Take it EZ! セカンドダンジョン

今日は外出でネカフェ。最後の課題をやっつけた。入院中に6科目、春季の単位のための課題をやった。たぶん、全部の強化の3分の2は、単位をとれると思う。まぁ、この状態なら上出来かなぁと。

おとといは診察だった。またあのじーさん、いつものとおり「調子はどう」と聞いてきたので「普通です」と答えたら、君の普通は宇宙人の普通より信用できないと言われムカっときた。退院の話はこちらからことあるごとに出しているのに、はぐらかされている。まぁ、私もバカで、じいさんに「今回のODで何を学んだ?」と聞かれたとき、「あの量と時間ではまだ死なないということくらいっすかね」と答え、「5年後何してると思う?」の問いには「生きてたら、という前提ですか?」とアホな質問をしてしまったため、印象はクソ悪くなってるんだろうなぁと思う。お付きの看護師さんは私とじーさんのやりとりに爆笑だったけどねw
けど、だんだんポジティブになってきてるじゃないか、とも言われたし、自分でも自分を見る余裕が、ほんの、ほんの少し生まれたかなぁと思う。


昨日は少しだけカウンセラーさんとあった。本気で心配してくれることがわかって、なんかほっとした。
カウンセラーさんにも言われたけど、ODしてから、いきててくれてありがとう、と何人かに言われた。よく意味がわからないのだけど、そうか、なんか、うれしい。

病院は、明日から新棟が開放される。入院患者がふえるだろう。病院内の人間関係って、実は複雑だったりする。私も、一部にはめちゃ嫌われてるし一部とはかなり仲がよかったりする。ま、そういうストレスはあるけれど、なんとかやっている。

今は、退院したらあれしてこれして・・・は考えないことにした。カウンセラーさんも言っていた。今は、思考や思想よりも、生きること、変な話、本能としての生きることを中心にしてね、と。
たぶん、私はまだそういう時期だ。血液検査や胸部レントゲンもなんかおかしいらしいしね。足はまだなおんなくて、抗生剤飲んでるし、まぁ身体ガタガタです。これだけですんだ、っちゃそうなんだけどさ。

ってな感じ。
今週の土曜日は、病棟の目の前の沼で、大きな花火大会がある。特等席からの見物。ビールはないけどね。
そういうの、普通に楽しみにして、今は本能が生きたいというならばそのとおりに生きよう。

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今日は外泊。まだ一人でアパートに戻るのはじーさんに許されないから、実家。
ヌマ病院に入院してから、2週間経った。学校からおくってもらった代替レポートや提出課題を、5科目完成させて提出した、くらいかなぁ、やったことと言えば。まぁヒドイ出来だと思うけど、今の状況でできることはやっている、と前向きにとらえるしかない。

病院では、入院仲間と話す機会がふえはじめた。20歳とか、22歳の女の子や、30代のにーちゃん、60、70代のご婦人、おばぁちゃん。同じ病棟の女性の患者さん20人ちょいは、全員名前覚えたし、たぶん全員と会話した。今の病棟では、私が一番若いけれど、他の病棟には少し年下くらいの同年代の女の子がいるから、楽しい。けどその分、人の話を聴いたりだとか、なぜか私もいっしょに悩んだりだとか、そういうこともあるわけだ、なんだけど、それが今の私にとっては救いになっている。正直言って、自分のことを考えたくない。単位のために、機械的に課題をこなして、あとは、自分以外のことをしゃべってる。まぁ、ある意味逃げている。

今回病院で出会った人は、この数カ月間の私の周りにいた人たちとは全く違った人生の人が多い。
一言でいえば、危ない。よく今まで生きてこられましたね、というような人が、数名。そんな話を内緒で私にしてくれるところも、またおもしろいのだけど。
私の日常であったはずのおちついた大学生活の中にいる子たちには、逆立ちしてもわかんねぇんだろうなとおもうような、ドン引き話や苦労が、ある。学歴うんぬんとかレポートや課題や就職や、サークルやバイト、そんなもんとは縁遠い、闇でしか生きられないやつも確かに存在していることを、再認識させられた。
でも逆に、そいつらにとっては私も含めた平凡で一般的で、でもその中で幸福を見つけるっていう、おちついた話や苦労が、ひっくりかえってもわかんないんだろうな。お互い様だ。

その、中間点にいるように見える女の子たちが、いる。自分の言葉を見つけられずに、病んでいる。きっと、現実的に、居場所がないんだろうと思う。定点がないんだ。そして、自分に定点がなく、私が知っている20歳、22歳とは全く違う苦労を背負っていることに気がつかずに、いたりする。外部から見ると、そんな位置こそ、つらいと思う。

私も、たぶん3年半くらい前からそうなった。定点が、なくなった。私は普通に生きてる平凡なヒト、だと思っていたのが、いつのまにかレールから脱線した。初めからレールに乗らないアウトローとは違う。
Yは、私を完全に脱線させてくれる存在だと思ってた。でもあいつは私も同じことをしたいと言うと、おまえはだめだ、という。今、病棟でいっしょの、Yよりも(やってきたことが)ヒドイ笑にーちゃんも、年下の彼女に同じことを言うらしい。その彼女は、たぶん私と同じく脱線組なんだ。今のヌマは、そんな私でいても大丈夫な場所だ。キレイキレイでいい子じゃなくてOK。かっこいい生き方じゃなくてOK。

でもそれも、いつまでも続けてちゃだめだ。自分の定点を、新たに定めるか、戻るか、みんなするんだ。
闇に戻るやつは戻ればいい。または一般的な日のあたる笑生き方を新たに選ぶのもありだと思う。
それで、私は、どこに行こうか。ただ、普通に普通に、みんなと同じく大学行ってバイトやって、って、それは自分を苦しめていたらしいのは、確かだ。大学で学ぶことはやっぱ楽しいし、ゆずれない。だけど、自分の核を、その場のみんなの平均に近づけようとして、そうすることで居場所作って安心しているのは、違う。

本当、思う。私は、誰なんだよ、つって←大げさ
2014年7月6日、たぶん私は精神的に一回死んだ。じーさんの言うとおりだ。

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こないだ病院の知人が死んだという記事て、その「腐れ縁」かつ元カノの女の子が現実を受け入れられていないと書いた。あれから、10日くらい経った今。今、彼女は「究極の逃避」をしている。

表情は消えて目は虚ろ。みんなでわいわいやっているときは少し笑うけれど、本物の笑顔はなくなった。
なのに、私や、その死んだやつと彼女と親しい人だけになると、笑って言う。「ねぇ、なんで来ないんだろう。こんなに来ないのおかしいよね。」「うらちゃん、あれ本当なの?」
先生やワーカーさんは、何度か彼女に真相を告げている。なのに。「先生も死んだとか言うんだけどさぁ、うそだよね、あいつにかぎってそんなこと」
聞いていて、泣きそうになった。

あのODから、Yに電話が繋がらなくなった。さっき、Yのお母さんの電話が繋がって、Yが生きていることはわかった。でも、私はこの間のSさんの死から、生きていて当たり前でいつでも会える人などいないかもしれないことに気がついて、少し怖くなった。

という思いを、私は他人にさせているのかなとも思った。
Sさんの元彼女のように、なってしまう人が、万が一にもいたら。申し訳ないなと思う。こんな私にそのような人はいないと思うし、Yなんて「へぇあいつ死んだんだ」くらい・・・ってか、死んだと思われてる可能性も大だ。
そりゃ、通りすがりのやつに何とも思われなくてもいいし何も思われないだろう。けど、少なくとも何人かは本気で心配してくださった方がいたみたいだったし、それは本気であったと信じてみたい。

さぁもう少しでその彼女が病棟からここに来るだろう。今は一緒にいて少しでも役立つならそばにいよう。
Sさんの命はSさんのもんだけじゃなかった。Sさんが亡くなったら彼女がくるった、そして、誰かの一言や行動が、Sさんの最後の異常を止められたかもしれない。両方の意味で。

私が生きている理由はないしあったとしてもくだらないけど、人が関わっている。私が今生きているのは常に誰かの一言や行動があったからだ。
軽く扱えるモンじゃないのかもしれないのに。
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入院生活11日目の今日。病院生活には慣れて来た・・・つうか慣れてるか、元からw
とにかく、朝から晩まで誰かと挨拶したり相談持ちかけられたり話したり、で、しかも人の話メインなんでくたびれる
っていうのと、ケータイが基本、13時から16時までしか使えないもんで、ブログは滞ってますハイ。

考えてみたら、あれだけ心配してくれた方がいたにもかかわらず、自分の状況を漠然としか書いてなかったんで、ここらで自分のためにも、何があったか書くわ。
えー、7/6午前4時ごろ、事前に入手してた処方される中でも最強系の睡眠薬を飲む。Y家にて。本来は、もっと深夜にヌマのあたりの人目につかないとこでやろうと思ってたんだけど、時間的な計画が少し狂い、明るくなって来てしまったのでY家。酒と、ヨーグルトを買って、やつの家のインターホン押すけど出るはずもなく、仕方ないからベランダから押し入る。あとは前書いたとおり、あいつがタバコ買いに行く間に、粉をヨーグルトに入れて食い、錠剤を飲む。で、28時間Yに放置されて、その後近くの大学病院に搬送される。搬送されたのが、7日の昼だね、で、私がICUで起きたのが9日昼。だから、3日間ちょい意識不明だったわけだ。ま、本当に大変だったのはその後2日間。マジ変な気持ち悪い感覚の幻覚みたいなの見続けた。自分の中に、ちっちゃい自分がいて、そいつが変な夢を見ている感じ。で、自分に戻らなきゃ、となって目を開けると、今度は息が出来なくなる。冗談抜きでマジで息出来ない。吸えないし吐けないしで。
それがご飯も食べれず寝れず、2日間続いた。肺塞栓もあって、苦しいし、血栓防止で足には何かキツイタイツはかされ、点滴数種類。まぁ、自分でやらかしたことだけど、ありゃマジで辛かったわぁ。最後、ヌマに転院が決まった後に、熱が40度近くまで上がって、こりゃヤバいってことで上半身を氷枕で冷やしていたら、熱が引いたとともに、精神も落ち着いた(つうか精神死んだ)。

そんで、ヌマへ。最初はマジで死んでたみたいで、知っていた人でさえも私を認識出来なかったらしい。顔もほとんど動かなかったらしい。うん、そんなもんだ。そう、でも片方の踵にデカイ血の塊ができちゃって、それが痛くて歩けなくなりかけて、昨日は緊急で外科に他科受診をした。それが後遺症って感じかなぁ。

今は、学校から直接、代替課題が送られて来ていて、それを消化したりしながら人と関わっている状態。ご飯はキレイに全部食べてるし、毎日8時間くらい寝ている。なのに、まだ、本格的に一人暮らしに戻ったり学校行くのはキツすぎる。
ODから2週間以上経っているのに、この状態はマズい。なんか、精神的に元に戻れない。

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はぁ。外泊です実家です特例中の特例での外泊だそうで。なんてったって、今回のヌマ病院への入院は、入院予定期間5ヶ月、とかいうわけのわからない「医療保護入院」なんだから、さ。
5日で救急搬送先の病院から出て直接ヌマに連行された私を待ってたのは今までになく厳しいじーさん。5週間の間違いじゃないんですか、って聞いたらそんなんで足りるか、頭のネジを巻き直せと言われた。まぁ360度巻き直して「2週間くらいでいいっすよね」って言ったらすげー睨まれたからやめた。

学校、テスト期間だからどうしても行かなきゃと言うと、今のお前は絶対に行かせられない、って言われ、逆に学校に開示して措置を取ってもらうように言われた。まぁ、ここまで来たら背に腹は変えられない。学部の事務に本物の(自殺未遂大量服薬後の肺栓塞症、からの閉鎖病棟)診断書をすぐに送り、期末テストの代替のレポート課題等を送ってもらった。まぁ、半分くらいは単位落とす、けどそりゃもうしゃあない。だけど、やれる範囲でやれることはやろうと、ハラが少しすわってきた。ってことで、昨日じじいと怒鳴りあってなんとか外泊を勝ち取り(?)、今日はお車でご送迎してもらって図書館へ行き、実家へ戻って来たわけです。

けどね、今回ばかりはじーさんマジギレだった。昨日、本気で怒鳴られたもん。で、怒鳴られる意味もわかんないしなにこいつ、ってなって目を離さず表情変えずにいたら余計怒鳴られるっていうね。まぁさすがにムカついたんで言い返しまくったけど。
怒られた理由は私の行ってることが「生や魂に対する冒涜」でやってることが「命を石ころみたいに」扱ってるかららしい。まぁ確かにそうかもだけど、それがどうかしましたか不都合ないしそういう生き方しか最近はできませんね、と言ったら余計怒られた、ってこと。もう、めんどくさいっす、そういう話。

病棟生活はまずまず。なんかいろんな人から話しかけられ相談持ちかけられ、だけど、中に一人、おもろすぎる(ってかおっかなすぎる)人生の、Yくらいの年齢の兄さんがいて、だいたいその人とつるんでる。あ、あとファンキー・ガール(4年来の友達)も同じ病棟だ。看護師さんにも私は良くされてるから、特に不満はない、自由もないけどね。

ただ、じーさんが言うには私は「本当に死ぬところ」だったらしい。そして、ヌマに到着した時の私は精神的に死んでいたらしい。それは、病棟の女の子にも言われた。入院後5日たったあたりで、「よかった、うらちゃんがやっと元気になって来て笑った」って。確かに、鏡で自分見てもあんときはヤバかったと思った。その理由は、ICU出たあとの向こうの病院で、大量服薬の薬の効果か知らないけどすげー不快な幻覚見続けたり息ができなくなったりを繰り返して、2日間、寝ることも食べることもしないで叫んだり呻いたり、息出来ないつってナースコール押しまくったりしてたから。まーあの2日は生き地獄的要素たっぷりって感じだったね。軽く言ってるけどマジでやばかったから。

かんがえてみりゃ、ODの日から2週間。体重は激減、身体中アザとか何かの痕だらけ。まともに歩けねぇマジ。
なのに、後悔はない。ICUで目覚めた瞬間思った、あぁまた日々が続いて行く。どんな日々であろうと続いて行く。どんな生き方であろうと続いて行く。ならば、感性や情緒など消して続いて行けば良いと考えるのだけど、私の深い部分がそれを許さない。だんだん戻ってくる感情が、うっとおしい。

うん、ぶっ壊れてるな私。このまま壊れたいと思う自分と、でも進むんだよと、ヤツの死や今つるんでる男が、Yの孤独や死を連想させて、私が死んでどうすると思う自分がいる。
そう気張らず適当に楽しんで生きればいいと言われそうだけど、この世の中で「楽しく」「いきいきと」生きられる方が異常だと感じずにはいられない。脳内麻薬がでまくってんのかマジでラリってんのかのどっちかだろうと、言いたくなる。

明日病院へ帰る。午前中は作業療法行って、午後は外でみんなでくっちゃべる。ただ、今はその「彼女」に「寄り添う」時期でもあるから、その時間が必要で、ケータイとかほとんど見られない。
だから書けなかった。でも少しずつ身体は元気になってきてます、8月中には退院するわ無理にでも笑 精神は死んでいても誤魔化して生きるしかない、そして限界が来たとき死ねば良い。今回の未遂でそんなことを思うようになった。
冗談抜きでダンジョンだこんな人生。抜けられない、上がれない。

ってな感じの最近。

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病院の知人が死んだ。
飛び降りの線が強いらしい。月曜だった。

昨日、病院の待合室で、別のヤツから聞いた。いいヤツだったんだ、ヤツとは3年以上前から知りあった。病院で、かなりうるさくて落ち着きのない、問題児。でも働こうと必死で、職については離れて、って何度かしていたのを記憶している。
そいつは当時から、1人の女の子と付き合ったり別れたりしていて、その女の子は私の友達だ、2年前には病院でベッドがとなりで、カーテンもひかずに話し込んだ。その子は今、ちょうど違う病棟に入院している。

ヤツは、優しいヤツだった。
私とYのことを、当初から知っていた。私がYに殴られているのに気がついた始めての部外者だ。3年前の9月、Yに殴られた翌日に通勤するとき、Y家からのバスでたまたま遭遇した。私は転んだんだと言ったがしつこかったなぁ。殴られたんだろう、別れろよ、って、人ごとなのに本気で心配してきた。それから、たまに、本当にたまに電話があった。ただ、元気か、どうしている、Yとはまだつながっているのか、気をつけて。それだけの30秒近い電話。
それは、実は先月まで続いてた。2ヶ月に1回だったり、ほんのたまにだけども夜逃げ期間中も電話くれた。
病院で会えば、誰に対しても、人の心配をまずするヤツだった。お調子者で軽くて、フラフラ~って感じなのに、そういうわけでみんなから、呆れられつつも好感を持たれてた。

彼女・・・いや、元彼女で「腐れ縁」の子、今一緒にいる。受け入れていない、思い出話ばかりで、「本当に死んじゃったのかなぁ」って。私が今の情報のない宙ぶらりん状態で大丈夫か聞いた。真偽を知らなくて平気かと。
彼女は言う「生きてて欲しい、生きてて欲しい、また来るはず」。

無理もない。

今自分がYに死なれたら。
私の場合は、死んでも真偽を確かめに行く。葬式を見て、遺体を見て。それからからしか、受け入れられない。
最近奥さんがなくなった友達に聴いた、どう受け入れたかと。遺体を見つけてお骨を収めるまで終えても、まだ受け入れるのには時間がかかったと。

彼女は、その準備をできていない。まだできなくて当然。

おいSさん、なに死んでるんだよ。彼女を残して孤独で死ぬな。
ただ、私を心配してくれてありがとう。
だから、こんどは私が少しだけでも彼女を心配してみます。

さよなら。
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死ぬかと思った。
いや、死のうと思ってたくせに死ぬかと思ったってのも変な話か笑

6日ブログを予約更新した後。
何かあった場合にはブログを消せるよう、人に頼んでいざ決行。

Y家にベランダ侵入。朝4時。
Yは驚いただけで、じゃあ俺は起きちゃったしタバコ買いに行く、と家を出る。
ラッキー。
その間に、飲んだ。
量はたいしたことない、ただし最強クラスの粉末睡眠薬を含む。

Yだからよかった。あいつにとっては私など「なんてことない」もの。
Yは私がどれだけ寝ようが構わない。

流石に異変に感じたんだろうか、連絡され、搬送され、処置開始されたのは28時間後。
肺栓塞症、身体中に血栓のできる疑い。ってことでICU。

あ、電池がなくなるw
とにかく、生きて更新続けます。

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私は2週間くらい前に、自殺するのは人へのあてつけだみたいなことを書いた。だから、死ぬときの遺書みたいなのには、うらみつらみ書いてやる、って、いきがってた笑
でも、やっぱ私にはそれはできないっぽい。やっぱ、私は芯からいい子なんだなぁ、と、いまさら実感。もっと早くそれに気がつけば、楽だったかもしれなかったのに、なぁ。
書きたいことは山ほどある。今どこにいるかとか、これから何をするかとか、今何の音楽を聴いていて、それがどれだけ最高かとか。でも、そんなことをうだうだ書くのは、最後にふさわしくない。

楽しかった、全体的に。ありがとう、ってのは変かもしれない、でも私は今までかかわった人がいとおしいと、本気で思う瞬間、たくさんあった。だからやはり、ありがとう、だね。

オトン、オカン、アニ。お父さんとお母さんは、努力の人で、自分の力ですべてを切り開いてきて、なのにいつも謙虚なすばらしい方だ。私にはもったいないほどの親で、なのに私をいつでも自由に生きさせてくれた。アニとは正直正反対の性格で、相容れないことばかりだったけれど、私のことを少しは考えていたことは、知っている。アニの生き方は、うらやましかった、いつまでも、超えられない人間がいるとしたら、アニだ。

じーさん、月曜日、必ず来いっていうのにいけなくてすんません。それまで変なことするなよ、って約束させられたけど、今からすることは決して変なことじゃないよ。私が、するべくしてすることだ、だから、これでいいんだよ。もう、6年くらいになる、ありがとうございました。

H大学文学部心理学科1年のみんな。マジで楽しかった。実験も、授業も、休み時間も、全部楽しかった。自然に学校が楽しくて、自分の通っている学校、学科を自慢に思える経験は初めてだった。

ウェーブのみなさん。2年前から参加して、1年少し前からスタッフになった。正直、私は完全な躁うつ病ではないかもしれなくて、だから病気に関してはみなさんの意見や気持ちがわからないことも多々ありました。でも、私はウェーブで、人としてっつうか、先輩みたいな人とたくさん会えて、いろんな生きかたに触れられた。私にとっちゃ、ウェーブはそっちの存在意義がでかかった。
千葉オフのみなさんも同様。バックグラウンドさまざまで、歳も違う、だけど「仲間」って言ってくれる方がたくさんいたことはでかいことだった。

ヌマ病院のみんな、私は、あそこは確かにめっちゃな病院だけど、でもそこでであったみなさんが、私に前に進むきっかけを与えてくれた。みんなも、少しずつでも前に進もうとしてるの、少しはわかる。簡単なことは言えない、でも、きっとうまくいく・・・いや、うまく行くべきだ。だって、みんなあったかいから、そういうやつらこそ、幸せに生きれるべきだ。

あとは個人的に、だ。

ぽん ライン、ありがとう。うれしかった、まぁ、私はその半分も覚えていないけれど、でもきっと、ぽんが覚えてない些細なことを、私は覚えている。11年も結構密な友人関係が続いたのは、ぽんだからだ。マジな友達、だ。ありがとう。

りささん 本気で私のことを考えてくれたこと、感謝してる。私のためではなく、りささん自身のためだったのかもしれないけれど、りささん自身の「大切なもの」のなかに奇跡的にも私が含まれていたことは、信じられないほどに新鮮でうれしいことだった。

Mr.D おっしゃるとおり、「安らかに眠る」よ。最初は、お前に対して悔しい気持ちでいっぱいだった。見透かされてることや、私のできなさ加減が露呈すること、悔しくて、でもそれは気持ちのいい悔しさだった。だからこそ、がんばろうと思えた、でも、やっぱ私は弱かったです。でもね、一瞬だけでも、がんばる原動力をくれてありがとう。

Y ちゃんと生きろよ、って言ったら、ちゃんとした生き方ってなんだよ、って言ってたよな。確かに、言うとおり。私も、ちゃんとした生き方は知らないし、できなかった。でも、ゆうちゃんには、なんか「ちゃんと」生きてほしいと思うわw ってまぁ、お前の未来なんか、どうでもいいか。それよりも、今まで利用して悪かった。だけどね、私はゆうちゃんの、私へのかかわり方がとても心地よかった。生まれてはじめて、一緒にいて私が素の自分でいられる相手だった。昔、私がいなくなったら3日で忘れると言っていた。2日間は泣くんだっけ?
それでいいよ。とにかく、お前はすぐ調子こくから意地でも言わなかったけれど、この3年間、ずっと好きでした。ありがとう。

ってな調子!今は、2014年7月6日、午前1時34分。ネットカフェから。
3日後の投稿設定にするわ。どうなることか笑
でも、いちおう挨拶だけはしておこう。

ありがとう。きっと、誰もの生が、よくなっていくと信じている。誰もが平等な、公平な、各々の幸せをつかめる日がくることを、信じている。

大丈夫。

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水曜日、通院して診察だけ受けた。入院後始めての診察で、じーさんに結構本当のことを言った。じーさんは、30分以上かけて私に話をしてくれた。単純に「疲れだ」とかの話ではない、つっこんだ話だった。そのあと、その病院に入院中の人生大変なことになってるヤツに、面会に行った。

午後から学校だったんで早々に病院を後にした、病院からのバスの中で、ネットのクスリ屋さんにメールを出した。在庫を確認。
学校に着く。午後から3限分の授業、普通に受けるには精神が持たない、さっき処方されたフルニトラゼパムを2ミリ飲む。眠剤。フラっとしながらの授業。
メールが帰ってきた。まぁまぁ、思った通りの量は手に入りそうだ、80%くらいの確率で死ぬだろう量と、そんな薬。売ってるほうの入手経路も気になったけどそこは知らないふりをするのがスジだ。
3万円と少し分、手渡しで、都内で、明日の夜。取引は成立、あぁやっとだ。こんどこそ。

学校帰りにまたロヒプノールを飲んだ。帰って知り合いと電話した。漏らしてしまった明日、これを買うと。自分の「生きる保険」に買うけどすぐ使うこと、漏らしてしまった。
でも少しの良心に期待した。だから次の日会おうと言う誘いに乗った。喫茶店で話したが内容など覚えてない、もうどうでもよかった、だからこそやろうとしていることを話してしまった。これが全ての失敗だった。
夜、受け渡し場所に行った、その人も一緒に来たが、立ち会わせはしなかった、一応違法行為だしね。金と引き換えに、痛みのない死を買った、少し酒を飲んだ。
店をでて、一緒に来た知り合いを撒こうと思った、でも私にも良心はあった。こんなに混んでるわけわからん街、私が逃げたらその人は私をずっとさがすハメになる。それは危ないし、精神的にも疲れることだ、そう思って一緒に帰ることにした。

今買ったばかりの薬を奪われた。一瞬見失ったがどこにいるかどうするかくらい、容易に想像がついた。私はそいつが私のクスリを処分するのを、半径1メートル以内の場所で「聴いて」いた。彼女が懸命に捨てていることは音で分かった。
怒り?諦め、虚しさ、全てが襲って来た。
路地でその人を蹴って殴った。暴力をこちらから振るったのは数年ぶり。その後、何か話したが覚えていない。

その12時間後、私は普通に学校の教室に座っていた。来週の試験やレポートについてみんなで愚痴った。笑うこともぜんぜん可能、ただしロヒプノール入りで。気づかれない。
勉強や課題をしていれば忘れられた。日曜日は夜勤。この1週間、退院してから一度もベッドで寝ていない。床。風呂に入る気力はなくなった、朝、まだ死のうと思わなければシャワーをあびる。最近は5時に目が覚める。
メシはあまり食えない。軽いお菓子か麺類。痩せる。

今電車、あと20分後に授業が始まる。ロヒを入れなければ。
さっきじじいに電話した。病院は当直明けでもう出るらしい、月曜日に必ず来い、それまで何もしないと約束しろと言われた。
はいはいわかったよ、と答えたが守る気はない。

さぁ、どうしようか。ボナソは26階立てだ。

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もう、何言っても無駄だ。
全部、いいわけ。 
全部、弱さ。
全部、「いい歳こいて、何言ってんだクソが」
全部、惨め。

なら、一人でかいけつするっきゃないっしょ。
最低な解決の仕方だけどね。

助けて、とかマジでかっこわるい。死んでも言わない。
じゃあ、死のうか

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