Take it EZ! セカンドダンジョン

今日は少しあたたかくて、良かった。そろそろ受験シーズンも本格化。去年のこの時期は、私自身が大学受験でひーひー言ってたのに、今は教える側としてひーひー言ってる。おかしなものです。

この半年、私は入院したり解離症状を起こしかけたり、PTSDが発覚したり自分の大切な人が陥った事態で自分も痛んだりして、ハタから見りゃ(ってか自分から見ても)ろくな半年じゃなかったと思う。
でも、私はこの半年を、とてつもない幸せの時期だったように感じる。だからこそ、怖かったし破壊衝動もその分大きくなっていったのだと思う。

学校での人間関係、多分、「普通」の人間関係で友達関係で、あたたかさも気遣いも悩みもある場所に自分がいることのできた幸せ。
学校で普通に勉強できて、例えば課題とかレポートで悩んだり頑張ったりできる幸せ。
病院とか、自助会とか、バイト先とか、他の人間関係や場所が崩れなかったこと、それぞれの場所で意味は違えど、受け入れてもらえたこと。その幸せ。
偶然出会った人に、これからの人生に関わるであろう大事なことを気が付かされたこと。その人に私も影響を与えられた(らしい)こと。その人を待つ過程で、自分も成長できたこと。とんでもない痛みは伴ったけど。
Yに対する気持ちを整理し、歪んだ関係を少し客観的に捉えることができて、ごまかしや理想化のない感情を持てるようになってきたこと。

いろいろな場が、私を分裂させたけれど支えてもくれた。恵まれてるなぁ、幸せなんだな私は、と再認識する。
でも、だからこそ、怖い。
もろくて儚い、幸せだから怖い。
学校はそのものを失ってしまうかもしれない。付随して人間関係なども消える。
そのほかの大切な人間関係も、私の一言や不用意な行動によってすぐに全部崩れる。今までは正直、崩れてもいいやと思ってた。こういった気持ちになりたくないし、不用意にならないように注意して生活するなんて面倒くさすぎてごめんだと思っていたからさ。
なのに今は、人を思いやる、っていうのかよくわからないけれどとにかく、人の気持ちとかを考える努力や注意をしてでも、大切なものを失いたくないと思う。積極的な努力をするのはまだできないけれど、最低限の失わない努力はしようと、思える。それには失う覚悟と失わない覚悟の両方が伴うから、今までの私のやり方...失おうがなんだろうがどうでもいいって考え...よりもだいぶキツイものだと思う。

それでも、その覚悟を持ってものごとにあたったほうが、充実した関係を築けるし自分も満たされる、つまり「幸せになれる」のだと思う。そうやって、受け身だけじゃなくて自身の痛みを受け入れてや努力をして手に入れた幸せ的なものなら、怖がらずに素直に享受できるのかなとも思う。

この考え方は、例の人とのやりとりの中で手に入れた。もちろん理由はそれだけじゃないけれどこの人はとても大切な人になったし特別な存在。
なのに、もう時間がない。新たな痛みまでのカウントダウンは、すでに始まっているから。

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コメント
幸福論
うらさんの幸福論、胸に響きました。 

本当に、痛むことを覚悟することなしに、幸せは勝ち取れないと思います。 失う、失わない覚悟を腹に決めて、何度でも人間関係に挑んでも、その覚悟は必ず試されて、何度でもぼろぼろに傷つくのが人生なのかもしれません。
それでも何度でも這い上がって、愛を信じる気持ちを失わないでいれば、きっと「このために生きてきたんだ!」みたいな幸せの瞬間を勝ち取れると思います。

うらさんが前に、幸せは一瞬だけ感じるものだと書いていたよね。痛いばかりの期間の方が、幸せの一瞬より圧倒的に長いと思うけれど、その一瞬って、それまでの痛み全部を埋め合わて、さらにあふれちゃうぐらいの幸せが思い切り凝縮されているんだろうね。

うらさんにとって、彼の存在が、愛を信じようと思わせる力があるといいね。心からそう思っています。

りさ
2015/02/07(土) 01:22:00 | URL | りさ #9fYl7j0o[ 編集 ]
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