Take it EZ! セカンドダンジョン

久しぶりでございますよ!生きてますよ!

怒涛の5月が終わり、6月初旬、学校やバイトのあれこれを片付け、やっと落ち着いたのが今週。7月に入ったらまた、レポートやテスト、そして夏期講習が待ち受けているわけで、落ち着いているのは今だけかもしれない。
今週は、落ち着きすぎたか天気のせいか、例の人に影響されたか知らないけれど、とってもざわざわそして鬱々とした週だった。

今日は、ものすごく久しぶりに、千葉の自助会へ。とっても久しぶりな方や初めての方SNS上だけで知っていた方数回目の方いつもの方(?)まで会えて、よい刺激になりました。

この2年間くらいで、病院の知り合いが4人死んだ。
死んだ、というのはわかりやすいから、私はその人々が死んだという事実をよく書くし、言う。でも、問題はそこだけではない。そこだけではないどころか、もっと根深い問題が、あの病院を取り巻く環境にある。

精神的な病気とは、人の意志を弱めるものまたは混乱させるものだと思う。
人が生きるエネルギーは、意志にあると思う。あれがしたい、これが欲しい、あの人と一緒にいたい、誰かのために力を使いたい、というように。
それが、脅かされる。うつだと、言うまでもなく、それらの気力がなくなるだろう。躁状態のときは、それらの意志が混乱するか意志が自分の力量を超える。何かに依存すると、依存の対象物に意志を持っていかれる。不安定な状態では意志を持ち続けることが難しい。

私が知っている、精神的な病を持っていて、危なっかしいなこいつ死ぬかもね、と思うヤツからは、意志が感じられない。目先の動物的な欲望ばかりが優先される。病気をどうにかしようと思っても、そのための情報を得るでも誰かに適切な助けを求めるでもなく、こんな病気にさえならなければ、と言うばかりで何もしない、できない。
そういう人々が、同じもの同士で群れる。彼らは、一人でいても一緒にいても、寂しそうだ。自分がやりたいこと、やれそうなこと、そう言った意味での欲望を認識しない人間は、寂しそうになるのだと、気がついた。

意志が弱くなったり暴走したりする原因は、病気だから、なのか、どうしようもないのか。
そうかもしれないけれど、そうでないかも知れない。
そうでない場合、彼らが意志を持てない理由は、きっと、本当の意味で孤独だからだ。
底にいる人たちは、きっかけを見つけて利用するのが下手だ。きっかけは、本当はなんでもいいはずだ。芸術でも出会いでも、誰かの不幸や幸福でも、なんでもきっかけにはなりうる。それらを感じる感性が弱まっている。そして、ここからが問題なんだけど、感性が働き、これいいな、と思ったときに、その先に進むことができない。
私がそうだったし、今も多分、そうだ。進めていない。いや、以前よりは、ずっと意志は明確になったかな?

なぜ、進めないか。
孤独だからだ。意志が、薄れてしまうのだ。
自分ならできる、という気持ちを持ちづらくなる。誰かがそばにいてくれたり、話を聞いてくれたり一緒に動いてくれたり、気持ちを共有できたりしたとき、自分は自分が得たきっかけを活用できる、と思えるのかもしれない。

人が意志を持つ一般的なきっかけを作ることは、できない。何がその人の心に触れるかなど、それぞれだから。そこは、その人のセンスに関わっているかもしれない。
だけど、その後の、そのきっかけを活用できるかどうか、つまり意志を持ち続け持続させるようにするためには、確実に、人の手が必要だ。孤独では、だめだ。

寝ている間に漏らしてしまい、急激にやせて、さすがに自分でも危機感を感じていた、その数日後に死んだ人。
そこに、身体を守ろうという意志がもっと強く働いていれば。
危機感を持ったその人に、働きかけられる人がいれば。つまり、本当の意味で孤独でなかったなら。

多分、死ななかった。

私に、何ができるだろう。

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