Take it EZ! セカンドダンジョン

最近はそこそこ忙しいけれど調子は安定している。昨日の診察とカウンセリングでも特に今悩みがなくてなんか何も話すべきことがなくなってしまった。それくらい、安定しているし衝動的にもならない。毎日、学校へ行ってあとは塾に行ったり家事をしたり、課題をこなしたり、単調でこれといった面白みはないけれどもそんな日々の中でいい本に巡りあったりどんどん音楽を吸収したり、大学の勉強が楽しいと思えたり、それなりに充実しているのかなと思う。今週は週5日、例の人がうちにいて、そうすると生活も規則正しくなる、もちろんそれだけじゃなくて気持ちも安定する。本当にありがたいと思う。例の人の例の件も、昨日で本当に一段落した。もちろんだからこそ、これからどのように生きていくかを選ばねばならずに悩むこともあると思う、私はそんな彼の悩みや痛みにも、長くとことん付きあおうと思う。

7年前から、私は精神科との距離がものすごく近くなった。どっぷり入院したこともたくさんあるし、デイケアに通ったりとか、いろいろな療法(作業療法からカウンセリング、内観など)も受けた。それで、精神科には友達と言える人々がいるし、他にも自助会などで精神に疾患を抱える方たちとたくさん知り合った。とても嬉しいkとだと思う。
ただ、私は、もしかしたら穿った見方かもしれないけれど、精神障害がある人の生きるスタンスが2つにわかれていてどちらかを選ぶべしみたいなな風潮があるように感じて、それはあまり気持ちのよいものではないなぁと思っている。

2つのスタンスって、つまり「障害者として」生きるか、またはそれを隠して生きるか、ってこと。それはこのまま、職場でのオープンクローズにつながってくるかもしれないし、その前に働くか働かないかにつながってくるかもしれない。作業所やデイケアを利用するか拒否するかにつながる場合もあるだろうし、頑なに手帳の取得を拒むか受け入れるかにつながるかもしれない、年金もしかり。
例えば、ごくたまにだけれども、自分が寛解している(と思い込んでいる場合も含めて)からと言って自分は常にクローズで、だから他の同病者がさまざまな制度を利用したりオープンでいることについてとやかく言う人がいる。逆もある。あなたは診断されたんだから「障害者として」生きろ、みたいな、つまり自分と同じような援助をうけろみたいなことを言う人間もいる。
...どっちも、余計なお世話でしかない。

私は、どちらのスタンスでもないな、と思う。学校やバイト先では、積極的に隠しているというよりは言う必要性を感じないし言って変に敬遠されるくらいならば言わないで変わった人くらいに見られる方がマシだ。もちろん金には困るので自立支援などは利用させていただいているし、前はデイケアも利用した、作業所だって探したし、入院に関してはもう何度もしている、そこでは障害を前提として(例えばブログを書く・見る等など、いや、ケータイやPCを使えようもないような)生きている人間がいて彼らとも私は接する。
障害者として生きろと言われれば、学校やめてまたは学校で援助を受けながら、更に社会的な援助を申請して生きることもできる。完全にクローズにしろと言われたら、金輪際人には自分の障害のことを言わないということもできなくはないと思う。
だけど、私はそのどちらでもない今のスタンスが、好きだ。
この間書いたように私の障害はけして個性ではない、だけど、これがあったから試行錯誤して成長したことは確かだ。私は自分のこれを完全に負だと思っている。だけどね、負って悪いことじゃない。負から生まれるものもたしかにあってそれは正ではないにしろ悪いものじゃないと思うから。

だから、この位置がでもう少しやってみようと思う。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ PTSD・トラウマへ
にほんブログ村

スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する