Take it EZ! セカンドダンジョン

久しぶり...2週間ぶりくらいの私です。
先週からだるさと胸の痛み、たちくらみ等についての診察を受けに総合病院に行ったり、ゼミ等の件で学校に行ったり、塾の他にも単発バイトに出かけたり、週末はウェーブ、日曜は高校の部活の同級会、などでバタついてました。今週はあまり出歩かずに済むゆるめの1週間、になるといいな笑

もう少しで春休みも終わる。授業開始まで、あと1週間だ。
最近、私たちの専門分野(でもないんだけどw)に新たに国家資格ができた。私はそれを取ろうとしているのだけど、要領を見てみると、どうやら今のままでは少し厳しそう。もしかしたら、半期(5年前期?)大学に残らなければならないかもしれない、という事態が起こっているのだけど、多分、学科も何かしらの措置を取ると思うのでまだわからない。
とにかく、来年度と再来年度は、心理漬けになるんだろうな、と、いうこと。

勉強って、私は多分嫌いではない。じゃあ好きかって聞かれると、それは絶対に違う。
確かに、自分が3年でやろうと思っている実験については興味はそそられる。だけど、毎日そればかり、「好き好んで」考えているかというとそんなことはない。
読みたい小説があって、そのとなりに読むべき参考文献があって、その場合はもちろん小説を読もうと思うもんね。

今の中学生もそうだ。塾で教えていて思うのは、いくら言っても、宿題をやってこない子は基本的にやってこない。やってくる子は毎回やってくる。私は別に、中学にもなれば自己責任だろ、スイッチなどない(←うそでーすごめんね)、と思うから、別にギャーギャー言わない。まぁ、出している宿題はその子その子に合わせているつもりなので、妥当かなぁとは思っているのだけど、ダメなんだなぁ。
やってくる子は、相当たくさん出してもやってくる。でも、そのやってくる子が、数学が好きだとか、勉強が好きだとかいうわけではない。

やらなきゃならないと分かっていて、私が示したところが自分でも妥当だと思っていて、そしてそれを遂行しようという意思があるから、やってくるんだ。そして、さらにすごいヤツは、私が示したところが自分にとって不要かもしれないと思えば、その場でそう言う。その場合は、本当に不要かどうかその場で試させていただくけれど、それで私が納得すれば、やりたいところを一緒に探す。これが一番理想的かなと思うのだけど、15歳でそんなことできるのは一部の子しかいないと思う。まぁ、私は必要ないと判断したものは自分で勝手に切っていたけど...

私は今から2年間、大学で研究をしなければならない。そして、資格を取るための準備をして、大学を卒業しなければならない。だから、勉強しているんだ。好きかどうかと言われれば、嫌いではない、というくらい。面倒で仕方がないことも多い。
塾で教えること、これも別段、好きではない。行きたくないし(今から行きまーす)めんどくさい、と思う。でも、今とりあえず私の生活費を支えるものは奨学金と仕送り頂いているのと、塾からの収入がメインなので、バイトをすることは必要だ。

人は、優先順位をつけろ、と言う。私もそれは正しいと思うし、優先順位をつけ、「やらなければならないこと」を明確にするのは重要なことだ。
でも、それ以前の問題として、「なにをするための、優先順位なのか」を分かっていなければならない。今、自分が何を欲しいのか、その意思がはっきりしているとき、人は優先順位をつけて、好き好んだものでなくてもそれをできるようになるのではないかと思う。
高校などどこでもいい、と言っている子に、今何をやるべきか、優先順位をつけて、好き好んだこと以外のことをやらせることは、難しい。

ということは、最優先事項はきっと、何が欲しいのか、明確にすることにつきるんじゃないかと思う。

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だるーい日々が続いております。
今日から、新しい塾での仕事も始まる。そして、今日は近くのダイエーがイオンに変わって新装オープンの日なので、偵察に行って来ます笑 

月曜と火曜は、某お菓子工場の派遣に行ってきた。ベルトコンベアーの超単純作業だったけど、結構おもしろくてまた行こうかな、とか思う。先週の土曜日は、業務内容秘密の派遣に行った...あるモニターバイトだったんだけど、ある意味でくっそきつくてもう二度とやらない!と思ったね笑
そんな感じで、朝バイト辞めた代わりに、あまり動かなくてもいいバイトをちょこちょこやりながら収入減をふせいでいる私です。
今の塾ではそろそろ春期講習が始まるのだけど、何をどう間違えたのか知らないけれど私は基本的に理科担当ということになっていたので汗、予習もがんばっておかなきゃです。

昨日は診察とカウンセリングの日。予約が上手く取れなくて、朝7時に家をでて倒れそうになりながら病院へ。
診察では精神状態の話ではなくて、もっぱら身体の症状の話になる。このあいだやった、甲状腺に関する血液検査の結果は異常なし。他も異常はなくて、問題は低血圧なことくらいなのかなぁという話に。
毎日血圧を測れ、と言われたものの、血圧計持ってないでーす、と言ったら即買え!と怒られたのでそのままハンズで購入。シチズンの4千円のにしました。
で、毎朝、毎晩、測ることにして、エクセルで表と対応グラフを作り、いざ計測。
昨日の夜は普通(ゆうて94/72)だったのだけど、今朝は69/42...あれ、生きてます?入院時も、昼11時頃に測っていたのだけども上が90mmHgを越すことはほぼなくて、70〜85くらいだった。

16、17歳のときに起立性調節障害と言われていたときは、血圧を上げる薬を飲んでいた。その時の血圧の値がどれくらいだったかはわからないのだけど、身体症状が今と酷似していることから、朝の体調の悪さは血圧によるところも大きいのではないかと思う。
じじいが言うには、今の不登校の子供や遅刻が多いこどもの3割くらいは、低血圧が原因じゃないかとも言われているらしい。私だって、16歳ごろにいろいろ身体がおかしくなってあらゆる検査受けてどこもひっかからなくて、最終的に起立性調節障害と言われるまでは、血圧なんて気にしなかった。変な話、高血圧はすごく問題だとおもうけれど、低血圧ってあまり問題視されてないような気がするからね。
まぁ、看護師さんも言うけれど、低血圧であっても普通に生活できているのならそこまで心配しなくてもいいとのこと。完全に精神が理由で入院していて身体はピンピンしていたときも、今ほどではないけれど数値的には低血圧の範囲だったわけで、だから今の身体症状を血圧のせいと決めつけるのは短絡的すぎる。

とりあえず、1ヶ月くらいは血圧グラフをつけて様子を見つつ、その関係性を知っておくことにしてみる。
今日も、朝例の人を送り出してからは意識を失うようにして眠ってしまった。このままでは、14歳、16歳のとき同様、動けない日が続いてしまう。
原因が分かり、自覚が大切だと知っている今は、まずは観察からはじめてみる。

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先週の、謎の動けない事件から1週間、なんとか乗り切った。
月曜に通院をし、薬を減らし漢方を始めたけれど、まだその効果はわからないね...車酔い的状態は、治らず。
朝バイトを辞めたので、朝は例の人を見送ってから1時間くらい、寝っ転がっているようにしている。彼は7時に家をでるので、その時に一緒に洗濯機を回し始めて終わるまで寝っ転がっている感じ。先週は学校に2回行ったり昨日は単発バイトだったり、イレギュラーな塾バイトが入ったりでゆっくりできた気はしないけれど、ほんの少しだるさは改善されたような気がする。今、一番きついのは、動悸と入眠困難なことかな。

今日は、例の人の会社の仲間と昼食を食べてきた。このあたりで有名なとんかつ・ヒレカツのお店と、コーヒー屋へ。とてもユニーク(?)で素敵な方たちで、楽しかった。

人の肉体的または精神的な痛みという感覚を、他の人が完璧に理解することは不可能だ。
私は小さいころお腹がよく痛くなっていて、その痛さを人が分かってくれないと感じることがよくあった。そのときはよく、このお腹の痛みが乗り移ればいいのに、とか思ってた。同じ苦しみを味わえ〜こんなに痛いんだぞ〜的な。昔から性格の悪い子だったようで。

で、この歳になってもなかなかその感覚は抜けなかったりする。
今ならば、「この起き上がれなさ、この身体的な辛さをわかってほしい」っていうのが一番でかい。特に、起き上がれないっていうのはサボりだと思われることがあるので、そういったときに思うね。とは言え、どうしようもないほどつらい時は、人の目なんてどうでもいいからなんとかなれ、ってなるんで、「分かってほしい」と思えるだけマシなのかな。

例の人は、そういう私の辛さを間近で見ているけれど、「経験したことがないからその辛さはわからない」といった趣旨のようなことを言う。まぁ、そうだよな、と思うし、私も例の人の苦しみみたいなものを理解することはかなり困難だ、多分できていないと思う。
やはり、痛みこそ、自分が経験したものでない限り共感はしにくいものであろうと思う。

人間には想像力がある。一部、私のように欠落した人間もいるけれど、たいていの人間にはそれなりの想像力があるみたいだ。だから、人が痛がっているところを見ると可哀想とか痛そうとか思う、人が苦しんでいるのを見ると見ていられないと思う。想像力があるからこそ、人に嫌なことや痛いことはしないし言わないようにするのだろう、そして人に親切にするのも想像力があるからこそなのだろうと思う。だけど、想像力には限界があると私は考えている。

小学生のころ、有名な児童文学の作品でいじめや家庭問題を取り扱ったものがあった。
英才教育まっただなかで登校拒否・無気力状態に陥った主人公がある教育者と仲間の力で立ち直り、その教育者の周りに集まる傷ついた子たちと交流するというような話だった(ような気がする)。そのなかで、主人公が立ち直ったあと、教育者の元へ通ういじめにあっている中学生と会話する場面があって、私はそこだけをまだ覚えている。
いじめられている女の子が「あなたに何が分かるの、いじめられたこともないのに」みたいなことを言い、それに対して主人公が「経験はなくても人間には想像力というものがある」みたく言い返す場面がある。

私は、どっちも極論だなぁと思った。まぁ、主人公5(6?)年生、女の子は中学2年生だったわけで、極論になるのも当たり前なのだけど笑
経験してないからあなたにはなにもわからない、というのは言い過ぎ。それでは、自分とまったく同じ経験をした人の言葉しか聞かない、ということになってしまい、視野が狭くなる。
想像力と経験が同等だというのもおかしい。経験したことがないのに、自分にはすべてが分かる、想像できるというのは傲慢だと思う。

だけど、例えば何かの病気でも、境遇でも、同じ経験をしている人が周りににいるというほうが、まれだ。家族や大切な人が自分と同じ経験や痛みを味わっているというほうが、なかなかない気がする。
そんなとき、相手が半端な自分の経験だけで見当違いなアドバイスとしてきたり、想像だけでものを言ってきたりするとかちんと来る。お前に何がわかるんだよ、って言いたくなる。そういうやつはとても多い。
逆に、全くわからない、おかしい、という否定も悲しくなる。

例の人は、そのどちらでもなかった。俺には経験がないからわからないけれど、といいつつもわからない私と共にしてくれる。つまり、この経験をしている私と一緒にいるという経験をしてくれている。私はそれ以上を望むことは、しない。

私は?と思う。もし、私が逆の立場だったら。
自分の想像力を全く信用していない、というか人よりも想像力が圧倒的に欠けている自分は、まず、相手のことを塵ほども分かっていない、という前提から始めるだろう。そして、多分、知識をつけることから始めるだろう。
ない想像力と、知識(そこには誰かの経験も含む)と、相手への気持ちで、接すると思う。

経験だけの話で分かり合える人もいる、知識だけが欲しいという人もいる、想像力からくる思いやりだけで十分だという人もいる、それら全てが必要だと思う人もいる。
私には、相手が自分と似た経験をしていてほしいとは思っていないし、逆にそうであってほしくはない。だったら、これから一緒に経験していきたいと思う。知識は、こちらで勉強し、必要があれば説明するので別に要求はしない。想像力はとんちんかんでなければある程度あればいいと思う。
今どれだけ共感できるか、というよりも、今どれだけ共感しようとする意思が明確なのか、のほうが重要だと感じる。

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だいぶ、身体が楽になってきたーっと思ってたら学校帰りにまた歩けなくなるかと思うようなだるさやらめまいやらに襲われてゆっくり帰ってきた私です。こういうときに限ってスーパーのレジがめっちゃ混んでいるし朝洗濯をたくさんしちゃったんで取り込まなきゃだし、でふんだり蹴ったりですよ。

昨日は例の人の試験の合格発表があり、合格確定。4月いっぱいで今の職場を辞め、資格を活かして新たな仕事を探す。1ヶ月以内に探すという、それなりにプレッシャーのあることなのでまた落ち込んだり上がったりの毎日になるのだろうけれど、私はいつもどおり自分のことを淡々とこなしていこうと思う。
とかいって、3月4月〜7月くらいは1年で最も荒れる時期なので、私もいろいろセーブしなきゃな、と思っている。

今日は、4月から始まるゼミの顔合わせ。顔合わせってか、3年次でやる研究のテーマやそれに関する論文探し等の進捗状況の確認だね。私は言語・音楽・音声などの認知系分野の心理学のゼミに入った。心理学、っていうと人の感情とか性格とか社会的な傾向とか、そういうものがメインだと捉えられがちだけど、基礎の基礎はやっぱ人間が何かを認知するとはどういうことなのか、どういうメカニズムで物事を認知しているのか、みたいなところから始まる。1年生の最初の授業は認知科学の授業で、そこでは「マックに入った後で行う行動を一つ一つ細かく挙げよ」みたいなとこから始まって、それはもちろん入る並ぶオーダーする、などといった単純なものではなくて。場面場面を切り取ると、そこには人が意識的にも無意識的にも何かを認知し行動に移すというメカニズムが隠れているっていう。私はこういった話がとても好きなので、1年生の心理系授業では最も惹きつけられた。

そして、一般教養で取った言語学っていうめっちゃとっつきにくい科目になぜか興味を持ち、脳科学入門で言葉の部分はおもしろく感じ、実験演習で言葉の文字数と音節数によって意味処理にかかる時間に変化はあるかみたいなのをやって、二重経路仮説とか知ってそれの続きみたいなのをたまたま2年でもやることになり。

こういうわけで、2年になるころにはもう言語系に進もうと思っていた。しかもコミュニケーション等ではなく、どちらかというと「音」そのものと音があわらす「意味」に着目したいっていうか。まだ固まってはいないけれど笑 
何で自分がそっちに進んでいるのか分かっていないのだけど、興味の対象がどうしても音と言葉に行くのだから仕方ない。

そんで、3年ではすでに誰かが行った実験の論文を読み、追試を行うと同時にそれに何か独自の要素をプラスしていくってことをする。4年では完全に自分の卒論のために、論文読みまくって仮説を立て実験計画、って流れなので3年は練習といった感じか。
私は3年次では、絶対音感を持っている人の音の認知の仕方について研究しようと思っている。もっと言えば、絶対音感を「一部」だけ持っている人はたくさんいるんだけど、「ほぼ完全に」持っている人は稀であり、ではそこにはどんな差異があるのか、そしてその差を生み出すのは何か、について知る。完全な絶対音感を持っている人は音を聞くときに持っていない人とは別の方法で聴いているんじゃないのーみたいなことね。

私自身、「白鍵メイン」の、一部だけの絶対音感の保有者。中学くらいに、みんなが音符で音が聞こえているわけじゃないと知ったときは驚いた。私がさっき聞いた音楽を音符で歌っているのを聞いた人に驚かれて初めて知ったっていうね。私には楽器などで演奏されているもの全てがドレミで聞こえているのだけど、そうでない人もいるのだなぁと、というかそうでない人のほうが多数なのかい!と。
だけど、私にはその辺の車の排気音をどこのどの音符だとか当てることはできないし、第一、黒鍵だと1音だけであってでもずれることがよくある。白鍵だと3音くらいまでの和音ならほぼ100%間違えない自信はあるんだけどね...

1年では、絶対音感は絶対的なものじゃない(これって言葉のあやだねw)ってことに少し触れた。私はそれがずっとひっかかってた。中間領域があるってことじゃ結局、絶対音感は訓練でつくものなの?絶対音感がある人は、どのように「聞いて」いるの?とか。聞き方が変わるとか、あり得るの?とか。
全く持っていない人とそれなりに持っている人だと、持っている人は音を聞く時に例えば「ド」音ならば「ド」として一度符号化している、っていう理論が成り立つみたいだけど、なら、白鍵は符号化できるのに黒鍵は符号化できないってどういうことよ、とか、符号化だけじゃ実験の結果を説明しきれないとかなんとかで、私は1年間かけてそれについて突き詰めようと思っている笑 本当はバイオリン系楽器と鍵盤系楽器で分けたいのだけど、そこまでやると大規模だし第一、絶対音感を持っている人を身近に何十人も集めるとか、むずいだろつって。結局、私がやりたい実験の計画段階で一番むずかしそうなのは、「だれを対象に」やるのかってことだよって話になった。

というわけで、このまま行くと4月からは単調な「音」に囲まれた生活になるだろう笑


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今日は久しぶりに!春休みまっただ中の学校へ行ってきた。明後日、3年からのゼミの顔合わせがあって、そこで早速3年次一発目に取り組みたいテーマの論文&追試計画を立てなければならず、調べ物とレポートって感じで2時間。絶対音感か音韻表象か...で迷うww論文と参考文献精読、頑張りますええ。

ところで。朝バイト、今日電話して辞める趣旨を伝えた。
一昨日までは相当迷っていたけれど、昨日病院まで行っただけで、ロビーで倒れるかと思うくらいの動悸に襲われたり、寝ていても呼吸が乱れたり、重い物持てなかったり...いやいや、これは、朝起きられてバイトに行っても使いものになんねぇぞ、と思い、断念。半年しか持たなかったっていう、そして慣れてきてみなさんによくしてもらえてたっていう時期だからこそ申し訳ないし悔しかった...もうこれ以降はデスクワークにします、ハイ...。

昨日の病院では、だるさや起き上がれなさをじーさんに主張しまくってきた。聴診器当てたら、確かに動悸はすごかったみたい、でも心電図は異常なし。この間の血液検査では内臓系には全く問題がなく、自律神経系のみの乱れだったので、今回はもう少し精密な血液検査をするそう。甲状腺、だって、これって高校生の時にバセドウ病疑われたときと同じ流れじゃん、って感じだけれども、仕方ない(高校の時は結局、起立性調節障害)。
うん、精神症状はほとんどなくて、昨日も今日も普通の精神で過ごせている気がするし、今日は朝もしっかり作って食べることができている。学校へ行くのはその道程がくっそきつかったけれど、つまり10分歩くとものすごい動悸に息切れ的な感じで、でも学校で行う作業は嫌いじゃないし。これから塾だけど、心配なのは行き帰りの道のりなんでありまして。無事にたどり着ければ問題なく、無事に帰ってこられれば問題がないという、やることの本質とは全く関係のないところで悩んでいるっていうね。

最近、私は自分の気持ちや思いを、人に話したいと思うようになってきた。
この数ヶ月は、あまり話さずに来た。例の人といれば、彼が基本的に社会への不満等を話してくることが多いので、こちらが悩みを話すことは、はばかられてしまう。そして例えば悩みというか、聞いて欲しいことがあったとしてもシビアな解決策をキツイ言い方で返してくるだけなので、話す気持ちにはなれない。まぁ、後々、その意見は効いてくるので問題ないのだけど、この人とは本物の言語的コミュニケーションは、あちらからこちら、という感じの受け身でいいのかな、と思っている。私は、非言語の部分で基本的に分かってもらえているのだから、それでいい。
例えば母親には、昔はよく話していた気がするのだけど、最近は私のことを心配しすぎることもあってか、こちらが1話すと私に対する考察を10返してくる、という感じで聴いているこちらが疲れる。そしてしゃべり方のリズムというか区切り方が(これは育った場所の方言的に仕方ないことかもだけど)好きではなくて、それも疲れてしまう。
まともに自分の考えを整理しながら自分のペースでしゃべれるのは、カウンセラーさんに対してくらいかな、と思う。さすが、プロでございますよ笑

私はあまり経験したことがないし、周りにもあまりいないのだけど、自分のことばかりしゃべる人間というのは一部存在するようだ。もちろん、相手に興味がある時は、自分のことばかりしゃべっていただけるのは都合のいいことでどうぞどうぞという感じになるのだろう。でも、もうお前の情報はいいわ!って感じのときでも、同じような(どうでもいい)悩みをぐだぐだ言う人間もいる。
例えば、よく女子に見られるらしいけれど聞いて聞いて共感してーみたいな人ね。とにかく、自分の話ばっか。いや、それはいいのだけど、なんていうか、近況とかではなくて愚痴または私すごいでしょ的なね。もしくは、同じところをぐるぐるぐるぐる回っているだけの、内容のない会話ね。
男性で多いのは、自慢!もうーうざいったらないですよこちらは。過去こんなことしたんだぜ的な。こんな賞を取ったんだぜ的な。こんな地位にいる(た)んだぜ的な。おれにはこんなこともできるんだぜ的な。
すごいですね〜どんな感じだったんですか?とか、やっぱりあなたはやり手ですよね!みなさんから言われるでしょう?みたく返すのが、疲れるったらないわ。本音は、それがどうした、か、そのあなたの自慢が私に何か得を与えてくれるのですかと聞きたくなるかのどっちかなのだけど、気の小さい私にはそんなことは言えないね。

あと、男女ともに嫌なのは、愚痴多い人。あの店員が〜あの通行人が〜あいつがこいつが、って、お前そいつの名前も都合もほぼ知らないのに、そんなにどうでもいいことでいちいち報告するな!って思うね。

いくら大人になったって、聞いてもらいたいときはたくさんある。ただただ聞いてもらうだけでもいい時もたくさんある。だけど、歳を取るごとに、聞く立場ばかりになり聞いてもらう立場ではなくなってしまう。クラブやパブ(?)に通うおじさんの気持ちも分からなくもないかなとか思う。
私は、塾で、学校で、入院先で、家で(?)どちらかというと「聞く」ほうが多くなってきたように感じる。もちろん、今までがしゃべりすぎだったから、そう感じるのだけどね。今までは自分のことしか喋らなかったから。

だけど、やはり、同じ立ち位置にいる例えば友達とか恋人とか、そして例えば同病者とか、そういう関係においては聞いてもらい聞き、その配分が同じくらいがいいと思う。そうでないと、だれかがだれかによりかかることになり、お互いの精神衛生上よくなくなってしまう。
もちろん自分も気をつけなければならないことであるので、いろんな場所で、少しずつ思ったことや考えを言っていければいいのかなと思う。

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ひさんな2日間を過ごした私です。
退院してから、3日間はバイトやら新年度に向けた手続きやらで動いていたのに、なぜか昨日の朝例の人を送り出してから、ものすごいだるさに襲われて、寝た。

そしたら、それから全く起き上がれないのね。おどろくぐらいに。トイレに行けないし、飲み物はベッド脇においていたからよいものの、お腹空いてもご飯食べられない。あー終わったー私終わったー、と思い、例の人に連絡しても仕事中で、仕方ないから申し訳ないけれど親を呼んだ。すぐに来てくれて、ってか来てくれる間にだいぶ回復してありがとう、って一回帰ってもらったけれど、また発作的にアタマがわーっとなり続いてだるくなる、ということが繰り返された。
とにかく、日曜日のバイトにもう行けなそうだけど自分で電話するのが怖くて仕方ない、ってこと、例の人が疲れて帰ってきてるときに、私がこんな状況じゃだめだろう、ということ、などなどが全てマイナスに働いた。ここでふだんなら、わーっとなってお薬大量ーとか、ぱっかーんなってどっか行っちゃうとか、するのだけども昨日はだるくてだるくて、そんなことを考える余裕もなかった。
結局、親に迎えに来てもらって実家に戻ることにしたのだけど、来てもらうまでの間に眠ってしまったというか、意識が飛んでしまったというか、とにかくまったく動けなくなり、3階の部屋から降りられず(精神的にではなく、身体的にね)。
身体が動くようになるまでじっとして、夜になってようやく車に乗ることができた。

例の人とも連絡がつき、昨日は実家で一泊。今朝、死にそうにだるくはあったけれど、このままこうしていても余計に悪くなる気がしたので無理やり家に戻ってきた。明日はもう一度、ヌマに行く。

中学生、高校生のときと同じパターンのだるさだった。起き上がれない、だるくて仕方がない。気力だけで動いている、という状態。原因はわからないし、精神的なことと身体的なことの両面から考えなければならないことだと思う。
そして、この状態は薬とか短期入院ではい治りました、ってもんではないと感じる。多分、根本的には一生持ち続けなければならないものかなぁと思う。

そうなると、前も書いたように、仕事の仕方、収入の得方、今ならば学校でどうしていくかなどをしっかりと考えなければ生き延びることができないことになる。
正直、こんなに迷惑をかけまくって、しかも誰の力にもなれなくて自分が行いたいことができないならば、死んだほうがいいかなとも思う、誰かのためではなく、自分の精神衛生上を守るために、自殺するという、極端なのかなんなのかよくわからない発想だけども。
と思い、自殺かぁ...と、またお薬探さなきゃ、とも考えたんだけど、もう、とにかくめんどくさい。あれは、めんどくさい。このくっそだるい中、ネットぐるぐるしてお金集めて場合によっては会いに行って...とか、やってられないのでとにかく今はやめた←

明日病院行っても何も変わらないのはわかっているけれど、何かやりましたよという言い訳のため、暇つぶしのため、くらいに思って行く。できれば、明後日からは無理やりにでも日常に戻る。
このだるさはどうせ、慢性的なものだ。それがときおり、とても強くなるということ。だったら、それでも何かを成したいならば、無理は絶対に必要だ。

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昨日退院した私ですよ。
本当はまだまだ不安はあり、退院すべきかどうか相当迷った。塾の件(さすがに、受験前生徒に一声かけたかったから)で退院の前に外泊はしていたのだけれど、やはりだるくて仕方なかったから。

昨日、退院前の診察で、私のだるさは精神的なものだけではないかもしれない、って話になった。血液検査の結果が、変だってことで。
内臓系(?)はいたって健康。
だけど、交感神経と副交感神経に関する値がおかしかったらしい。比率的に、副交感神経が交感神経にくらべて優位すぎる、ってことだった。いわば、身体がリラックスしすぎの状態、免疫も弱くなっている状態、ってことだって。
何かのアレルギーがあるならば、こういった数値もありえるけれど、と言ってたけれど、私はアレルギーもないし、薬のせいでもないらしい。

確かに、中学高校と相当学校を休んだのは、身体が動かなかったから。目の上の神経も痛くて、だけどそれは日常だった。
それは今も続き、だいたい、だるい。

だるさは良く感じるけど、別にそれが普通、と言うと、じーさんはこの数値ならだるくて当然だ、と言っていた。だからまたこのだるさが続き、それで精神に来たらすぐに入院するように言われた。

そういう結果が出たので、昨日はじーさんと看護師さんが、私の過去のカルテ(何冊もあったw)をひっくり返して血液検査の数値をたどった。そしたら、問題の数値は上がったり下がったり、だった。だからもちろん、だるさが本当に身体の問題だけではない。精神的な要因だって、あるにはあるだろう。

でも今回は、1月上旬からの不自然なだるさを我慢し続け、学校のテストレポート、忙しいファミレスに中高受験生の冬期講習....

潰れるだろ、普通w

また、今回担当してくれたPSWさんが母や例の人に言っていたことには、発達障害の人は普通の人の1日分のつかれが半日できてしまうくらいの、疲れやすさ(生きにくさ)を抱えていると思っていい、とのことらしい。

そういったことからしても、今回は自分を責めすぎないようにしようと思う。
例の人や両親は、障害(?)のこと、私の生きづらさのことを多分、本当の意味での理解はしていない。
これを「個性」と言ってくる時点で、薬や障害特性については全く話にならないと思う。
だけど、そう見てくれることで、助かる部分もある。例の人に、私はこういう理由で最近あまりにもだるく、活動量が減る可能性があるけれど、どうか大目に見てほしい、と言うと、彼はそういう考え方をしないほうがいい、と言っていた。

だるそうにしていても、それがその人なら、それでいい、「アンニュイ」て雰囲気もありだよと、言っていた。...なるほど..

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