Take it EZ! セカンドダンジョン

私のどうしようもない過去を聞いてください。

18歳で高校を卒業後、私は九州の大学に進学しました。千葉にいたくなかったからです。理由は特にありません。そこで上手くやっていくことができず、拒食症になり、同年の7月にこちらへ戻ってきました。それから2年間、専門学校に入ったりバイトにあけくれたりしながら、摂食障害と抑うつの中にいて、人とは最低限しか関わりませんでした。体重も、34㎏から56㎏までの変動をし、痩せ方が異常だった時期もありました。しかし、今の病院に2ヶ月入院したことにより、劇的に回復しました。それから半年後には友達もでき、民間車検場の事務として働き出すことができました。21歳になりました。2011年3月、震災がありました。ちょうどそのころ、私はYと密接に関わるようになりました。ここまでは、まだ良かった。

その後の4ヶ月は、人生を大きく変えるものでした。まずYにされたことは、家に閉じ込められ、ケータイ(そのころはガラケーだったんです)を折られ、縁を切ろうとすればつなぎ止められていました。私は別の男性と付き合っていましたが、その人はYと関わるなと言ってくれました。
同時期、会社の専務(と言っても、25人規模の小さな会社です)とも関係がはじまりました。これに関しては、拒みきれなかった私が悪いです。
そんなことが積み重なり、しかも、Yが私の当時の彼に暴行をし、専務に脅しの電話をかけ、私にODをさせました。

私は医療保護入院(つまり強制)になりましたが、3週間で出てきました。その2週間後にはこの街へ越してきていました。会社には居づらくなって転職しました。
そこから半年は前に言った通りです。身体的なものよりも、精神的なダメージがひどく、私は22歳の2月下旬に、1人で葛飾に越しました。

その後の3月から7月までの5カ月間はめちゃくちゃでした。明らかなオーバーワーク、毎日の異常な量のお酒、デパスやフルニトラゼパムに頼り切りました。当時は渋谷のホテルで働いていたのですが、そこで知り合った外国人の男性と4ヶ月付き合いました。もちろん、身体だけです。
また、昔のねずみ講、といったような集団と関わりました。もちろん、途中でこの人たちはアホだと気がつきましたが、とにかく寂しかったので、その集団にとどまれるだけとどまり、危うくなってきたなと思った時にスパッと切りました。外国人の方は、いったん国へ戻っていたので、その時は本当、1人という感じでした。その後、大罵倒された末にその人とは縁を切りました。
もちろん、親や親友はいます。でも、Yがいないという穴は、ふさがりませんでした。なのに同時に、知るはずもない、知られるはずもない私のアパートにYが来るんじゃないかと言う、あり得ない妄想に、恐怖を感じてもいました。
そんな日常は崩れ、また7月に医療保護入院。
しかし、この街の、Yもかかっている病院です。もちろん、再会した。再開もしました。

それから半年、また一緒にいる機会が増えました。身体的な暴力こそありませんでしたが、精神的には、たぶんですが、少しの束縛は受けていたかと思います。
23歳になり、12月に「暴走」を起こし勤め先を退職。それからYと3ヶ月、連絡を断つことになります。


3ヶ月の後、今度は付き合うという形でなく、関わりを再開しました。まぁセックスくらいはしたけれど。だけど、その時には私の気持ちは前とは違っていました。この人を、私のよりどころとして利用しようと思い始めました。
自分がつらい時、苦しいとき、ODするとき。Yのところへ行きました。放っておかれるのが心地よかった。そして、私も「Yの役に立てている」、私はYの、Yは私の、一部であると思っていました。お互いに利用しながら。
実はその間にとても魅力的で好きだと思える男性に出会っていたのですが、私があまりにも身勝手に傷つけてしまったため、縁はきれてしまっていました。

なにか、すべて、いつもうまくいかなくなりました。大学生になってからもそうでした。
車検場に就職したころの、何かから生き返り、ここから普通に生きれると思っていた20歳のころが、4年と少し前が、なつかしい。

今年の7月に、生死をさまよう本気の自殺未遂。3度目の医療保護入院。その後は知っていますね?しかし、今、この過去、忘れたいと思っていたどうしようもない過去を、あなたが思い出させ、Yから受けた傷を復活させ、挙句にいなくなった、
あなたは、前に、Yと暮らしていた21歳の6ヶ月かんを「よくがんばったね」と言ってくれて、そのとき私の中の何かが決壊しました。
数日後、それを専門の方に話し、今の、いや、21歳以降の症状はPTSDそのものだと言われました。だから、きっと良くなると。複雑な気持ちでした。
その2時間後、あなたと食事をし、その1時間後、後は分かるでしょう?

今の「解離」。引き起こしたのは、そもそもはもちろん私の元来のどうしようもない性質と、それにマッチしてしまったYです。
しかし、この、忘れてればうまく行ってたはずの、行きかけていたはずのものを掘り起こし、わざと、でしょうけれど、それはあなたです。
だからあなたも、私の「過去」が「昔」になるまで見ているべきです。

長い文章、読んでいただいてありがとうございました。

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入院は6日目になった。例の人からの連絡は来ず、Yはなにかと調子よくやっているらしい。
今日は診察だった。とは言え、昨日も呼び出して5分話したし、こないだの当直のときも30分くらい話してたから別にめずらしいことじゃないけどね。
今日は、とにかく診断書をその場で書いてもらった。私の通ってる大学は、25日から冬期休業なので、とりあえずそこまでの期日で診断書を書いてもらおうとしたら普通に拒否られて、退院未定と書かれた。まぁ、さっさと退院する気満々だったのに、そしたら、じーさん、今月で退院なんかさせるか!入院期間5年って書くぞ、と言う。まったく。

今回は、昨日のブログに書いたことを大きく書いた紙を持って行った。つまり、
「結論
私のおかしさは、誰かにコントロールされるべきではない。私がコントロールするものだ。
私の歪みは、誰かが直すものではない。私が深く掘り下げ、共に生きるものだ。」

そう書いた。じーさん、めっちゃ月並みなこと言ってきた。どれだけ人に迷惑かけてるか分かっているのか。総合病院には呼ばれたときや、この病院、親、いろいろな人が関わっての命なんだ、自分だけのものじゃなく社会的なものだとなんで分からない、と。
分かってますよ、いや、正確には、分かっている時もあります。例えば、7月にICUで目覚めたとき、目の前の看護師に泣きながら「ごめんなさい」と言い続けた。例えば、この病院内や、学校や、外でも、友達や関係者の大半とはうまくやっているし、私だって人の役にたっている自信があります。丁寧に過ごしてきたと、最近はそうやって過ごしてきましたと、思ってますよ。そう言った。

じーさんは言う。多重人格よりタチが悪い。君は、完全に2つに分裂している。
私も負けない。知ってますよ、でもね私は、もしどちらかを選ぶとしたらもちろん「歪んだ」方を選びますよ、ところで私はおかしいのですか?と。
じーさん曰く、おかしいどころの話じゃない。君の状態をドラマにして全国放送にしてみんなに考えさせたいくらいだ、と。こっちこそ、だれかに私の行く先を考えてもらいたいですよ、もう、自分じゃわけわかんないんですよ、と私も答える。

母や私を小さいころから知っている人は、昔は私はこんなんじゃなかったという。私も、こういう風な兆候が現れたのは21歳くらいからだと思ってる。もしも、この「普通の」・・・つまり、暖かすぎる学校や楽しいことを享受することを素直に受け入れられるっていう意味で・・・状態がなく、初めから歪んでばかりいるのであれば、私は犯罪者になっていますよ、と言った。
それを、今日面会に来た母に言うと、私のアニが全く同じことを言ったらしい。分裂した片方が暴走したら、犯罪をするだろう、って。意外とよく見ているアニw

病棟は今日も変わらず、変なおばちゃんおじちゃん、甲高い声でヒステリックにしゃべる看護師さん、OT、散歩、車いすの人々、歩行器、つけっぱなしのテレビ、廊下を何往復もする人々(←私も廊下でもも上げ体操やってるから非常にあやしいのだけど)、昨日は夜の1時から3時まで廊下で本を読んでいたら、その間に20人くらいしかいない女性の約3分の2以上がトイレに入ったり出たりしていた。みな、眠れていないのだと思った。そんな日常。
おととい、病院の敷地内を散歩して、ジャージ姿で眼下にある畑を見降ろしながら、「ドアーズ」のLight My Fireを聴いていた。もちろん音楽はとても素敵なのでけど、そのなんていうか、精神病院の敷地内でジャージでぼけっと突っ立って、あれはなんだ、白菜だかキャベツを見下ろしながら聴くっていうナンセンスさに、自分で笑った。

今の状況、実は面白かったりする。外泊許可を取るために戦い、病棟ではいい子ぶり、少しPCいじれて学校に診断書をおくりまくり、課題もこなし、どうせならフランス語極めようかと思い、いつもの病棟の人と疲れた笑みを交わす。アクティブではないけれど、もしかしたら精神活動的にはアクティブなのかなと思う。よくわからないけれど、どうせまだ、あと2週間くらいはとりあえず退院不可能だろう、じじーは、今回マジで本気。もしかしたら、私の何かの核心に、本当に触れられるかもしれないと思っているかもね。だったら、徹底的にやってくださいと思う。だけど、私のバリケードと歪みは、一級品だよ、と言っておく、というか、じーさんが自分でそう言ってたね。

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今日はもう12月。学校では実験が始まり、塾生たちの受験は本格的になってくる。なぜ、自分がその場にいることが禁止されているのか、不思議でならない。

OT(作業療法)で、毎日歌を歌う。昨日、同病棟の年配の女性が話しかけてきた。「私、なんでか歌の、ある部分、を聴くと涙がでるの、変でしょう?みんな、私がしゃべっていることがわけがわからないと言うの。」まぁ、半分くらいはわけわからんけど、半分は分かるし、歌詞や音に心を動かせるのは素晴らしいことだと思った。
80歳近くのしゃっきりしたおばあちゃんは、3度結婚していて、普通の女性の何倍も男勝りで強い方で、そういう方と話すのはとても好きだ。
痛みも苦労も、後味が悪いものでなければ思い出となると思う。

その点、今の私の過去は、ほとんど後味が悪い。今日、私もOTのお兄さんのギターで歌って、まぁそういうのは意外と元気の出るものなのだけど、たまに過去がふと現れて、最低な気分になる。涙など出るはずもなくね。だけど、私はじーさんとカウンセラーさん以外のこの病院のスタッフに、自分のおかしさを見せる気など微塵もない。この歪みは、看護師たちにも分かるはずがないと言っていたし、もしその歪みが「脅かし」になると彼らは、力、つまり規則で抑え込もうとするわけだから、見せてはならない。

私のおかしさは、誰にもコントロールされるべきではない。私が、コントロールするのだ。
私の「歪み」は誰かに直させたりしない。私が、もっと深く入り込んでなんとかするんだ。

ここではそれはできない。週に1回、2週に1回の通院とカウンセリングで十分だ。あとは、あの忙しくも楽しい日常に疲れ切りながら、少しの薬とお酒の中で考えるべきだ。自殺なんて、しないって。他人を傷つける(Y以外)こともしない。
事実、こうなる前の2カ月、私は自分の周囲に丁寧に接しようと努力しようと、日々を何とか、丁寧に生きようとして、それに成功してきたのに。
少し歯車が狂いはじめたのは不可抗力でしょう?私にどうにかできたとでも?私がもう少し強くて(つまりある意味で弱くて)鈍感だったら今この事態は回避できたとでも?

あのさ、だったら、死んでもいいんだ。今、この2つの自分を行ったり来たりできる強さが手に入らず、自分を弱めることでおさめなければならないのであれば、死んだ方がいい。

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