Take it EZ! セカンドダンジョン

さぁ秋学期から土曜も授業がある私です。去年落としたフラ語の再履修ということで。しかも1限。罰ゲームですかこれはw
ってことで、今日は朝から学校行って、それから病院の仲間と会いにあちらの街まで行ってきた。世間は今日からシルバーウィークだというけれど、私の学校はそれ無視だからね、普通に月火授業だからね朝バイトもね、水曜日は塾だしね、うん
、そこはストイック(?)。

昨日、例の人と夜中に2時間ほど話し続けた。発端は、例の人が職場での出来事に対してすごく自己嫌悪に陥りへこんでいて、それに対して自分の感情を整理するのに付き合ってた、って感じだったのだけど。
その中で、自己開示の話になっていった。
例の人は、今の職場でも自分の過去の事実について、一定数の人間には話しているらしい。普通とはかけ離れた過去や今の状態を、話すことができるらしい。
それに比べて、私は学校やバイト先ではもう人に自分の過去や入院歴、未遂歴(?)を話す気はないし、今までもほぼ話してこなかった。開示する例の人と、隠す私。違いは何か、私はそれを誰よりもよく知っている。

彼は、過去を恥じていない。
私は、恥じている。
それだけだと思う。恥じない、ということは過去にプライドを持っているとか正当化しているとか、そういう意味ではない。ただ、それは過去にあった事実、そして自分にとっては「必要があって」行った行動であると確信しているんだ。

私はそれを、思い切り例の人に言った。
「あなたは、まったく恥じていない」と。そしたら、例の人はありがとう、と言った。
そこを見てくれるから、俺はあなたといることができる。今の俺をすべてわかっているのはあなただ、と。何が言いたいのかは、よく分かる。私は、100日の結末を見た。100日の結末はつまり、当時までの彼の生き方に対する結末であり、彼はその「外部から決められた」自分の結末に堂々と対峙した。私はきっとその光景を一生忘れないだろうし、忘れないかぎりこの人をリスペクトできると思っている。
2月に私がまだ未遂をする前に言ったことを、今度は自分に当てはめて言った。俺は、今と過去と変化した自分やその過程をすべて知っている人間がいるからやっていける、と。

彼は、私の目の前で変化した。せざるを得なかった部分は大きかったのは確かだけど、短期間で人はここまで変わるのだということを私は初めて知った。変わる意思の強力さを見た。
もちろん、細かいところでは例の人はブレることがある。一般社会の組織のあり方やそこでの振る舞いが、最初はとても辛そうだったり、お金の使い方をどうしていいかわからなかったり(?)、私からしたら生きる上で必要最低限というか、今さらそれ!?みたいなことでぶれていることも多くてわけがわからない部分もあった。でも、この人は必ず、自分で対処して自分で位置を決められると私は確信していた。そして、今それが現実のものになろうとしている。

例の人が自分のことを開示することに対しては、きっと弊害のほうが大きいはず。受け入れる人間と、受け入れられない人間はいるだろうしだから、開示すること自体を不快に思われたりもするだろう、それでも彼は、身体を使って刻むことまで行って、生き方そのものを開示する。
私は変化してぶれて傷ついて感情的になって立ち直って変化してを繰り返しよりいっそう強い意思を手に入れる彼を、これからも全力で見ていようと思う。
彼の「事実」を、どこまでも澄んだ見方で。

「見ていますよ。情が入った観察をします。厳密に言うと観察にはならないでしょうけど、建前では観察と言いながら笑」

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