Take it EZ! セカンドダンジョン

今週から本格的に学校が始まる。先週はガイダンスを聞き履修を考え、ようやく2年生が始まるという実感を持った。
土曜日は千葉オフでいつもの素敵な方々と会え、新たな出会いもあったし、昨日は数年来の病院仲間と集まって話をすることができた。来週の手術前検査も完了したし、無理なく日々が進んでいる...はずなのに。

退院してから、気持がまったく落ち着かずにそわそわして生きている心地がしない。躁鬱でいえば、きっと「混合状態」といわれるものなんだと思う。頭がとにかく重くて、行動するまでにものすごい気力を要するし、頭の中や自分をきとりまく空気が常にざわつき、意味がわからない。
だから、私はロヒプノールを噛む。ひどい時は2㎎、あとは割って1㎎。もちろん、ワインとか、度数の強めなお酒で。学校へ行く前、病院へ行く前、起きてすぐ、人と会いに行く前、寝る前。いつでも飲む。眠くするためなどではなく、少しでも頭の重さや自分をとりまく空気を感じないようにするために、ね。もうシラフでは生きられないんだ。そして、ロヒプノールとか、ああいった飛び方を覚えてしまうといくら強いお酒飲んだって気が済まなくなる。つまり、私は眠剤に依存しつつある。

昨日の夜中、例の人が仕事帰りに私のアパートへ来て一晩一緒にいてくれた。音楽を聞き、おしゃべりをして、そしてとなりで寝てもらった。もちろん、とても安心したしありがたかった、だけど。だけど、薬には勝らない。私は明け方に眠剤をお酒で入れた。寝るためではなく、現実から少しでも逃避するためにね、大切で私のことを何よりも考えてくれる人間の前ですら、そういうことをした。
だけど、例の人は分かっている。何かに...つまり、いわゆる「薬物」に依存するということがどういうことか、依存した人がどうなるか、そして、それは一生ついて回ることとか。誰よりも、知っている人なんだ。だからやめろとも批判も非難も何もしなかった。私はその態度に多いに救われたんだ。

薬で意識が飛び、解離に近い状態までになり、それなしではいられない。本当は、まともならば、病院に行くべき事態だろう。じーさんに言って、何かしらの処置をしてもらったりとか、さ。だけど私はそれは何か違う気がするんだ。薬を使う理由は完全に「この世界がきつすぎるから」。そうしている間に、依存に陥り、今度は薬の効果が切れるのが怖くて薬を使うようになる、最終的には、使うことが生活の一部になる。ご飯を食べるのとか寝るのとか、そういうのと同じレベルで活動するために、燃料として眠剤を入れるようになる。私はその手前まで来ている。
それでも、生きねば、学校へ行って、普通の顔をして一般的な生活を送ることをしなければならないのであれば、私はいくらでも利用しようと思う、今は。

きっと、薬物やアルコールにはまる人は、何かの二次障害なのだろうな、生きにくい何かを持ち、何かが欠落しているせいで耐えられなくなり、それが目に見える依存という形で表面化しているのだろう、と思った。私が少し違うのは、私は眠剤とともに、それを受け入れて見ていてくれる例の人にも依存しているということ。人にまた馬鹿な依存をしてしまうくらいなら、自分を何らかの形で損なったほうがマシだと、思う。そこが、物質依存と人への依存の違いだと、思うんだ。

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2015/04/09(木) 05:50:12 | | #[ 編集 ]
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