Take it EZ! セカンドダンジョン

今日で前期の授業は終わり!あとはテスト期間中にテストを4つ終わらしたらすべて終わりだ。がんばったがんばった!まぁ昨日の文化人類学のテストは、授業を全く聴いてない上にテスト勉強を1時間しかしなかったから落ちたね!

最近調子いいし、代わり映えのしない毎日だけど充実してるといういい循環ができているのは自分自身がとてもよくわかっている。でも、同時に自分の破壊衝動が全く消えていなくて、いつでもこんにちは、って出てこられるのもよくわかっている。
私は、20歳で専門学校をやめたとき、数週間だけだけど引きこもった。バイトも行けなくなり、学校をまたドロップアウトしてしまった自分が最低で生きている価値がないと思い、自分を崩したくなった、でもそのときはODなんて知らなかったし、いいこちゃんのお嬢様(言い過ぎw)だったので荒れることも知らず、何をどうしていいか分からなかった。そんなとき、なんとなく夜に本屋に行ってなんとなく買った、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読んだ。最初は吐き気がするような描写ばかりが続いた。精神薬や眠剤を大量に飲むことすら知らなくて、ましてやドラッグとは縁が遠いし、処女だったからセックスや、乱交の様子なんて分かるはずもなかった。今の私なら、その本に出てくるレコードが私の好きなものばかりで、おっ、ってなってただろうけれどそのころの私にとっては音楽一つ、理解できなかった。

だけど、何かが響いた。何かわからなかったけれど、読み終わって呆然とした。確かにドラッグの描写はよく分からなかったけれど、最後のバスルームに駆け込むところのリリィとの会話やリュウの精神状態が崩れていく描写に、ある種の心地よさを感じた、そして引きこもりは終わった。その2ヶ月後には、ハロワで職を見つけて働けるようになって、そのまま今に至っている、まぁそのままとかいいつつ、いろいろあったけれど笑

今年の2月、ODする一週間前、例の人の車の中でヴェルヴェット・アンダーグラウンドの一枚目を聴いた。初めて聞くような音だったし、ノイズがすごいし、楽器の使い方がおかしいことは分かって聴いてられないと思った、ルー・リードの歌い方がやる気あんのかよ、とも思った、だけど、ヘロイン、っていう曲と、ヨーロピアン・サン、って曲が頭に残った。
そして、OD明けのICU後の個室でもう一度聴いたとき、はっきりとピンときた。何がピンときたかはこれもまた、わからなかった、けれど何度も何度も聴いた。ヌマに入院しているときはこのアルバムを1日中聴いた。

今、その時よりも本を読み、音楽のバリエーションは圧倒的に増え、例の人と対話を繰り返し、そんななかでなんで自分がそれらに引きつけられたか、わかってきた。
破壊衝動を代弁してもらってたんだな、って。
やり方がわからなかった20歳のころ、そしてOD明けで動けなかった2月3月。自分じゃできない破壊活動を、その本を読むことでまたは音楽を聴くことで浄化していたのかもしれない、って。
ヘロイン、って曲は、終盤から完全に狂う、ジョン・ケイルのバイオリンが歯医者じみてくるし、モーリン・タッカーは一体どういうドラムの使い方をしているか不明だし、ルー・リードは笑っちゃってるし、不快と言えば確かに不快かもしれない、だけどそれよりもその壊れていく様が心地よい、もっと崩れろもっともっともっと、っていうのがはっきり形になって最初の、これどうなるの、っていう不安が依存性のあるような心地よさに代わる。ヘロインについての曲なわけで、本来はそれによる脳の変化が引き起こしてるものを、表現したという感じなんだろうけれど。もちろん私はヘロインをやったことも見たこともないけれど、その崩れ方が心地いいんだろうなということはなんとなくわかり、やってみたいとまでは思わないけれどそのような気持ちに一瞬でもなれることをとてもとてもうらやましく思う。

私の破壊衝動は消えていない。今週の日曜日、とても静かな実家で、最近の生活が上手くいっている自分を再度見つけたときにそわそわした。これじゃいけないなと思った、そろそろ崩す時かなぁ作ったら崩すんだもんな、といつもの癖が出てきた。「だからたまに、多量の錠剤や粉末の眠剤やICUや当時破壊したかった対象がどうにもなつかしくなって今の落ち着きが馬鹿馬鹿しく思えるので、きっとこのままではいつか繰り返すと思うのです。」

思う、いつまでも、浄化して「もらって」いるだけではダメなんだ。
この破壊衝動は、いつかなにかの形で表現すべきだし、表現の仕方を本気で模索するべきだ。そうでないとまた繰り返すだろうし次は死ぬだろう。きっとその表現は、私にはセンスがないので、「行動」という形になると思う、だけどそのやり方はまだ少しもわからない。ただし、それが必要だということは、最近思考を重ねてようやくわかってきたんだ。

「それはこの女が方法を知ろうとしていないからだ。悲しみを表現する方法を知りたいと思う欲望と、知ろうとする意思がない。欲望と意思が絶対に必要だということさえ知らない。この女はしかも特別なわけじゃない。昔のオレも、今のオレも、昔のオレのまわりのすべてもこの女とおなじだった。」
-村上龍『ストレンジ・デイズ』より

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