Take it EZ! セカンドダンジョン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
あっという間に土日が過ぎ、魔の1週間が始まる今日。マジで、今週はヤバイ。いつもどおりの学校と塾があって、精神科通院と形成通院があり、週末はオフ会。で、学校の課題や発表準備が6個、ここまででヤバイと思ってたら、今週末までに塾の担当の子たちのカリキュラム提出が迫った。昨日とおとといで結構片付けたけれど、まだまだ終わってない。うーん、退院2週間が過ぎて、最初の試練という感じ。まぁ仕方ない、がんばるしかない。

最近、病気や障害は個性、という言葉をよく耳にしたり目にしたりする。私はそれについて、正直少し違和感を持っている。感じ方は人それぞれだけど、さ。
私は、自分の障害...躁鬱とか発達、それに伴ってODしてしまうことなどを「個性」とは思えない。私はそれこそ、「障害」だと思っている。もちろん、「これがなければ」上手く行ったなんてことはないし、私の資質や持って生まれたものが病気や障害云々の前にかなり程度の低いものであったことはわかった上で、それでも障害は障害だなぁと、思ってる。

例えば、中学ごろから何かがおかしくて学校へいけなくなったことや、上手く適応することができず身体に変調が出てきたこと、おかげ様で勉強や部活を人みたく本気で取り組むのに支障が出たこと。仕事も長続きせず、常に違和を感じながら物事に当たらなければならないことや、自分ではごく普通にしているつもりなのにずれていくこと、ずれていくと思い込んでしまうこと。もし、これらの特徴が個性ならば、私はこんな個性いらないと思う。自分のことで、自分のいわゆる「妄想」で勝手に潰れて、自分を大切にしてくれる人に迷惑をかけ潰すこと。そんなのが個性だとは、私には言えない。個性だから、世の中に適応しにくいんだ、っていう、そこまではいいと思う。でも、私はその後がダメだ。だから死にますODします、だから人に迷惑をかけます。
もはや、個性だなんて悠長なことは言っていられないんだ。個性というのは、それを持ちながら生きていくことが出来て初めて個性になるのだと思う。私は、今の私の「障害」の部分を持ちながらだと生きにくいし多分、このまま行けば自殺で死ぬと思う。だから、私のこれは、決して個性にはなり得ない。

もちろん、個性だという人はそれでいいと思うし、確かに例えば躁鬱が、発達が、その人の今までを形作り、今ではいい方向に利用できたり生きる基盤になっている人はいる。まさに、個性、自分の一部にできている人はいて、それは素敵なことだと思うし輝いている。
だけど、私は他人から私の障害を個性と言われるのは好きではない。死にたくなる「個性」なんです、個性が暴走して未遂しちゃうんです、人殺そうかなって思うんです。人殺して逮捕されても自分が死んでも、そりゃ私の個性ですから、って、私はそうは思えないから、さ。大多数の人は、世の中で許される範囲を個性と呼ぶ。だけど私の「個性」は世の中で許される範囲をこす個性になりかねない、そして人はそれを、障害とか病んでいると、呼ぶのだから。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ PTSD・トラウマへ
にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。