Take it EZ! セカンドダンジョン

前に、親しい人がテレビの災害や戦争のニュースを見て不謹慎発言をしていた。そのときは、こいつ何言ってるんだよ、と思っていたけれど、今となれば彼の言うことはまっとうで「正しい」ことだと気がついた。彼は、感覚で言っているわけではなくて論理的にそう考えていることも知ってたからね。
ただし、彼の考えには「個人」の情や個性や人々の悲しみや悲惨さや、そういったミクロの視点は全く含まれていない、まぁ彼自身、私は本当に長年そいつをみているわけだけど、基本的に情そのものがあるのかないのかわからない部分があるわけで。そいつも本当に長年私のことを見ているけれど、私の生死に関しても興味があるのかどうか不明なくらいだからね。当たり前だけど私には彼のような考え方は不可能で、私は逆に大きな視点を持つことができない人間だから、彼を羨ましく思う。

例の人は、そのどちらも持っている人間だ。例えば私のことに関してや家族、つまり自分が身内だと認めた人間に対してはとても丁寧に大切に接する、だけどそうでない人間の生死や苦悩に対しての情はなく、むしろ人を追い込むことや利用することに対しての罪悪感というものがない。そういう世界にいて、自分も十分、やられてきた側だったからその痛みも知っているのに、ね。

私は一番上に書いた人間(アニですが笑)と例の人の考えを「正しい」ものと考えている。つまり彼らは、実力主義というか弱肉強食、どういう意味であれ、弱い人間は生き残れないと思っているわけ。
私もそこには同意する、強いことは美しいし必要なことだと考えている。
強さにはたくさんある。身体が強く病気をしないこと、お金が豊富にあること、生まれや周りの環境などが整っているという運、才能を持って生まれること、努力できる強さがあること、人を動かす力、自分で自分の未来を切り開ける強さ、そして意思。
私は、自分が弱い人間との自覚がある。理由は単純で、自殺をしようとしたから、つまり自分の精神や外部の圧力に負けたから。人のいいなりになったから、利用されたから。障害があるから。
だけど、私は今生き延びている、自殺をしても生き延びて周りには恵まれ、つまり運は強く生命力もあったということ、そして今は健康だということ、つまり今の私は過去の私よりも強い。

運が弱くて何か大変な目に合う人間はいる、生まれながらにして、人より「弱い」人間もいる、私はキレイ事でそれを否定はしない、事実そうなんだ。それを皆平等というのは暴力だ。
弱いもの同士が依存し合うのは嫌いだし、強いものに寄生するのも嫌い、私はそうではなく自分の意思で強くなる。自分が強いと思うものについて、強くなることを目指す。
健康、頭、人との関係。運はもうあるらしい。それを使い、最初に言った情を持つならそれは正しい。

正しく生きる条件だ。

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