Take it EZ! セカンドダンジョン

前から書いているように、私には「場」が何箇所かあって、たまにそれぞれの場がものすごく分裂してしまう。分裂しているように感じてしまう。学校、病院、あの街。どこも大切で大切な人がいる場だけど、それぞれの環境が違いすぎて自分をその都度変えなければならなくなってしまう。それは、いつもは意識しなくてもできるようになってきたけれど、やはりそれは精神の疲労の大きな原因となっている。
じゃあ、なんでそんなに分裂しているところに身を置かなきゃならないんだ、疲弊するなら抜ければよくて、統一させればいいだろ、って感じだけど、それはできない。私の生き方は結局、表面化はしなくても精神的には分裂していることが多かった、というか常にそうだった気がするから。気が付かなかっただけで、さ。

例の人は、私みたいに気がついたときから(生まれたときから?)の性質として分裂せざるを得なかったわけではなく、自分で自分を「演出」することを選んだ人間だ。好きで分裂した人間。
その人は言ってた。分裂していても、一つが自分の中で平等であれば保てるはず、と。どこの場に行っても、通用するものを一つ持っていればそれで生きられると言っていた。その人の今までの「平等なもの」は、通常の世界では逆に受け入れられないものであったわけだけど、彼が生きている世界の中の、あらゆる場ではそれが平等に機能している。
ただし、私が生きているのは一般的な通常の世界。私の分裂は通常の世界の中で、自分の精神的な歪みを出さないことと、ある程度表面化させることと、歪む方向に突き進むことを、その場に応じて変えねばならないこと。順に、大学生としての私、精神病の私、あの街で精神的におかしい自分を武器にする私。
だからこそ、彼のようにそれらの場に共通なものをこれと言い切ることはほとんどできない。物質的なものであればなおさらね。

それを言った。あなたは、そもそもの世界が一般的ではないからそれが可能なのではないですか。一般的な場を持っていたのであれば、平等なものなんてそう簡単に見つからないよ、と。その人は、それもそうだけど、平等なものは、態度とか所作、言葉遣い、言い回し、服装、概念、信念、表情例えば笑顔、目に見えないものだっていいはずだ、それが支柱になるなら、というようなことを言っていた。
じゃあ、自分のそれはなんだろう。そう思ったけれど、わからなかった。例の人も、それを失いしかも一般的な世界にも生きねばならなくなるこれからは、再度自分のそれを見つけなければならないだろう。一般的な世界と彼の生きてきた世界は違いすぎる、つまり分裂は確実に今よりも激しくなるから。
私のそれはわからないけれど、どの場でも人から言われるのは、誰とでも平等に接し話せること、らしい。それと、笑顔がいい。その2つは褒められることが多かった。けれど自分ではピンとこない。誰とでも平等、っていうのは結局、誰と接していてもその人のほうが私よりもすべてにおいて素晴らしいと思ってしまいうので誰に対しても自分を低くおくからそう見えるのだと思うし、笑顔だと思われているのはへらへらしているだけ。

ただし、自分がどの場でも大切にしている自分の信念なら、漠然とわかる。それは、どんなやつでも今話していたり目の前で対峙する人にたいして、心を置こう、ということ。その瞬間だけでも本気でかかわろうということ。それだけだと思う。できるだけ芯からくる言葉をつなげようということ。それだけ、だから、目の前の人にしっかりした言葉をかけることを、どの場での大切にしたいかなと思った、今の時点ではね。
ただ、そのことが、自分の分裂の根底で一つの共通なものとして根を張れるかどうかは分からない。
例の人は、更に言っていた。自分の中でもそうだけど、どの場のあなたも知っていてその上で同じ方向を向ける人間が1人いればそれで落ちつけるはずだし、きっと潰れない、と。

つまり、この人がそうなるということを言っているわけで、それはとても有り難いことだけれど、でも私はこの人に対してはまだ損得勘定が抜け切らない。それを知っているくせに、言い切れる真意こそ、分からない。
余計に分裂しそうだ。

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