Take it EZ! セカンドダンジョン

先週の、謎の動けない事件から1週間、なんとか乗り切った。
月曜に通院をし、薬を減らし漢方を始めたけれど、まだその効果はわからないね...車酔い的状態は、治らず。
朝バイトを辞めたので、朝は例の人を見送ってから1時間くらい、寝っ転がっているようにしている。彼は7時に家をでるので、その時に一緒に洗濯機を回し始めて終わるまで寝っ転がっている感じ。先週は学校に2回行ったり昨日は単発バイトだったり、イレギュラーな塾バイトが入ったりでゆっくりできた気はしないけれど、ほんの少しだるさは改善されたような気がする。今、一番きついのは、動悸と入眠困難なことかな。

今日は、例の人の会社の仲間と昼食を食べてきた。このあたりで有名なとんかつ・ヒレカツのお店と、コーヒー屋へ。とてもユニーク(?)で素敵な方たちで、楽しかった。

人の肉体的または精神的な痛みという感覚を、他の人が完璧に理解することは不可能だ。
私は小さいころお腹がよく痛くなっていて、その痛さを人が分かってくれないと感じることがよくあった。そのときはよく、このお腹の痛みが乗り移ればいいのに、とか思ってた。同じ苦しみを味わえ〜こんなに痛いんだぞ〜的な。昔から性格の悪い子だったようで。

で、この歳になってもなかなかその感覚は抜けなかったりする。
今ならば、「この起き上がれなさ、この身体的な辛さをわかってほしい」っていうのが一番でかい。特に、起き上がれないっていうのはサボりだと思われることがあるので、そういったときに思うね。とは言え、どうしようもないほどつらい時は、人の目なんてどうでもいいからなんとかなれ、ってなるんで、「分かってほしい」と思えるだけマシなのかな。

例の人は、そういう私の辛さを間近で見ているけれど、「経験したことがないからその辛さはわからない」といった趣旨のようなことを言う。まぁ、そうだよな、と思うし、私も例の人の苦しみみたいなものを理解することはかなり困難だ、多分できていないと思う。
やはり、痛みこそ、自分が経験したものでない限り共感はしにくいものであろうと思う。

人間には想像力がある。一部、私のように欠落した人間もいるけれど、たいていの人間にはそれなりの想像力があるみたいだ。だから、人が痛がっているところを見ると可哀想とか痛そうとか思う、人が苦しんでいるのを見ると見ていられないと思う。想像力があるからこそ、人に嫌なことや痛いことはしないし言わないようにするのだろう、そして人に親切にするのも想像力があるからこそなのだろうと思う。だけど、想像力には限界があると私は考えている。

小学生のころ、有名な児童文学の作品でいじめや家庭問題を取り扱ったものがあった。
英才教育まっただなかで登校拒否・無気力状態に陥った主人公がある教育者と仲間の力で立ち直り、その教育者の周りに集まる傷ついた子たちと交流するというような話だった(ような気がする)。そのなかで、主人公が立ち直ったあと、教育者の元へ通ういじめにあっている中学生と会話する場面があって、私はそこだけをまだ覚えている。
いじめられている女の子が「あなたに何が分かるの、いじめられたこともないのに」みたいなことを言い、それに対して主人公が「経験はなくても人間には想像力というものがある」みたく言い返す場面がある。

私は、どっちも極論だなぁと思った。まぁ、主人公5(6?)年生、女の子は中学2年生だったわけで、極論になるのも当たり前なのだけど笑
経験してないからあなたにはなにもわからない、というのは言い過ぎ。それでは、自分とまったく同じ経験をした人の言葉しか聞かない、ということになってしまい、視野が狭くなる。
想像力と経験が同等だというのもおかしい。経験したことがないのに、自分にはすべてが分かる、想像できるというのは傲慢だと思う。

だけど、例えば何かの病気でも、境遇でも、同じ経験をしている人が周りににいるというほうが、まれだ。家族や大切な人が自分と同じ経験や痛みを味わっているというほうが、なかなかない気がする。
そんなとき、相手が半端な自分の経験だけで見当違いなアドバイスとしてきたり、想像だけでものを言ってきたりするとかちんと来る。お前に何がわかるんだよ、って言いたくなる。そういうやつはとても多い。
逆に、全くわからない、おかしい、という否定も悲しくなる。

例の人は、そのどちらでもなかった。俺には経験がないからわからないけれど、といいつつもわからない私と共にしてくれる。つまり、この経験をしている私と一緒にいるという経験をしてくれている。私はそれ以上を望むことは、しない。

私は?と思う。もし、私が逆の立場だったら。
自分の想像力を全く信用していない、というか人よりも想像力が圧倒的に欠けている自分は、まず、相手のことを塵ほども分かっていない、という前提から始めるだろう。そして、多分、知識をつけることから始めるだろう。
ない想像力と、知識(そこには誰かの経験も含む)と、相手への気持ちで、接すると思う。

経験だけの話で分かり合える人もいる、知識だけが欲しいという人もいる、想像力からくる思いやりだけで十分だという人もいる、それら全てが必要だと思う人もいる。
私には、相手が自分と似た経験をしていてほしいとは思っていないし、逆にそうであってほしくはない。だったら、これから一緒に経験していきたいと思う。知識は、こちらで勉強し、必要があれば説明するので別に要求はしない。想像力はとんちんかんでなければある程度あればいいと思う。
今どれだけ共感できるか、というよりも、今どれだけ共感しようとする意思が明確なのか、のほうが重要だと感じる。

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