Take it EZ! セカンドダンジョン

私が今までがんばってきたことってなんなんだろうって思う。マイナスの意味で悲劇のヒロイン的に言っているわけじゃなくて、落ち着いて考えるとさ、私が今までがんばってきたはずのことって、どこかピントがずれている気がして。

今、私が頑張るべきは、たぶん、大学で行うべき勉強だと思う。興味のある分野でしっかりと学ばせてもらっているのだから、やらされているわけじゃないのだから、がんばれよ、ってね。
例えば、大学受験はそうだ。なぜやるか、大学に受かるため。当たり前のことだ。でも、私はなかなかそれを目標に頑張ることができなかった。高校3年生のころは、皆が行くし受験するし、進学校だったし、私は成績悪くなかったから当たり前みたく受験勉強してたけど、ちっとも「目標」に対することじゃなかった。志望校もなく、行きたい学部学科もなく、先生の言うとおりに受けた。さすがに、「電気電子工学科」だけはお断りさせていただきましたがw
ただ、模試の結果が気になっていただけ。理系の分野でいい成績取るのはおもしろかったし、それに関する勉強はわかると「すっきり」するから、やっていただけ。だから、本来は必須でそれなしじゃ受からない、英語や国語等はほぼ勉強しなかったしね。

小さいころからの習い事、学校の部活、それらも同じで、上達しようとか勝ちたいとか上位に行きたいとか、そういう健全な理由で努力したわけではなかったと思う。ピアノなら、とりあえず目の前に発表会があるから、わけわからん合唱コンクールに駆り出されたから、部活は、なんか部の中じゃ結構がんばらなきゃいけないポジションになっちゃったから。さめていた。

仕事も、例えば売上を伸ばそうとかそういうのじゃなくて、上司を尊敬していてその人が大変そうだから力になりたかった、とか、普通にやってたらそれなりに評価されてしまって、がんばらざるを得なくなったからとか、つまりすべて受け身だった。
24歳の受験は、その点では目標は明確だった。だから、受かった時はとても嬉しかったしがんばろうと思えた、そして今は、こんなどうしようもない状況になったけれど、とにかく進級、卒業に向けて頑張っている....
でも、そもそも大学に行くのは、卒業したいからなの?何か目に見えるものが欲しいからなの?そう自問自答するとそれは、違う、と思う。
もちろん、自分が関わりたい還元したい対象はあるので、そのために知識をつけ知恵を持つ、そのための時間と場所であるということは、私なりの大学への思いだ。自分が大学にいる理由は、それだと思ってる。

なのに、努力が足りなかったり、100%どころか30%くらいしか頑張れていなかったり、その途中ですべて投げ出しそうになったり、やっぱり私の「何かをする理由」には明確な理由などないのではないかと思ってしまう。
もしかしたら、大体の人間はそうやって生きているのかもしれないけれど、私は生きることが難しいから、だから生きるための理由付けをしたくてひいては、頑張る理由を明確にしたくなるのかもしれない。

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2015/04/25(土) 21:11:20 | | #[ 編集 ]
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