Take it EZ! セカンドダンジョン

やべぇ暇だw塾は夕方からしかないし。
昨日、ようやく退院した。一昨日、学校から病院にもどってじーさんと40分くらい話して、昨日はカウンセリングして終了。
じーさんからは、大学はかならず続けるように言われた。そりゃ、そうしたいけどさ。私は普通の考えからはぶっ飛んでいる人間らしくて、かつ壊し屋なんだって。いいところまで行きそうになると、自分や周りの状況を壊したくてしかたなくなる。壊した先で何かが待っているように感じているらしい、それで求めているものは命の根源みたいなもので、それは自分を壊すことによって手に入ると、私のどこかが思っているって。でも、本当はそんなもの、はじめから「ここ」にあるわけで、壊すことはむしろ、どんどん自分を崩して本当に求めていることから離れていく行為でしかない、みたいなこと言ってた。あとは、デフォルト・モード・ネットワークがどうだとか、脳科学的な話をされたがちんぷんかんぷん。DMNに関してはこないだ生命科学の授業で習ったし、サイエンスZEROもみたんだけどなぁ、私の頭が悪すぎていまいち概念がわかりませんすみません。わかる人おしえてください。けど、DMNは認知症からうつ病、発達障害、精神疾患、いろんなものに関わっているらしくて、今かなり研究されているそうなので注目するべきものなのかなぁと思い、私も春休み中に勉強したいと思うことの一つです。

で、昨日のカウンセリングで思ったこと、の前に。こないだの心理検査の結果を見せてもらった。解離は正常値にはいった。PTSDは確定的。特に、心理的なダメージがほぼ満点。ただ、前回から、少しずつ、自分がされていた時の気持ち「嫌だった、みじめだった」等の発言が出ているらしくてそれはいい傾向だとのこと。
カウンセリングでは、退学したい(?)理由を言った。居心地が普通と逆の意味で悪いこととかさ。その話の中で、自分の小さいころからの考え方に触れた。カウンセラーさんが私の特徴的ないいところは、「誰にでも公平に接する」ことだと言ってくれた。これって、Yや例の人にも言われたことがある。Yからは偏見をしない、と言われたし、例の人からは「ゼロ目線のを持っている」と言われた。ピンとこないから、そんなもんかな、普通なんだけどな、と言ったら、例えば、の話をしてくれた。
病院の待合室で。私はヌマには結構たくさん知り合いや友達と言っていい人たちがいる。最初に入院したときに、私はヌマにすごく助けられた。そのときに一緒に入院していた人たちは大切な仲間だと思っているし、だからあいさつしたり一言二言言葉を交わすことは当たり前だし、気の合う人とは病院外でもあったりしてる。病院患者のネットワーク、私はそれがあってもいいものだと思ってるし、発生して当然のもんだと思ってる。

けど、意外なことに、私とかヌマの中でもそれなりに「しゃべれる」患者さんは、そうでない患者さんに「馴れ馴れしく」「友達と」認識されることが嫌だって思ってることが少なくないんだって。PSWさんや心理士さんや医者と、そういった患者さんと話すときはがらっと態度がかわることもしばしばなんだって。
で、私には全くそういうところがないし、むしろ待合室とか喫煙所でいろんな人に声かけられて、みんなと話してることって、稀有なことだと。
Yにとっては、21歳のときにYの過去を知っても別に態度を変えなかったことを言っているのかなぁと思う。例の人は、例の人の店やその人を避けるわけでなく興味を持って、どうにかして対等に渡り合おうとしていたことを言っているんだと思う。でも、私にも嫌いなやつやどうでもいいやつはいる。それは、どこの場でもいる。それこそ学校や過去の仕事や、病院や自助会、どこにでも好きなやつとどうでもいいやつと嫌いなやつが存在する。でも、「そこの場所」を嫌いになることは少ないと思う。そして、どんだけ嫌いなやつも、いいところや見習うべきところはあるように思う。きれいごと並べやがってと言われそうだけど、これが私のちいさいころからの価値観だから仕方ない。

でもね、私のこの価値観は、決してきれいごとじゃなくて、逆にとても無責任で汚いことだと知っている。
嫌いでない、大体のことは許容。例えば病院の中で、「それはどうなの」というような行動をとる(病状というよりは性格的な面でね)やつや、Yの過去の反社会的行為や私にした暴力の数々、例の人のこの間までの社会的に制裁を受けてしかるべき状況等々、そういったものと、その人のいい部分の人となりを、ごちゃごちゃにして考えてしまうから。その人方のなかにはいいところと、やっちゃいけない悪いところが存在しているはずなのに、でもこの人はこんなにいいところがあるからと、許容してしまう。結果、Yの私に対する暴力や精神的な圧迫を助長してしまうことになった。きっと、私が人を否定しないことで逆に人を追い詰めていること、気がつかないところであるのだろうと思う。つまり、人に対して禁止や注意ができない。
無責任。それによって人がよろしくない方向に行ったとして、責任とれるの、と聞かれたらそんなことできるわけないのに。人の中の、いいとこやっちゃだめなとこのせんびきができない、そして、人と自分のせんびきもできない。最低だと、思うんだ。
だからきっと、公平に接することって人をそのままに見ることと、いいところはきちっと認めて伝えながら、ある程度批判的に見ることと、それすべてが整ってようやくできることなんだと思う。私には一生できないことだと思う。

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