Take it EZ! セカンドダンジョン

さぁ1週間が始まりますよ!先週は土曜の午後と日曜ががっつり休みだったけれど、休みはすぐ終わっちゃうね。また今日から6日間頑張っていきますよええ。

私は、本当の意味で「落ち込んだ」ことは少ない。そりゃ、引きこもってみたりいろんなとこからドロップアウトしたり、死のうとしたり負の意味で忙しかったけれども、そのときに落ち込んだかというとそうではない気がする。
多分、どちらかと言うと、何か嫌なことや自分では認識できていないけれど無意識で「不快だ」と感じたことなどに対しては感情より先に「どうすればいいか」という思考が働くようにできているからだと思う。

落ち込む、という事態とはどういうことなんだろう。
例えば、人間関係が上手く行かず人とぶつかったあと、入社や入学や資格試験に落ちたとき、懸命にやってきたことに対する結果が悪かったとき、嫌なことを言われたとき、などかなと思うのだけど。
落ち込み方の典型は、部屋にこもる、口数が少なくなる、食欲がなくなる、等、生きること行動することのパワーが無くなることだと私は捉えている。ただし、逆の人間もいる。
逆の人間には2パターンあると思う。一つは、落ち込むべき事態をすぐにバネにする人間。あぁ失敗した、人と上手く行かなかった、そしたらどうすればいいんだろう、次の手は何?どうすれば最高に上手く行くとまでは行かなくても、ベターな状況になるだろう、そう考えて進む。もうひとつは落ち込むべき事態から逃げたり忘れたりするためのアクションを起こす人間。これは簡単で、お酒に走る過食に走る薬に走る暴力に訴える死ぬ。

まっすぐに落ち込む人間は、素直なんだと思う。ただし、本人はとても苦しい時間を過ごさなきゃなんなくなるし、そこで何か得るものがあればいいのだけど下手すれば何も手にはいらない。落ち込むのは別にいいと思うのだけど、その「落ち込み方」がうまい方がいい。落ち込んでる自分を見つめてみるとかさ、まぁ私は落ち込むことがないのでその気持ちはわからないしどうでもいいから下手なことは言えないけれどね。
逆の人間で、すぐに前に進むための対処を考えられる人間は、ある種のパワーがあると思う。まずは状況を直視して一瞬はうわぁ最悪、ってなりつつも、切り替えられる人間。ただし、これは仕事とか、ある種の人間関係とかで、切り替えられるからいいのであって、それが自分の根幹に関わるようなことに対してぱっぱと切り替えていたらいつか精神が壊れるだろうな、と思う。もしも、いつもさっさと対処だけを考えてそれで精神が壊れないならば、その人はきっとものすごく意思や精神が強いか、何か強烈な目標があるか、超鈍感な人間なのか、人を蹴落とすのに何も感じない人間かそのどれかであり、ある意味でゆがんでいるのかなと思う。
逃げたり見ないようにするための対処をする人間、これは厄介だと思う。まず、逃げる忘れるためには、その対象がおおきければ大きいほど、何か他のものに気持ちを置き換えなければならなくて、置き換えは一歩間違えると依存につながる。そして、世の中には依存できるものがたくさんある。お酒や甘いものや買い物やギャンブルや薬や仕事、そして人。気持ちの置き換えを間違えて何かに依存してしまう人間は、今度は依存している自分を直視することから逃げてしまい、そのまま何が本質か見えなくなり話しがごちゃごちゃになる。

私は、十代の終わりから20歳の途中までは完全に最後のタイプだった。失敗すると、その場からとりあえず逃げて、でも逃げたという罪悪感があるからそれを埋めるために他の行動を始め、そんな気持ちで始める行動だからそれも上手く行かず、何かに依存。働くことと、過食。で、焦点は過食になった、だけど運がいいことに、主治医のじーさんは過食に焦点をあてずに、それよりももっともっと深いとこを見てくれた。私にはそれはなにか分からなかったけれど、多分それは、逃げなければ精神を保持できない私の何かしらの性質だったのだと思う。その時に言われた、こっちは過食でマジな悩んでるのに、「パワーがある」と。それは、逃げかた、つまり一種の精神に対する対処の仕方が「生きる」方向を向いているということだった。

それから、私の対処は2番目に挙げた、「やっちまったなぁじゃあどうすればいいか」という思考型に完全に変わった。変わったというか、戻った。小さいころはそうだったからね。ただし、今度はほとんど全てのことに対してそんな対処になったので、自分の感情が置き去りにされることが多くなった。転び、起き上がるのは早いけれどいろいろなものを落としたままにし、なんのケアもせず拾いもせずに突っ走る、つまり、「立ち直りは早そう、でも傷は元に戻さなそう。だから歪みつづけて、どんどん少数派になっていく」。
そして、それでも対処できないとき、私の対処はひとつになった。つまり死ぬこと。どうすればいいかを即断できないとき、そして即断する気力がないとき、私は「素直に落ち込むこと」を徹底的に避け、死ぬことを苦もなく選んでいた。
それが、だんだん変わってきた。素直に落ち込むことに対して、自分の許せるようになってきたと思う。やはりそれは、とても苦しいことだったけれども、感情は整理された。そして、その過程を踏むことで対処はより深いものになるのだということを知った。

私はただでさえも縮まった時間を、これ以上無駄にしたくないし、スピードは落としたくない。だから、瑣末なことでは落ち込みたくないし逃げたくもない、ただ対処したい。
だけど、自分が本当にどうしようもないほどに、対処方がうかばないとき、それはきっと自分の本質や一番痛いところに関わる事態が起きているわけで、そのときには一度「素直に」落ち込むこともありかなと思った。

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