Take it EZ! セカンドダンジョン

外の空気が変わっていくこのごろ。退院時には半袖だなぁと思うと、本当自分何やっているんだろうと笑えてくる。今年の1月から、入院してない時期を数えたほうが早い...いやもう数えられますよ、45日です45日。病院に「入院していない」ほうの日数が45日だからねwマジで笑うしかないこの事態。

大学に、「病んでる」ってことをアピール?する子がいる。もちろんその子は精神科に行っているわけではなく診断も受けていないようだけど、自分は病んでいる、というような態度を示すし、SNSでもそのような名前を使い、つぶやきは「病んでいる」ような内容が多い。周りの子は、あの子はSNS等でそういうつぶやきをすることで自分を保っているんだからいいんじゃない、多分本当にやばくなることはないでしょう、と言って見守っている。
もう少しで20歳になるその子は、確かに人間関係の築き方や保ち方が独特。うるさい感じのグループにはいるし、だれとでも気さくにしゃべれるのだけど、ものすごく気を使っていて自己評価も低い...そして、そのことを自分で話の「ネタ」にする。自分は性格が悪く、みんなと仲良くしても本当の気持ちは言えない...ということをよく言っている。あと、かならず自分の近くに自分よりおとなしい子を1人置いておく。

病んでいるかどうかはわからないけれど、不安定なんだろうなということはわかる。たしかにみんなの言うとおり、彼女はそういう部分を少しだけみんなに開示することで予防線を張れているし、なんとか自分を保てているのかなと思う。私は、それはそれでいいと思う。ただし、今の状況が続いてそのまま歳がいくと、壁に当たるかもしれないなとは思う。今の環境みたくそんな彼女を「受け入れる・見守る」っていう集団ばかりではないし、きっと自分の特性を隠したり自分をある程度分裂させて場に悟られずに適応することも必要になってくるだろうから。

病んでる、ということで心配されたり特別に思われたり、誰かから大切にされたりするということは基本的にありえないと思っていたほうがいい。もしも、誰かから特別に思われたり大切にされたりしたら、それは病んでいる部分ではなくもっと根源的なところを見てくれたと思ったほうがいいと思う。病んでいることは、武器にはならない。ってか、武器にすべきではない。
私は自分の20歳21歳あたりのことはあまり人に言えない。みんなが当たり前にできていることができず、過食を繰り返し、外の同じ年くらいの子たちが怖く羨ましく、だけど縮こまっているしかなく、惨めだった。そんな自分を「病んでいる」とは思わなかった、そうではなくてマジでただの落ちこぼれ、だと思っていた。外では心配なんていらなくて、悟られたくなかったし見つかりたくなかった。病んでいることが、何かの許しになるわけないし、ましてや何かのステータスになるなんてそんな発想はなかった。

腕から肩まで何度も何箇所も切りまくって、でもその痕を「マスクメロン」と言えるツワモノ。日曜日に切りすぎて出血多量で病院をさがしまくったこと、過食で冷凍食品をそのまま詰め込んだこと、そんなことを初めて出会った時に話してきた女性。妄想がいきすぎて、自分の自叙伝に変な告白文をつけた手紙を郵送してきた男性。入院しながらドラッグを続けるバカ。
彼彼女らの過去や日常は、病んでいると思う。でも本人たちはそれにしがみつかない。むしろそんな状況であっても、よりよくしようとする。そのやり方がおかしくて、上手く行かなかったとしてもね。望んで病んだのではなく、病んだその先でそこにとどまることも選ばない...当たり前のことだと思う。
でもなんか、最近はその当たり前が通用しないなと感じる。病むことを正当化し、病むことで自分を差別化し、アイデンティティの一部にする...って、なんか違うくない、と思う。そしたらヤツらはどうすればいいんだ、っていう、純正「病んでいる」人を知っている私は、病んでいることによって自分を保つそのやり方に、違和感を覚えるんだ。ただし、その保ち方が板に付くと本当に病むことになるとは思うけどさ。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ PTSD・トラウマへ
にほんブログ村
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する