして退院したときは、毎日無理なく生きることが大切だと思うのに、いつのまにかそれを忘れて、やれるところギリギリまで予定を詰め込んでしまう。バイトを増やさなきゃ、単位も取れるだけ取ろう、というように。

だけど、本当に疲れたとき、私は21歳の、ようやく8時間働けるようになったときに戻りたいと思う。
あの時あそこで落ち着いて生活を続けていれば、このカオスな5年を過ごさずに済んだし、今もこんなに辛くないかもしれない。そう思ってしまう。
本心では、今の自分がベストだと思っていて、これからの目標も自分にとって適格なものであると感じているくせに、疲れきったときは、欲望を持って前に前に、と進むことが苦しく感じてそれをやめたくなる。

例の人も、一昨日はそう感じたのだと思う。疲れていたのだと思う。
もちろん、例の人も私も、今2人ともこうして前を見て進んでいることは、ある意味で奇跡的なことを知っている。物理的に、社会的に、死んでいたかもしれない私達が、今一般社会で全うに努力を重ねていることはすばらしいことだと思っていいと思う(自分達の中での今昔の比較で、ね)。
だけど、自然にもっと、もっと、という欲は出る。そして欲のために苦しくなるのに、それを乗り越えてでも得ようとするのが今の私達なのだと思う。

この間、塾で中受生を教えているときに、過去問に入っていた「知の欲求」に関する文章を読んだ(小学校6年生には難しい気がするよん)。それによると、人間の赤ちゃんが指しゃぶりをするのはその感触を楽しむためであるけれど、我々はいつまでも指しゃぶりをするのではなく、他の感覚を知る・楽しませることに移行する。景色を楽しむ、美味しいものを追い求める、いい音楽を聞く。そして、「感覚」を得ることへの知的な欲求の次には、別の知の欲求も出てきて、それがとんでもなく難しく抽象的な学問である、というような話だった。「人間には生まれながらにして知の欲求があるのに、さらに、もっともっと、と思うからどんどん高度なことまで知ろうとする」みたいなことが書いてあった。

このような欲求や、いわゆる「自己実現」に対する欲望は、生きる上で、生を豊かにする上で大切なものだと考える。
だけど、もっともっと、が過ぎると、それはそれで辛く自分を追い込むことにもつながりかねないと思う。だから、例の人が一昨日持った感情も、同時に大切なことであると思った。もっともっと、今よりもっと、だけでなく、過去から振り返ると自分はこれだけ進み、過去には想像もできなかったところに今いるんだ、と確認してみたり。もっともっと、に疲れたら、本能的な部分以外の「もっと」を少し休ませてみたり。
生を豊かにするのには、欲望に素直になると同時に、時には自分の欲望を知りながらも休ませることも必要なのではないかと思った。

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