Take it EZ! セカンドダンジョン

暑い!沼沿いを散歩してきた(←制限違反してるけど知らなーいw)。1時間くらい歩いただけで、かなり息が上がっていること考えると、体力はまだまだ戻りきらない。
昨日、外科に行ったのだけど、大腿の褥瘡は思ったよりもかなり酷いらしく、手術が必要とのことになった。そして、範囲も広すぎて、1ヶ月やそこらで完治するはずのないものだから、長期的にみることを見越して自宅近くの総合病院の形成外科に行けという話になった。ODで運ばれたところが大きな大学病院なので、そこの形成外科に行くことにした。皮膚の移植が必要らしく、もしかしたらそっちで再入院になるかも。まぁ、それはよい。

私は、今まで安定を好まなかった。いや、本当は安定を求めていたし、そのために人を(結果的に)利用して傷つけることもしたけれど、そこで手に入る空虚な安定は何か違うと感じていた。それで、破壊してきた。
今、未遂をして自分を壊し、また安定からは遠ざかった。近しい人が安定を手に入れようとしているちょうどその時に、それを奪った。
だけど、そのおかげで気付けた。1人で大丈夫で誰にも全てを見せずにいられるような精神状態をもつことが「安定」する唯一の方法ではないと。感情を殺すことや繕うことで表面を安定させるのでは、それこそ先には破壊しかないのかもしれないと。

人と共に生きようと努力することは、確かにぱっと見安定的ではないかもしれない、思い通りにいかないことも多くなるだろうからね。だけど、長い目で見れば、誰か信頼できる人間と共に生きて、あらゆる自分の面を知ってもらうことが、私にとっての安定に必要不可欠なのかもしれないと思った。

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昨日病院に戻ってきた。今日は褥瘡を診てもらいに外科へ行く。この土日でかなり体力が戻ってきたし、肉体的にも精神的にも軽くなってきた。その分、頭の回らなさ加減とか、生活の滞りに対して焦りが募って、だんだんイラついてきてしまっているけれどね。

ODから、今日でちょうど3週間が経った。もしあのまま発見が遅れれば死んでいたことを考えると、大腿と額の褥瘡という、これくらいの傷で済んだことは驚くべきことなのかもしれない。なのに、生きていることに対する感傷は特に湧いてこない...というか、自分に対する全ての感情が未だに失われている。焦りも苛立ちも自分の中にあるのはわかっているけれど、それらに対してさえ、何か遠くから眺めているみたいな感じ。だからと言って、捨て鉢になっているわけでも諦めているわけでもなく、「今の」日常は大切に過ごしているし、病院でも外でも、関わる人とは丁寧に関わろうという気はある、そして多分そうできている。

きっと今回も精神的な面は特に大した変化もなく退院していくんだろう、精神が治ることはない。
ハタからみればどこがおかしいのかよくわからない私で、日常に戻っていく。覚悟はできている。

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昨日から外泊している。約20日ぶりの外。体力的には少しつらい面もあるけれど、かなり元気がでた1日だった。この分なら、来月には日常に戻れるかなと少し期待してしまうくらいに。

まず、朗報。進級できることになった。年間で7単位落としてしまってそれは残念だったけれど、100日以上入院してそれでも進級できたことは喜ばしい。特に、心理系の専門科目は一つも落とさなかったし、なんと秋は英語もクリアしてた。来月からは、2年生としてみんなとまた一緒に学べる。入院するごとに諦めなくてよかったと思う、けどそりゃ私の努力もあったけれど、それ以上にじーさんや大学の事務の方や先生のおかげが大きい。どこに行ってもどんな環境でも誰かが手を差し伸べてくれるっていう自分の体質は本当に幸運なものだと思うし、簡単に得られるものではないはずなので、甘んじることなくこれからも更に愚直な努力を続けなきゃなと思えた。

昨日は、例の人と映画を見に行って夜遅くまで話をした。今私がこの状況で悲観的になりすぎることなく、いろんな意味で最低辺の自分をなんとか維持してよくしていこうと現実的に考えられるのはこの人がいるからだと思う。私のこの破壊衝動は「治る」ものではなく、一生背負うべきものかもしれないと言った上で、その衝動や性質も含めての私を受け入れてくれている。本人も、私どころではないかもしれない「背負うべきもの」を抱えているわけで、そのある種の孤独や苦しさのようなものがどれだけ人を蝕むか、わかっているのだ。
そういった考え方ももちろんだけど、ものの見方や音楽等、好みのものがとても近くて一緒にいるのが単純に楽しい。そういう人だから、当たり前だけど、私はこれからも長く一緒に生きられるといいと思ってた。

だけど、昨日別れ際に、この関係を形にする...つまり付き合わないかという話になったとき、私は答えられなかった。もちろん、ここに他になにも懸案事項がなくて2人の関係がぽんとあったのならば間違いなく付き合うと思う。でも、Yのことがあった。私は今でも、いや多分、これからも当分、Yと自分を切り離すことはできない。物理的に距離をおくことはそこまで難しくないのだろうけれど、精神的には無理。4年かけて堕ちていく様を見て、私も傷ついて相当に傷つけて、そんな相手をぱっと切ることは私にはできないらしい。Yは、私の一番汚い部分の一部になっているから、私はそれを失うと平衡感覚を崩して崩れるのではないかと思っている。
もちろん、こんな気持は自分の中に隠して付き合うことはいくらでも可能。それでも、この人にそれはしたくなかった。一つはもちろん、私が彼をとても大切に思っているからどこまでも誠実でありたいという思いがそうさせている。もう一つは、Yに対する細いけれど続いていた苦し紛れの思いを、最終的にぶったぎったのは、まぎれもなく例の人本人だったということ。そのやり方はかなり非情だった。その後に別件でお互いに大変になってしまったのでYのことに関しては考えないようにしてきたけれど、なぜ自分の信念にも似た気持ちがぐらついてしまったのかという自責の念みたいなものは、これから必ず出てくることになると思う。その思いとは私が自身で向き合うべき問題なので、そのときに誰かが隣にいてはだめだし、ましてやそれが「きっかけ」となった人であってはいけないと思っている。

というようなことを、すべて本人に伝えた。それでも私があなたを大切だと思う気持ちは変わらないし、大切だからこそ答えられない、でもきっと、Yのことなんてくだらないことだからすぐにかたがつきます、何とかなります、そういう言い方をした。なのに、例の人はそれは無理だと言う。自分の一部にまでなって、自分の中である一定以上の水準を超えた人に対してのかたがつくのはそんな簡単なことではないはずだと。そのとおりかもしれないと思う。そして、ある程度の年齢に達した人間なら、多かれ少なかれそういう相手は心のどこかにいて、それでも別の人と生きていくことを選び、心のどこかは普段はあけないでおくのかもしれないなと思った。きっと、一緒に生きるべき人にこそ、その心の特別な場所は開示することなく。
そう思うと、私はなんてバカで未熟で子供っぽいわがままなメンヘラなんだろうと思う。そんな見せる必要のない部分を見せる必要のない人間に見せているのだから。それでも、私にとってYとの4年間は何にも代えがたいほどに私を作ったもので、そして、そこ抜きでは自分を本当に理解してもらうのは無理だと思ったからこそ、例の人には知っていて欲しかった。
きっとこれで何かしら今の関係に変化が訪れることになっても、そりゃ痛みは激しいけれど、私は受け入れられると思う。

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インフルエンザ収束宣言は明日出る模様。つまり明日まで、もう10日間も病棟から一歩も出てない!今のようにケータイ使わせてもらうときだけ、病棟のドアの前に出るけれど、数歩のみ笑

私は今年度3回入院している。7月から53日、11月から56日、で3月の今回。全部、同じ病院の同じ病棟。だから、看護師も患者もほとんど変わらない。病棟内の人間関係は把握できているし、距離の取り方や話し方も心得ているのでそこらへんに関してはまったく苦労してない。基本的にこの病棟の人は穏やかで自分の世界に引きこもっているので、その世界を邪魔しない程度に挨拶したり話したりしていればうまくいくんだ。今では、女性24人全員、足音だけで誰が来るのかわかるし、だいたい誰がどの時間にどこにいるか予測することだってできる。その予測を元に、こっちも生活しやすいように予定を立てるのみだ。住んでいる人を妨害するほど私は野暮じゃないからね。

昨日はカウンセリングだった。カウンセラーさんと話すと、私は「思考優位」の人間に思える、とのことだった。多分、ブログだけ読めば嘘だこのヤロ、って思われるだろうけど、実際、普通に生活する上では結構、「思考優位」なんですよええ。感情や直感で何かを決めることは、そこまでしない、っていうか普段の物事に対して感情や直感が働きにくいタイプなんじゃないのかなと思う。ここに書くときやODするその瞬間は、感情に従って書いたり行動したりするけれど、例えば学校やその他日常の場ではどちらかと言うと先を見たり周りを見たりしている気がする。嘘だと思われてるだろうけど笑

でも、それは思考に優れているというわけではなく、感覚が鈍磨しているということの表れなんだ。そして、鈍磨した感覚が何かの拍子で一気に刺激を受けると、耐えきれずに爆発する。それが、未遂を引き起こしているのではないか、という話になった。だから、今、自分がどのような感情を持っているのか少し意識することから始めないか、ということになった。
私は自分が怒りとか悲しみとかある種の自己憐憫とか、そういった負の感情を持つことをよく思わない。私はすなわち「恵まれている」のだから、そんな負の感情を持つのには値せず、いつでも笑顔でいるべき人間だと思っている。とにかく、自分の感情のせいで人を嫌な気分にしてはいけない人間だと。

だから、自分の感情に例えば負が含まれているのを発見しても、きっと私はそれを自分に隠すだろうと思う。

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外に出ることなく1週間が過ぎた。思ったよりも早く時間が進んでいる。今日はよく晴れていたけど風が強く寒そうな空気に見える...筑波山がくっきり見える、キレイだ。外は寒いのだろうけど。今日も多分、変わらず1時間の歩行をしてしっかり食べて、10時間くらい寝るのだろう。とりあえずこの生活を後3日続ける。褥瘡は良くならず、来週から外科へ行くことになった。

今日は診察だった。傷のことが中心だったが、連日のあまりのだるさや体の痛みについての話もした。体の痛みについてどう思う、と言われたので私は、身体と精神は別だと思うと答えた。そういう二元論があったなとちらっと思ったけど思い出せなかった。
もちろん、2つのつながりは濃密なものだと思う。思う、というか感覚的に知っている。身体は精神に影響を及ぼすし、その逆も成り立つ。前者はまさに今の状況で、今は身体の辛さが精神を壊しかけている。逆は、中二のころからずっと経験してきたことだ、というか、私は身体に症状が出ない限り精神の疲弊には気がつかない鈍感な体質だ。だから精神と身体が密接につながっていることは理解できる。でも、同じもの、同一のもの、一体のもの、とは思わない。
理由の一つは、精神の辛さによって身体が死なないこと。どれだけ精神的に辛くても、それが直接の原因となって身体が失われることはないから。もう一つは、もし私が精神と身体が一体だと認めたら、それは自分の精神の弱さを余計に際立たせることになる気がするから。

今はそのようなことはどうでもいい。今は、身体をできるだけ立て直して精神の衰えを最小限にとどめることに集中すべきだ。

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結局、あと3日は外に出られないことが決まった、焦る。回復が遅くなるのではないかと怖くなる。もちろん、身体の。精神の方は大丈夫だと自分に言い聞かせるしかない。

たくさんの本とCDを差し入れてもらった。CDはヒップホップ、R&B、ファンク、ロック、ベートーベンなどのクラシックまであった。ヒップホップは予想通り聞く気がしなかった。調子が良ければジャズ・ファンク。でも一番気に入ったのはThe velvet underground &NICOというロックのグループだった。60年代から70年代に当たるのかな、とても落ち着くのでずっと聴いている。読書を3時間くらいする、1日1時間はノルマをこなすみたいに歩く。身体が回復せずイライラする、手が上がらないし普通に歩くことで異常に体力が吸い取られる。眠剤飲まなくても(今の服薬はデパケン200/日のみ)10時間は眠っている。未遂の日から今日で15日。両手と右大腿と額の褥瘡は治る気配がない、このまま外へ出ても学校は行けてもバイトは厳しいかもしれない、つまり以前とまったく同じ状態に戻るというのは少なくともあと1ヶ月以上は無理だと思う、それだけは残念だ。

死んだ死なない、それはもうどうでもよい問題で、未遂をした原因や、理由となる心持ちももうどうでもよくて、目下の問題はどれだけ素早く日常へ戻るか、に尽きる。
辛いか辛くないかはわからないが、身体が今までにないほどにダメージを受けて回復を拒んでるのは確か。

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うーん久しぶり。
精神状態はそんな悪くない。体の調子は最悪だね、1日1時間は廊下を歩行しているけれど、寝返りは打てないし腕も上に上がらない、微熱がずっと続く、あまりのだるさに気力も奪われそうだよ。

ここ数日ブログ書けなかったのは私のせいではありません。
ヌマでフルが流行り、病棟から出てはならなくなったために、ケータイも最低限しか使えなくなったから。面会も散歩も全て禁止の1週間はきっつい。本を読みCDを聞き、歩き...それしかできなかった、でもそれができたことに感謝。外から支えてくれる人もいるし、中の人の支え合いもあるわけで。

そんな感じで、明日からはどうなるかわかんないけど気力だけは持ち続けつつできることをして回復に専念します。体力の回復に、ね。

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少しずつ体力が戻りつつある。やっと、本を15分以上読めるようになったし、今はブログを書いてみることができてる。

顔体の褥瘡は酷いままだし、正直まだ5分以上の立位は無理だけど、明日ヌマに転院する...うん、自分から体調をうまく主張していかないと後遺症が残るし下手すりゃ死ぬね!っていう環境に行くわけだけど、私はそっちの方が似合ってるんだなぁ笑

今日は両親・友人夫妻・例の人、が見舞ってくれた。とてもありがたい。
なぜ自殺未遂したか、その理由の一つとして、自分を壊しに行くことによって周りの人間がどう感じるか見たいから、というのがある。試し行為。今回はそれが例の人に対して出た。
疲れとかこれからへの諦観というのよりもいくぶん大きく、自分を他人に対してリセットする意味が強かった。結果としては、試すことの意味がなかった、本当は意味がないと分かった上で、破壊の試行をしてた。

だから今回、大きく失ったものは身体の健康のみ。
それは3秒で受け入れた。
じゃあ、こんなに無駄なODは何の意味がある?って言われそうだけど、作り上げたり生産することだけが人生じゃなくねーって言ってみる。

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