Take it EZ! セカンドダンジョン

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私には、私以外の人が死にたい理由など分からない。
死にたいっていうのは、たいそうな心持ちなはずで、だから死にたいと感じている人はなにかよほどのことが精神に巻き起こっている只中なのだと思う。だからこそ、その人の精神の嵐を理解することなんて、不可能だ。

世の中には、いや、世の中の多くの人は、自殺は「ダメ」という。もう、問答無用で。そりゃ、「素敵」な考えですね正論ですねと尊敬しちゃうような考え方だけど、私からしたらまったくもって意味不明だ。
1人1人の自殺の原因は、多種多様なはずだ。一口に、暗い雰囲気のする「自殺」という言葉。でもその中には、自殺した個人個人やこれから自殺しようとする人たちの、みんな違うはずの思いがある。金銭面の辛さや、社会的に認められないみたいな辛さや、疲れや、恵まれていても感じる虚無感のせいや、なんとなくや、誰かの死から立ち直れなくなったからか、トラウマに耐え切れなくなったとか、過去が重すぎてとか、生きていくにはどうしようもないほどの各種暴力に耐えられなくなったとか、これは想像力のない私が思いついたことだけどその他にもたくさんのたくさんの理由があると思う。

私には、「死なないで」とは言えない。例えばきっと、とても大切な人間が私にいたとして、その人が死にたいと言ったとき、本気で止めるかどうかわからない。もしかして私が、その人にとって一番いいことが死ぬことだと判断したのならば、死ぬのもいいんじゃないと言うと思う。事実、私はYにとっての一番良い選択肢は死ぬことだと思う。まぁ、この場合はご自身が生きる気まんまんだから、意味ないけどさ。嫌味とかディスじゃなくてマジで「死んだほうがよい」と思う人間もいるのだなと、知った。
そして、私もその1人だと思う。もしかしたら、っていうかきっと、死んだほうがいいと思う。そりゃあ、倫理的というか一般的な意見からすると「死んだほうがいい「人間」などいない!」みたいに考えるのが順当なのだろうけど、私はどうしてもそう思えない。

私は、私には手のほどこしようもなくて、とても苦しんでいる人間に対して「死なないで」とは言えない。その「死なないで」って、きっと「死ね」と同義語だと思うんだ。正直、死ぬ死なないは自己判断でいいと思う。
死なれて傷つくのは周囲の人間。つまり、「死なないで」というその人。その人は、死のうとしている人が死んだら、自身が痛むから、死なないでと言っているように思える。私が死にたい側の人間だったら、勝手に痛んでろと思う。なんでお前の都合に合わせて「死なないように」しなけりゃなんないんだよ、ってね。

でも、きっとお互いにとても大切に思っている関係での、「私はあなたに死なないでいてほしい」は、違う効力を発揮すると思う。そのときは、きちっと伝えればいいと思う。私はあなたが死んだらとても困ります痛いです傷つきますそれが怖いです。なのでどうにか生きてくださいませんか。
こんなの、大して知りもしない人やどうでもいい人間に言われたって、そんなの無駄。だけど、こちらも相手のことをとても良く思っていて、相手を傷つけたくないなという思いがちらっとでもあり、そしてその思いがストッパーになったときは、死なないですむと思う。ただし、ときにはそれでも死ぬこともあると思う。そのときは、死なれた側の人間は、もちろん傷つくけれど、それもどうしようもないことなのかなと思う。

私はとても死にたくてそのまっただ中にいるときは申し訳ないけどほとんどの人間の声が聞こえない。ときには誰の、つまり自分のもふくめて、声が聞こえなくなってしまう。
だけど、それをたまたま乗り越えられたときに人から「死なないでくれて本当によかった」と言われると、あぁやっぱり生きていてよかったと思い、次の自殺衝動までの時間が長くなる気がするんだ。
だから、私は、誰にでも力を込めて「死なないで」だなんて口が裂けても言えないけれど、私のエゴにおいて、死なないでほしいなと思うことは多々ある。そして、死なないでほしいなぁと思ったときは少しは行動に移すかもしれないけれど、その行動は私が勝手にやったことであり、相手の感情とはまた別の全く関係のないところにあるということを、しっかり意識しておかないといけないと思う。

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