Take it EZ! セカンドダンジョン

あったかっ笑 にもかかわらず、今日の夕方からはとんでもなく一気に気圧が下がるそうで。気圧が下がると気分も下がる私としては、怖くて仕方ないです、しかも、急激に下がる時間帯に朝バイトっていう...死

今日は、お昼に最近はまってる、「モン・サン・ミッシェル」風オムレツを作ってる最中に蛇口をひねったら蛇口が取れたので、さっきから2時間にわたって新しい蛇口の買い出しと取り付けを行ってました。ふんだり蹴ったりで、買ってきた蛇口にはまさかの不備があって(後で連結すべき部品がすでに連結されていて取り付け不可能状態だった)カスタマーセンター電話して、ホームセンターに返品しにもう一度出向いて、そしたらその蛇口はもう品切れで。だけど、ホームセンターのやさしいおじちゃんたちが、不備を一生懸命直してくれて使える状態にしてくれたので無事に取り付け完了できた。水とお湯で、蛇口の形状がだいぶ違うのは内緒。

人のブログやツイッターを見ていると、よく「人生が狂った」とか、「あの時の自分に戻りたい」みたいな記述を見かけることがある。
それを見る度、正直な人だなぁと思うと同時に、ある意味で、羨ましくも感じる。
「人生が狂った」ってことは、その人なりに「狂っていない」人生を送っていたことがあったってことでしょ。「あの時に戻りたい」ってことは、誇れる自分が過去にあるってことでしょ。

多分、上のようなことを言う人は、私より年上なんだろうな、と思う。そして、発病あるいは自分が精神的な「何か」を持っていると気づいたのがそれなりの年齢になってからなんだろうな、と思う。人生が狂うと言えるということは、ある程度人生設計をしてそれに沿ってきたからだし、戻りたい「あの時」っていうのはまさか幼稚園のころのことではないだろうから、少なくとも18歳から20代前半くらいのころはその人なりに、順風満帆だったんじゃないかな、と想像する。

私は、自分の人生が狂った、と感じることは、できない。そもそも、人生設計をしようと試みるような年代(少なくとも18歳以降くらいかな?)には自分が変なことには気がついていたし、精神科やその薬だって身近なものだった。小学生、中学生のころには、自分は上手くいかないだろうという予感はあったので、別に不思議でもなんでもなく、そんなもんだと思っていた。
あの時に戻りたい、っていうのも別にない。っていうか、できればどの瞬間にも戻りたくないね笑 今が一番、今までの中で楽に生きられているから。

そう思うと、良し悪しだな、と思う。
今まで上手く行っていた人で、自分は精神の病気とか生きづらさに関係がないと思っていた人が、いきなりそういう事態に放り込まれるのも、きっと酷なことなんだろう。
もちろん、小さいころから人と違いいろいろ言われたりやられたりしてきた人は、その時点でいろんなものを失って前に進むことが普通より困難になる。
私は多分、後者だったわけで、だから今だってきっと人から見たら「人生が狂っている」人なのかもしれない。でも、自分の中では、今が一番いい、と言える。

人生が狂った、という人の真意はわからないし、多分、私には想像もつかない苦労があったのだろうと思う。
でも、それを人に言う人は好きではない。狂ったことを受け入れて、その人なりの、他の生き方を選ぶか、狂う前に戻れるようにするか、2択じゃん。それしかないのに、「狂った」と言い続けるのは、ただの停滞だ。
停滞していること自体は構わないと思うし、期間の差程度の差はあれど、停滞する時期は誰にでもあるだろう。だけど、停滞していることを誰かのせいにし、何かのせいにし続け(たとえそれが事実でもね)、全面に出し続けることは、見苦しいものだ。
同病者同士で何かをしようとするときに、「傷のなめあい」と言われることは、少なくないと思う。それって、誰かのせい何かのせいで停滞している自分、を共有し合うからなのではないか、と思う。

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