Take it EZ! セカンドダンジョン

雨が続く...じめじめして、不快度数マックスの最近w
やっぱ、昨日の知らせでそれからの学校・塾は少しきつかった。学校ではなんかテンション高めなのに、やっていることの効率が悪かった。もう帰りたいと何度も思ったけれど、動いてなきゃ逆にダメだと思って頑張ったよ。
今日は休みだけど学校行ってやること片付けてくる。動いていれば平気かなぁと、思う。

私は、死について真面目に考えたことがない。もちろん何回か死のうとしたことはあるけれど、「死ぬ」こと自体がどういった意味を持つのか、死とは何か、そんなことは考えてこなかった。じーさんは、そこを考えろと何度もいい、死に関する本をよく貸してくれるけれど、私はそれを読んだところでへぇそういう考えもあるんだね、くらいにしか思えなかった。

今、学校の教養で「倫理学」と「哲学」を取っている。私は今まで哲学も倫理も何も知らなかったけれど、それに触れて本を読んで、私が今まで思っていた死は、まったく普遍的でなくただの私なりの感じ方、だということに気がついた。発信する価値もないのかもしれないということもね。
じーさんが考えろと言うのは、私が今思っているようなこととはだいぶ違うのだろうと思う。つまり、「死?精神が消えるってことでしょ」なんて言っている間は、まともに思考ができていないのだと思う。私には、魂が何ぞなんてことはまだわからないし、今そのことを考えるには経験も知識もなさすぎると思う。だけど、いつまでたっても死に向かうことを止めない私は、そのことをいつかは考えないとこのまま感覚的に何もなさないまま、死ぬことになると思う。それでは、人の死に関わることにまともに立ち入ることが、自分にも相手にも危険になると思い、そうすると私が目標にしていることが意味をなさなくなる。

死の解釈や考えは、表面的には一つではないと思う。
例えば医者が考える死と、哲学者が考える死と、科学者が考える死、科学者の中でも領域が違えば死の捉え方も変わるかもしれないし、私が学ぶ心理でも捉え方はあると思う。もちろん、こう考えなさい、というものではなく、死をどう扱うか、例えば少しでも死なないようにするために考えるのか、そのものを考えるのか、生物的な死とはどういうメカニズムなのか考えるのか、少し離れれば、死の受け止め方について考えるのか、目的によって捉え方が違ってくるんではない?ということ。

なんだけどね、その根底にはきっと、どの時代・どの場所にも共通する「死」そのものが存在するはずなんだろう、と私は最近思う。
じーさんの質問はきっと、それを聞いているのだと思う。

それでもね、自分に引き付けた、死に関することが現実に起きた今、死自体を考えるなんてできないんだ。

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