Take it EZ! セカンドダンジョン

今日までICUに4日いて、今日から一般病棟で明後日にはヌマ病院に移送されることが確定している私です。
何がやばいか。褥瘡!顔身体中の血の塊!マジ、打たれ終わったボクサーです顔まじやばい。

うん、23日のブログ後にOD。友人が気づいて運んでもらえたのが2日後くらいかな、まあ結構な日数経ってます。

今回は、人口呼吸器を外したりヤバい眠剤の抜きが大変すぎて、体が参った、という感覚。精神的反省はほぼなかったのだけど、やはり自分を大切にしてくれ何人もの方に心労をかけた。

その事実からは、逃げないことだ。

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私はとても恵まれて生きてきた。

恵まれた家庭に生まれて、両親はいい環境を作ってくれ、よいところに住んでくれた。
何も不自由することなく、特に何かを努力することもなく、生まれたときからいろんなものを手に入れていた。普通の能力も気がついたらあったし、できないことはそりゃ多かったけど、少し努力すればできた、手に入った。

私は特に望んでいなかったけれど、学校や今までの様々な居場所で、それなりに存在を「出す」ことはできた。認めてもらうことに苦労したことなんてない。
苦しいことにも気が付かないほどに、恵まれていた。私は自分の調子の悪さに最後まで気がつかないような人間だけど、それは最後の最後までだれかが助けてくれるから。とても、恵まれている。

精神的におかしくなったときでも、誰かがいてくれる。それに頼りきって生きるなんてもってのほかだけど、そう思って自分は自立しなきゃと思って、そうすることをプライドにして生きてきた。でも、結果的にはその思いすら、誰かに救われる。

だから、私は辛くてはいけない。そして、幸せでもいけない。
死にたい。Yに電話をした。結局、最後はYか。すがってしまう、そんな自分が大嫌いだ。
私は、人に依存し寄生することでしか生きられない。何度も、違うそうではないとと、生き方を変えようともがいた。でも、もう何回目?3年前から、何も変わっていない。
3年前の2月25日、私は夜逃げをした、Yのところから。それから、いろんな人に次々と寄生して、その上、傷ついたと勝手に悲劇のヒロインぶり、そして何も得ず、成長することなく、それどころか人に大きな迷惑ばかりかけ、生きてきた、有害物質。

そろそろ、終わらせなきゃな。ちょうどいいかもしれない。Yに対する終わらせ方も、私が潰れることにより、終わるのだから。
でも、私は恵まれてきてとてもよかった。いろんな人から愛されてきたおかげで、私の人生はとても色彩の豊かなものになったと思う。それを還元できないのは残念だけど、それは素晴らしい、経験だったと、自信を持って言えるから。

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先週はマジでハードな一週間だった。日曜日に1日出かけ、水曜日は病院、木曜日は緊張の1日、金曜日にスキー、そして週5で塾wはぁ。うん、塾も方も、前期で残念だった子のピリピリ感が半端ないから、精神的になんか大変。

毎日例の人とメールして、たくさんのことを話す。本のことも音楽のこと、近況。それはとても楽しいし、今のこの状況ではお互い支え合わないと崩れてしまうだろうと思う。
昨日、メールをしていたら、最後にYの話になってしまった。私は極力Yの話をこの人としたくない。だからできるだけ避けていたのだけど、昨日はその話をふられてしまった。というか私が知らず知らず、自虐的なことを言っていて、それがやはりYのことにつながってしまうようだった。自分ではYのことと自分の破壊衝動や自虐は切り離して考えているのだけど、カウンセラーさんやこの人、つまりYのことと私の今の精神性をどちらも知っている人からすれば、切り離せないことに映るらしい。

私は、今の状況にとても戸惑っている。
はっきり言うと、例の人は私とともに生きたいと言っている。どうやら一生大切にしてくれるらしい。もったいない言葉だと思う。10月くらいから、そのような態度は見せてきてたし、会えない間に書き溜めていた手紙を見ても、ずっとそう思い続けてくれたことは明白だ。
そして私は、いろいろ自分にごまかしたくさんの建前を作り、予防線をたくさん張り、心を許すことを自分に許さず、そうやって100日を含む4ヶ月間を過ごしてきた。だけど、どう考えても、興味の対象だけではここまで続かなかった。ごまかしきらない、きっと私もこの人に気持ちがあるのだろう。

煮え切らない理由は明白。このまま誰かに心を移せば、私の4年間は消えてなくなる。生きてきた理由の大半がなくなり、きっとアイデンティティを喪失する。それが怖い、つまり、Yのこと。
だから私はYを潰そうと思った。Yとの関係が終わるとき、それは、私が精神的に潰れるかまたは物理的な死を作るか、Yを終わらせるかのどちらかだ。そして、Yは精神的には終わらない、だってもうあいつの精神は終わっているから。2月上旬、Yの様子を見に行ったときにはっきりわかった。この人は、終わった。いろんな欲に溺れるだけ溺れ、そこから上がれない。4年もかけて、更に堕ちていった。4年前は、治療を受け社会に戻ろうとする気持ちは少しはあったし、努力をしていた。なのに、またドラッグを始め、歯止めが効かなくなった。今、物理的に手に入らない状況になり、精神は死んだし、またやるのは時間の問題だと言い切れる。
薬物病棟に入院したときでさえ、外泊を取ってドラッグを買いに行った。生活の中心がドラッグだった2年間。見ていられなかった、警察も病院も、もう頼れなかった、私が長い目で見てなんとかするしかないんじゃないかとマジで思っていた。

そして暴力や暴言の記憶。
あれがなければ、私は堕ちていったYから余裕で離れられたと思う。怖いというよりは、離れることを許されないと、私が思い込んだ。ドラッグや酒に溺れ洗脳されたYに、私が洗脳された。
私は洗脳という言葉を使いたくなかった。信じたくなかったのに、例の人は10月からずっと私にそう言った。洗脳は簡単に解けないと。そして、私のYから受けた傷は、一生治らない。薄めるしかないと。だから私がYを潰すことに意味はないし、精神的にもう死んでいるYを殺すことはできないと言った。死んでいる人間は殺せないでしょ、だから彼の世界に行く必要はもうないよ。
そう言っておいて、例の人はYを1人で潰そうとしていた。あの時点で例の人が消えなければ、本気でやっていたと思う。下準備はできていた。私は半分くらい気がついていたので、先に私が終わらせなければならないと躍起になった。フラッシュバックが頻繁に起こるようになって、苦しかった。

昨日はごまかした。でも、私がやられたことなんて全く大したことなかったんです、私が勝手に悲劇のヒロインぶっているのです、だから変えるべきは私の考え方であり、だからきっと、これから様々な経験を積めば、わすれるはず、それでいいんです。おやすみなさい。
私が辛いと言えば、忘れられない、潰したいと言い続ければこの人は平気でつぶしに行くのだろう。それくらいの力はある人だし、今はこの人に、Yを潰す建前として都合のいい別の理由がある。私はそれが、怖いのだ。

「そして、悔しいのに、惨めなところは見たくない。惨めなところを見て、満足することなどできない。だったら私が潰してあげると思ってしまうし、そこまでやるのが私の責任だと思う。これは、もちろんYのためではなく、自身の4年間に意味をもたせるという自分のエゴのためです。」

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昨日は朝4時起きで日帰りスキーに行ってきた。大学の友達と2人で。4年ぶりのスキーだったけど何とか滑れて楽しかったし、行きや帰りのバスの中でその子ろたっぷり喋れたのも楽しかった。19歳、よく考えて楽しんで悩んで、羨ましいと思ったけれど、私のある面での精神年齢はそこらで止まっているわけだから、私も彼女らの中に積極的に入って学ぼうと思えた。

その前の日は、例の人のこれから、に対する決定事項を見に行った(今までもそうだけど、とてもオブラートに包んだ感じの書き方で申し訳ない、でもこれに関してはもうこれ以上は書けない。本気で個人が特定されるから)。
新たに世界で生きることができることになった。
夕方からは塾だったので、決定した後、1時間くらい話した。121日の困難を一つ乗り越えたけれど、まだ終わっていないことはあり、それに向き合っていくことがこれから必要だということを確認した。だけどそれ以上に、安心しすぎてほっとしすぎて、放心状態みたいにもなった。私は今までの緊張がやっとぬけた感じになり、強烈な眠気に襲われてその後の塾が本当に大変だった。

しかも塾終わったあとは、送別会があって深夜まで飲み。帰ったのが12時すぎで寝たのは2時、そして4時おきでスキーに行くという強行スケジュールの2日間だった...そしてそれ以上に、例の人の「非日常」的な場や状況から、普通にバイト、送別会、そしてスキー、と健全すぎてまさに大学生的な場に切り替えることが、やはり変な感じがした。例の人との会話の中には、当たり前だけどまだまだ非日常のことが含まれる。本当にことが終わるまでは、まだ時間がかかるからね。
でも、私はその「切り替え」が、変だとは感じるけれど辛いとは感じなくなった。確かに学校やバイトの方ではあちらの話は出せない、だけど、学んだことや精神性は出していいんだな、と気がついた。言葉の使い方や態度、そういうものまで切り替える必要はどこにもない、と。事実や考え方を、その場その場でどこまで出すかというには配慮が必要だけど、その根底に流れる自分の筋の通っているはずの「特徴」まで変える必要はないんだ。
そして例の人には、私が基本的にいる、どちらかと言うと一般的な日常を出せる。障害的な意味で少しおかしな考え方も出せる。根底にあるはずの「特徴」で関わっているわけだから、当然なんだけどさ。

私は自分では気が付かなかったけれど、音楽や本の趣味は、私の「特徴」を示しているのかもしれない。
例えばヒップホップに関しても、時代が80sから90s前半のものだ好きだったり、最近では70sあたりのファンクばかり買っていたり、それはもしかしたら私の年代で私のような風貌(クソ普通ってこと)にしてはめずらしいのかもしれない。本だと、ドラッグ関係のノンフィクションや物語とか、精神が操作されて「普通ではない」人間がでてくるものを好んで読むことが数年前から増えた、そっちに偏ってきた。私は、別に意識していたわけではなく、音楽だったら例えば、好きなアーティストがまずいて、その人が曲の中で名前を上げている曲を探っていって聴いてみた結果、そっちを好きになっていたりとか、それは本の中で作家が上げている本を探るのも同じこと。
なので、楽しいからやっていただけであり、それが自分の特徴を示すなんて考えもしなかった。

だけど、もしかしたら、その「目に見える部分」って、自分の根底に流れるものにかなり近くて影響しているのかもしれないと思った。そうであれば、自分の特徴はそこまで考えなくても、意外とすでに全面に出ていて、切り替える必要もないことなのかなとも思った。もちろん、明らかに歪んだ考えや行動については場を選ぶ必要はあるけれど、それは辛い辛くないの前に生きる上で必要なもんだから、仕方ないと割りきって。

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121
121日、長かったような、一瞬だったような。
約4ヶ月前、例の人が消えた、いきなりで意味がわからなくなった。
暴走した1ヶ月、その末の入院。分裂したままでの退院、普段の生活を送りながらも気持ちは、自分は何をやっているのだろう、なんで例の人を待っているの、この先に何があるの、ってかこの先「が」あるの?
ずっとそう思ってそれは苦しかった。

20日前、例の人との再会。自分のやってきたことが正しかったとわかった。待っていて良かったと思った、例の人の力になったらしいことが嬉しかった、でも警戒は解かなかった。
昨日、会ってきた。もし最悪の事態が起こって、今日以降会えなくなったとしても、自分の気持ちは変わらないし、多分それから1人で日々を送るのは苦しくなるのはわかっているけれど、できます、言った。本当は2人共わかっている、思っているような最悪な事態になる確率はかなり低い。でも1%でも可能性があるのならば楽観はできなくて、未来への予防線のために最悪の事態を想定していた。想定した話ばかりしていた。昨日は違った。今日からどうしていくか、次に待つことをどう乗り越えていくか、話すことができた。そして今までの121日に対して感謝を伝えられたし、私も伝えた。

100日間欠かすことなく毎日、「トレインスポッティング」の主題歌のBorn Slippy、MC LyteのCold Rock A Partyを聴いてた。途中からはドアーズのlight my fireも加わった、きっと聴きながら、ものすごい形相で歩いていたのだと思う。学校に着くまでに何とか切り替えなければならないとき、あの場所へ最悪な思いを抱えながら行くとき、潰れそうな精神をなんとかなんとか、奮い立たせてこれらの音楽を聴いて歩いた。
100日のあと、会えてからは全く聴かなくなった。でも今日は場所までいく電車の中で聴くだろう、そんな気分だ。

Born Slippyは、ことが起こる1時間前までその話をしていたから。MC LyteはYの件で暴走したときに今はなきあの場所でさり気なく流してくれたから、その前の日に話に出たことを覚えていて。そのレコードは今は私がもらってもっている。ドアーズは、私が好きな、「限りなく透明に近いブルー」に出てきてて、手紙の中で彼はその曲がでてきたことが気に入ったと書いていたから。3曲は、私を支えた。

初めて会ったのは9月初旬。でも特殊な出会い方だったので、その後は記憶には残っていたものの、会うことはなかった。下旬、トラップにも近いやり方で会うことを提案された、強引で私が断れるはずのないやり方だった。その後のひきつけ方も、今思えばけして綺麗なやり方ではなかった。なのに、私は少しずつこの人の精神性に惹かれていった、逆にこの人は、初めて5分くらい言葉を交わしたときの私の発言をずっと覚えていてそのときから始まっていたという。
たった5ヶ月、そしてそのうちの100日は会うことも、言葉を交わすことも、文章を交換することも、ほぼなかった。一方通行の勝手な手紙に、私の無言のしるし、それだけが頼りで、そこまでには3週間しかお互いのことを知る期間がなかったのに、続いたし保った。

20日で、疑心暗鬼にもなる苦しい期間を埋めるように、たくさんのことを話した。音の話本の話、精神の話つまり物質依存の話、よく笑い、時間が歪んだ。

もう、警戒はしない。最初から、気がついていた、自分の本心にはとっくに。わかっていたけれど怖かった。もちろん、社会的にこの人の立ち位置ややってきたことが異質すぎることに関しては怖くない。やるときはやるんだろうなと思うと、はぁと思うしそれをYにやろうとしていたことなどはおっかないと思う。でも、それは私にとっては些細なことでしかない。そういう世界はよくわからないけれど、あるということは知っているし、特に感慨もない。
怖いのは、なぜ私なのかわからなかったこと。この100日への義理返し、つまり借りを返す意味であればどうしよう、そしてこの人は人の潰し方を心得ている、私はそれに対抗できない。できても泥沼みたいな闘いになるのだろうな、どちらも綺麗な収束の仕方など、わかっていないのだから。そう思っていた。
だから、2週間くらいかけて、私を潰すように少し仕向けた。3日前には攻撃をしたけれど、例の人らしい言い方でかわされた。そこで思った、あぁ本気なんだな。

今日、答えられるだろうか。多分、今日で苦しい日々は終わるだろう。きっと今日からは、彼は新たな世界へ行くし私はいつもの日常に、すっきりした気持ちで戻るのだろう。そしてお互いに、そこにお互いがいることを望んでいる。
121日、とても濃い日々だった。苦しくて綱渡りで、一歩間違えれば転落していたであろう日々を、なんとか乗り切ってきた。今日で最後、どんな結果が出ようと受け入れる、そして、どちらに転ぼうとこの気持は変わらない。
会えて、待って、良かった。

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調子が悪いわけではないのだけど、過食欲が半端ない。
お腹すいたとか、そういう意味じゃなくて単に身体に悪いものを詰め込みまくりたい。だから、空腹というよりはただの過食欲。何か、ストレスでもあるのかな、自分じゃわからない。

私は18歳から20歳の終わりまで、吐かない過食・拒食があった。拒食で一番ひどい時は、慎重160㎝で体重は34㎏だった。拒食から過食へ移行したときは1ヶ月で20㎏少し増えて、一気に過去最高体重の56㎏にまで増えた。一応、過食が収まってから今までは、摂食障害、は完治したことになってて、体重も特に意識しなくてもだいたい48〜51㎏を保っている。美容的には決してきれいな体重とは言いがたいけれど、まぁ、これくらいで身体に不調はないし、いいかなと思ってた。

けれど、私はここ4年間のうち、3年くらいは一人暮らしでかなり荒れた食生活をしていて、肌とか内蔵はぼろぼろだった。だから、最近、というか5ヶ月くらいは、糖質より、肉や卵を積極的に摂ることにしてた。そのおかげで、肌が本当に変わった。最初はにきびができるかなぁと思ってたけど、真逆で、ニキビはできにくくなったし肌ツヤが相当よくなった。体重は正直ほぼ変わっていないけれど、肌が変わっただけでもう大満足だった。
自炊もするようになって、そうしているうちに、お菓子の摂取量は勝手に減った。お菓子だけは一気に止めると多分ストレスヤバイなと思ってたから、少量のチョコとかは普通に食べてたのに、だんだん、少し残すようになってきてて、最近はほぼ食べなくなってた。

なのに、先週末から異常に、パンとかチョコレートとかご飯とか、つまり、自分が過食症だったときに食べまくっていたものが食べたくなって、詰め込みたくなって仕方なくなってた。
で、昨日、もうやっちゃえ、と思って、バレンタインでもらってたチョコレートを一気食いして、その後、もうコンビニで買い込んで食ってやる、と思ってた。でも、結局チョコレート6粒食べたところでストップかかった。

明日(つまり今日)は病院、その後に例の人と会うよな、明後日は大切な日、明々後日はスキーに行くし、日曜日は楽しみな飲みがあるっけ。塾も毎日行くし、今、食べまくって後悔したくない。それから肌が荒れるなんて嫌だ。過食は今度にしよう、今週は、ダメだ。

一つは、自分の今までに食生活が変わっていたから、単純に身体が過食をストップさせていたことが良かったのだと思う。
で、もう一つは大切だと思えて、崩したくない日常が前にあって、破滅的になりたくないという強い思いが、過食を止めた。
自分の摂食障害は20歳のとき、入院したらすぐに止まった。もちろん、特別な治療をしたわけじゃない。ただ、賑やかな病棟でみんなと一緒に騒いで、散歩に行って、トランプして話して、それをしていたら食べ物に対しての認識が戻ったし体型は普通でいいやというか、気にすることがあまりなくなった。それよりも、人と関わるほうに目が向いた。
でも、その後は1ヶ月に1回から3ヶ月に1回くらいは過食と言える気持ちや量を食べてしまうことがあった。そのときには、必ず何かしらのストレスがあった。Yとの関係にすごく疲れた時、あいつの家から帰ってくるときにコンビニで大量にお菓子やパンを買い込んだり、仕事がうまう行かなかった日の帰りに食べまくったり。

今回は、結果的に過食には至らなかった。だけど、過食「したい」という気持ちは間違いのないものだった。
多分、自覚していないストレスがかかっている。いや、厳密に言うと、自覚「したくない」ストレスが。

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前から書いているように、私には「場」が何箇所かあって、たまにそれぞれの場がものすごく分裂してしまう。分裂しているように感じてしまう。学校、病院、あの街。どこも大切で大切な人がいる場だけど、それぞれの環境が違いすぎて自分をその都度変えなければならなくなってしまう。それは、いつもは意識しなくてもできるようになってきたけれど、やはりそれは精神の疲労の大きな原因となっている。
じゃあ、なんでそんなに分裂しているところに身を置かなきゃならないんだ、疲弊するなら抜ければよくて、統一させればいいだろ、って感じだけど、それはできない。私の生き方は結局、表面化はしなくても精神的には分裂していることが多かった、というか常にそうだった気がするから。気が付かなかっただけで、さ。

例の人は、私みたいに気がついたときから(生まれたときから?)の性質として分裂せざるを得なかったわけではなく、自分で自分を「演出」することを選んだ人間だ。好きで分裂した人間。
その人は言ってた。分裂していても、一つが自分の中で平等であれば保てるはず、と。どこの場に行っても、通用するものを一つ持っていればそれで生きられると言っていた。その人の今までの「平等なもの」は、通常の世界では逆に受け入れられないものであったわけだけど、彼が生きている世界の中の、あらゆる場ではそれが平等に機能している。
ただし、私が生きているのは一般的な通常の世界。私の分裂は通常の世界の中で、自分の精神的な歪みを出さないことと、ある程度表面化させることと、歪む方向に突き進むことを、その場に応じて変えねばならないこと。順に、大学生としての私、精神病の私、あの街で精神的におかしい自分を武器にする私。
だからこそ、彼のようにそれらの場に共通なものをこれと言い切ることはほとんどできない。物質的なものであればなおさらね。

それを言った。あなたは、そもそもの世界が一般的ではないからそれが可能なのではないですか。一般的な場を持っていたのであれば、平等なものなんてそう簡単に見つからないよ、と。その人は、それもそうだけど、平等なものは、態度とか所作、言葉遣い、言い回し、服装、概念、信念、表情例えば笑顔、目に見えないものだっていいはずだ、それが支柱になるなら、というようなことを言っていた。
じゃあ、自分のそれはなんだろう。そう思ったけれど、わからなかった。例の人も、それを失いしかも一般的な世界にも生きねばならなくなるこれからは、再度自分のそれを見つけなければならないだろう。一般的な世界と彼の生きてきた世界は違いすぎる、つまり分裂は確実に今よりも激しくなるから。
私のそれはわからないけれど、どの場でも人から言われるのは、誰とでも平等に接し話せること、らしい。それと、笑顔がいい。その2つは褒められることが多かった。けれど自分ではピンとこない。誰とでも平等、っていうのは結局、誰と接していてもその人のほうが私よりもすべてにおいて素晴らしいと思ってしまいうので誰に対しても自分を低くおくからそう見えるのだと思うし、笑顔だと思われているのはへらへらしているだけ。

ただし、自分がどの場でも大切にしている自分の信念なら、漠然とわかる。それは、どんなやつでも今話していたり目の前で対峙する人にたいして、心を置こう、ということ。その瞬間だけでも本気でかかわろうということ。それだけだと思う。できるだけ芯からくる言葉をつなげようということ。それだけ、だから、目の前の人にしっかりした言葉をかけることを、どの場での大切にしたいかなと思った、今の時点ではね。
ただ、そのことが、自分の分裂の根底で一つの共通なものとして根を張れるかどうかは分からない。
例の人は、更に言っていた。自分の中でもそうだけど、どの場のあなたも知っていてその上で同じ方向を向ける人間が1人いればそれで落ちつけるはずだし、きっと潰れない、と。

つまり、この人がそうなるということを言っているわけで、それはとても有り難いことだけれど、でも私はこの人に対してはまだ損得勘定が抜け切らない。それを知っているくせに、言い切れる真意こそ、分からない。
余計に分裂しそうだ。

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風が強い。
今日は、朝イチで新宿のデパートへ行ってきた。これから塾なんで、それに間に合うように9時の電車に乗って10時半の開店ちょうどに行こうかなぁと思って。チョコレートを買いたかったのだけど、関東には3店舗しかないフランスのブランドのが欲しかったので新宿。

開店5分前くらいに店の前いくとさ、もうたくさん人が並んでるのよ。今日、なんかの催し物とかセール的なものがあるのかなぁと思ったけど、HPにも店にもそれらしき大々的なものは書いていなかった。まぁ、今日がバレンタインデーってことで、地下ではチョコの各種ブランドが、催し物コーナー的な感じで並んでいるのだけど、別にそこがとても混んでいるということはなかった。
店内に入って最初に目撃したのは、1階のブランドバッグとか宝飾品の店に駆け込む方々。あぁはい、リッチでございますね、と横目で見る。開店と同時だったもんだから、店員さんがこっちに向かって90度に近いお辞儀していて、本当に居心地悪い感じだった。自分が接客業のときお客様にやるのはなんの抵抗もなかったのにね笑

私は、ブランドのもの、ほぼ持っていない。一つだけ持っているのは、高校2年生のときにオカンに買ってもらった、バーバリーの財布だけ。それまで小学校5年生くらいでピアノの発表会かなんかでもらった財布を7年以上つかってたので、誕生日に奮発して買ってもらった。多分、2万円くらいだったと思う。もうあれかた9年くらい経つけれど、まだまだ使える感じでずーっとつかってる。もちろん、サブの財布なんてないから、常に使う。とても気に入ってる色、静脈の赤で、このころから私はその色が好きだったんだなぁと思う。
それ以外は服も、バッグも、靴も、全部そのへんのお店。靴、持っている中で一番高い(値段がw)やつですら、6千円だもんね。ブランドは興味がないもはもちろんだけど、買えるわけがないわけだ。

そして、私は一生、今日のデパートのようなところの、特に1階には縁のない人間なんだろうなと思う。惣菜とお菓子売り場は奮発するとき使うと思うけれどw 多分、何度も言うけれどこれから先、「お金のもうかる」職業にはつかないと思うし、平均以下の収入しか得られないと思う。もちろん、自分の今の状況からして、25歳で大学2年生になるってな感じじゃ就職はすごくたいへんだろう、っていう理由もある。でも、それだけじゃなくて、私が漠然とだけどやりたいことは、お金とはほぼ無縁なものに見える。そして、もしも、自分のやりたいことにたいして、自分が思っている以上に稼げたとしたら、それはなにかのからくりがおかしいのだと思う。
私は、お金に困ったことがなくて、だからあまちゃんな考えなのはよくわかっているけれど、自分に必要な分だけ身の丈の分だけ、働くその対価であればふさわしい金額を、いただければそれで十分だと思う。確かに今、私は大学の学費があと1年の3分の2くらい足りない。だから、今春休みで一生懸命バイトして、多分月9〜10万くらいもらえるのだけどそれで何か贅沢(たかが知れてるけどね)しようって気はさらさらなくて、今までどおりに質素な生活続けながら、やりたいこと、つまり大学卒業、に向けてお金を少しでも貯めようと思っている。

そりゃね、私ももちろん、おいしいもの食べたいし、週に1回くらいステーキ屋さんに行きたいし、レコードも欲しいし、飲みに行くのをセーブしたくないし、ビールも発泡酒じゃなくてビール飲みたい。
だけど、目先の欲に流されることは、お金に関しては本当に昔から無いんだよね。親は、何不自由なく生活させてくれたし、きっと教育費はたくさんかかったと思うけれど、それにあぐらをかくことはしたくなかった。中学のころから、自分にどれだけ教育費がかかっているか、それはずっと気にしていたから。

だから、もう、お金に関してはだれにも頼りたくないのだけど、今はそれもできなくて、両親からまだ仕送りを頂いている身。大切に使って、そして多分、一生かかっても返せないけれど、そのかわりに健康でやりたい仕事をしっかりやっている自分を見せて、それをお返しとすることで、それでいいかな、と思う。

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うん、調子戻ってきた。やっぱ、生理のせいかな、それとも定期的な私なりのうつ状態みたいなもんなのかな。よくわからん。でもとりあえず、なんとかなりそうだからいいや。
今日は、超久しぶりに学校へ行って、いつものメンツで友達の1人の誕生日のサプライズ準備してた。今回は私が編集でメッセージCD作るってな感じになってたんで、みんなのボイス撮って帰ってきて、編集してた。BGMは根っから明るいファンクで。

学校のみんなと約2週間ぶりに会った。久しぶりに、友達、っていうくくりでの集団に入ってみたけれど、やはり何度入っても、慣れない。人の顔色や、誰と誰がアイコンタクトの回数多いかとか、人の目を見て話すのはだれかとか、声のトーンで特定の2人の関係を穿っていみたりとか、とにかく変に観察してしまう。
本当は、知ってる。みんなは別に考えていない。アイコンタクトなんてしてないし、リラックスしてそのままの彼らでいるんだと思う。もう1年にもなる仲間なわけだし。こんなこと考えること自体が、失礼な話だと思う。でも、私が彼らの中に適応するにはとにかく観察してある意味でそのあり方を「真似る」しかないのだとも、思う。

私は「素の自分」でいると、何を言い始めるかわからない。きっと、楽しい話なんてできないだろうし、とにかく根暗で、日常や過去のことを少し話そうにもネタがない。いや、ネタ自体はあるのだけれど、楽しいネタがなくて引かれて終わるとわかっているから何も話すことがない。
話の仕方や話のペース、私は人と何かちがって咬み合わない。なんつうか、私の話し方はそうとうにわかりにくいらしく、相手に怪訝そうな顔されるのなんてしばしばだ。加えて、早口なもんだから、本気で相手を混乱させていることもあるみたいで、だからだんだん、話すのが苦痛になってくる。申し訳ない、申し訳ない、私となんか話さなきゃなんなくて本当申し訳ない、とそんな気持ちになってくる。
だから、それを回避するために、相手のペースや話し方に極力合わせる。大学の同級生たちの話し方やペースは、ここ半年くらいで習得した。奔放・たまに真面目・気を使い過ぎない。ただし、どれをとっても真似るのはむずかしい。だって、みんなそれを絶妙なバランス感覚でやるんだもん、おばさんついていけませんマジで。

前の職場とかでは普通に浮いてた。私が自分のペースでやるから。私は従業員同士の人間関係よりかは、業務やお客様優先にしてた。評価は高かったものの、そういう考え方は、あまり良い目で見られなかった。自分のペースを守りすぎると白い目で見られることに気がついたけれど、でも貫いてたらそれなりに理解はついてきたけどね。
でも、今度は学校。上手くやらねばならない。もちろん、周りのやつらは本当に素敵で、考えなくてもぜんぜんお互いをさらっと受け入れられるとは思う。それでも、私は怖い。大切にしたいものだからこそ、人とペースや物事のやり方が違って、その結果、失うのは嫌だ。

矛盾してるようだけど、でも、自分っぽさは最大限に出していきたいし、じゃあその中間はどこだろうと模索するのだけど、なかなか難しい。だから、とりあえずは、大切な場なのだということを意識して何をなせるか常に考えていくことかな、と思う。目指すは。人を疲れさせない私。

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退院後の試練、続いてます続いてます、今日も低迷中笑 生理3日目に入ったんだから少しはよくなってよと思うけれど、気分の低迷はまだあるね、昨日よりはまだましだけど。
昨日、ベゲB飲んで21時くらいに寝逃げして、起きたら朝の9時半。12時間睡眠ですよなんてこった。けど、すっきりしてたから、シャワー浴びて昨日作ったままにしておいた鶏肉スープ的なよくわからないもの食べて、そうだ今日はなんかDVD見られるかも、と思い、2時間見た。で、少し買い出しして、今日はフルで塾。そんで22時に帰宅ってな感じ。マジ、まだまだあまちゃんな生活。学校始まったらこんな体力と精神力じゃやってけないなぁと思う。

こう、落ち着いていると、逆にそわそわする。私の去年1年は、基本的にものすごくめまぐるしくて自分のやっていることを把握できなくなる時期と、ぶっ潰れて保護入院になって無理やり「やるべき」を奪われてヒマー、しかしODや暴走のせいで死んだようになってて時間の経過がおかしくなる、ってな時期を繰り返していた。正直、傲慢な話かもしれないけれど、その2つを繰り返して、それで平均にすれば、同じ大学生のみんなと同レベルの活動量になるんじゃないかって話なくらい。
めまぐるしいときは、学校と毎日バイト、そして週に1回か多くて2回は、家と学校からそれぞれ1時間離れたあっちの街へ行かねばならず、朝は7時半ごろ家を出て帰りは22時から23時、ってこのが毎日だったりした。そして課題もあるしグループでの作業もあり、更に別件では精神が乱されることも多く、本当、ぎりぎりだった。まぁ、ぎりぎりだから、潰れるんだけどね笑

けどさ、だからって、だいたい平均的に疲れないように過ごしましょう、ってなると、それができないんだよなぁ。わかっているんだよ、社会人で、ちゃんと生きていくにはそれが一番大切だって。休まない、毎日コンスタントにやる、それが人から信用される第一歩だし、そう要求されている、私も仕事をさせて頂いてたことはあるし、今もバイトとは言えお給料もらっているには変わりないのでそりゃわかってる。学校だって、自己責任とはいえど、毎授業しっかり出席することがすべての前提だろう。
だから、そのためには体調毎日整えて、無理せず、たまに羽目外したり忙しすぎてもどこかで立て直すとかしなきゃなんない。それは、わかっているし大切なことだし見習いたい。

でもね、あまりに保身的になりすぎて、なんていうか、本当に守りたいものが危機に陥っても、自分の「今の」生活だとかに目が行き過ぎて大切なものを失うことだけはしたくないと思う。そのためには、自分が本当に大事にしているものを見極めなきゃなんないんだけどさ。
例えば、言わないけれど、私は自分がもっとも価値をおくものごとはなにか、それはわかっている。人とか現象、というよりは概念だけどさ。私は、その「概念」が自分の前で形になっているとき、それが傷つきそうになったり大変な目にあいそうであれば、今の生活とかを無視してでもそちらへ行ける自信がある。破滅的な考えだというのは承知だけど、それでも、それを失えば生きる意味が半減して、それなしでは生きたくないと思うからこそ、他のものをある意味では無下にできるのかもしれない。
受け入れられない考え方かもしれない、そしてその私の勝手な行動のせいで傷つく人間もたくさんいるかもしれない、けど暴走してでも大切にしたいものが、一つあったっていいじゃないか、と思う。

子供っぽいなぁ。だけど、こういう子供っぽさは、好きかもしれない。

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