Take it EZ! セカンドダンジョン

さて。
昨日は久しぶりに1日休みだったので雨の中通院。自立支援が来月で期限で今回は診断書提出の年だったので、じーさんに書いてもらいに行った。じーさんは後で書こうとすると忘れるし面倒くさいらしく、患者の目の前で書くスタイル。字とは言えないような(カウンセラーさんいわく「模様」)字で書くわ、自分で書いたカルテが読めないわ、「入院しすぎで書き写すのがめんどくさい」とか文句言われるわで、さんざんだった。

薬は基本変わらず。吐き気どめと胃薬だけやめた。ストラテラ40mg/日、ラミクタール100mg/日、デパケン100mg/日。上手く行っています。
しかし、ストラテラは副作用だらけだね、やっぱ。めまい、食欲減退(←のわりによく食う)、便秘、胃痛。だけどそれよりも効果を感じているので、副作用には慣れるしかないと思っている。

最近、自分に発達障害的なところがあることや、コミュニケーションが下手なこと、思考のプロセスがぐちゃぐちゃでわかりづらいこと、精神的に安定していないこと、等々を認めることができるようになってきた。
一番の決めては、ストラテラが効いてしまったことや、学校のグループワークで私にはっきりとクレーム(笑)をつけてくれる仲間の存在だった。それは過去の記事で書いたきがするのだけど。

今までも、薄々気がついてはいた。だけど、頑なに否定していた。
小さいころから友達ができにくく、できても女子にありがちなグループを組むとかべったりするとかができなかったり、自分の考えを表明することが面倒くさいと感じていたり、理解力が人よりも相当劣っていたり、ミスが多かったり、変だなぁあと思うことは多々あったけれど、「次は絶対失敗しないようにしよう」と誓うとか、どうやったら友達ができなくても快適に過ごせるだろうかと一生懸命考えるとかして、何とかしのいできた。
学校生活においては、簡単だった。勉強にせよ、スポーツにせよ、目に見える形でできればいいんだもん笑 簡単だった。
普通の公立小学校中学校だったので、勉強にはほぼ苦労せず(その分公文式で超がんばったけどw)、部活でもそれなりのポジションを取り、生徒会とかにも推薦されちゃったりして合唱とかあれば伴奏には駆りだされたりもして笑、そんなんだったから人付き合いの悪さやコミュ障的性格は、目立たずに済んでいた。

でも、高校、そして(最初に進学した)大学と進むうちに、上手くいかなくなった。自分がいると迷惑だ、と感じるようになり、人が私に変に気をつかっているように感じたり(事実そうだったと思う)、周りがやっているような友達関係が私には築くことができなかったり、つまり、「適応」できなかった。18歳で適応障害と言われたのも、無理はないと思う。だって病名のまんま、全然適応できてなかったんだから笑

だけど、私はそんな自分を弱く感じた。みんなができていることが私にはできない。適応できない、なんでだろう、何が悪いのだろう、と。目に見える形で何かができることが、場にとって重要ではなくなってくる年代だ、今までの私のやり方が通用するはずないのに、私はそれを認めたくなかった。私だって、頑張れば、みんなと上手くコミュニケーションとれるしそういう意味で必要な人間になれるんだ、と信じていた。だから、立ち振舞とか自分が少し変わっているところを隠す努力をしたのに、ぜんぜん実らなくてあれーつって。よけい、精神的にねじれていった。

で、ねじれにねじれて、生活そのものがねじれて、そんなんで8年経った今。
私は、ようやく自分の性質を受け入れつつある。
私は確かに人と思考のパターンが違うかもしれない、コミュニケーションが下手で、人付き合い最悪で、失礼で、ミス多くて、だけどなぜか最終的にいろいろ上手く行くことが多くて、周りにはいい人がたくさんいて、認めてくれて。
受け入れた今は、じゃあ、自分の弱点に対してどうしようか、そして自分のいいところをどう伸ばすか、そう仕事に結びつけようか、そういうことを生産的に考えている。弱点を克服しようと向かないことばかりにチャレンジするのは辞めた、だけど最低限はできるように努力はすることにした。できるところは今以上にできるように頑張っている。なにも、自分の基準が下がったわけではないのだ。全体的な基準はそのままに、目線を変えた。

受け入れることと、基準値を下げることはイコールではないのだ、とやっと気がついた。
今までは、なんでもオールマイティにできることを目標にしてきた。全て、平均以上。人並み以上にできなきゃ嫌だった。ある意味では、自分が理想の自分として持っていた基準値がとても高かった。そして、自分の弱点を認めることは、基準値を下げることと等しいと思っていたし、それは甘えだと思っていた。

だけど、私は今まで、私がそういう感じで自分に厳しかったことに対して後悔してはいない。
多分、今まで無理やりにでもオールマイティを目指していたからこそ、今の私があるのだ。今の大学で今の学科にいられてそこでみんなと一緒に勉強できること、一応wバイトが成り立っていること。普通に働いでこれたこと。
想像だけど、私が小さいころから最初から、「この子は変わっているから変わったままでいいや」みたく育てられていたら今の私はなかっただろう。差別も区別もされず、サバイバル状態の笑公立学校で普通に生活する中で、生き延びるために身につけた学力とか集団内での振る舞いが、ある意味で役立っているのだと思う。

だから、これからも私は自分には確かに人と違う面があることは認めつつも、だからといって自分を人と差別をしない。所属する集団内では必ず力のある人間になりたいしなろうと努力する。休まない、社会人、学生としてあたりまえのことはあたりまえにこなす。これは自分の基準値の最底辺のこととして、揺るがせないようにしようと思った。

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