Take it EZ! セカンドダンジョン

先週の木曜から,親知らず付近に細菌が入ったのか,信じられないほど痛くて腫れてロキソニンがぶ飲みして,日曜日あたりに治ったと思ったら月曜日くらいから左目が結膜炎になりやがってアイメイクができずに外に出るのも恥ずかしい私です。
まあ,そんな中一昨日はゼミで卒論計画のプレゼンしてきたけどな!上下メタファーの心理学的実験という,誰得研究だけどな!

私は今,個人情報の関係で詳しくは言えないのだけど,精神障害者の支援のバイトをしている。
昨日の,っていうか毎週水曜朝の任務は,精神+ものすごく経度な知的をもった,30代女性を日中活動に行くように仕向けることだった。
その任務がはじまって4ヶ月間,たいてい彼女はなにかしらの理由をつけて行きたくないとごねた。私はあの手この手をつかって,送り出していたので,今のところほぼ皆勤である。

しかし,最近,活動の日数が少なすぎるために行政から何か言われたらしく,少し活動を増やした。そうしたら,彼女の行きたくない度合いが増した。
彼女は,ホームを出てしまえば,基本的に苦もなく行くし,やってこられる。しかし,なかなか出ようとしない。
笑いながら,だって行きたくない,なんで行きたくないのに行かなきゃいけないの?◯◯さん(高齢)は短い時間しか行ってないのに私だけ大変なのは許せない(実際総時間にすると彼女のほうが少ない),私が行きたくないと言えば行かなくていいのではないの,私はこういう病気なのだから。私はなにもしたくないの!
そればかりだった。

ただ,彼女の希望は実家で暮らすこと。しかし,彼女の保護者の希望は,作業所や施設で毎日活動し,町でブラブラするだけの生活を辞めて欲しいこと,お金の管理をしっかりできること,であった。なので,今彼女が自分の希望をかなえるためにやるべきことは,少しでも昼間に活動を行うことだ。

私は,精神障害者が障害者のレールに乗って,やれデイケアだ,ステップアップしてB型だ,A型だ,就労移行だ,障害者雇用がゴール!みたいな風潮が嫌いだ。だから,正直,日中活動にいかねばならない積極的な理由を言うことはできない。

しかし,彼女が自分の目的を果たすためには,少し我慢してでも,ご両親を納得させるための行動が必要だ。なのに,彼女は自分の目先の欲望を優先し,それなのにほしいものだけ手に入れようとしていた。たしかに,彼女は,◯◯をすることで☓☓につながる,だから◯◯をがんばろう,という二段階思考は苦手だ。口は達者だけど笑

それでも,いつかわかるかな,と思って数ヶ月,私は彼女に懇々とその旨を説いてきた。
でも,昨日は手ごわかった。そして彼女は,私の一番キライなことを言った。
「私は障害があるんだ,だから皆とはちがって,私がやりたくない,といえばやらなくてもいいんだ」

流石に,切れてしまった。そして私は,一番言っていけないことを言った。
仕方ないじゃねえだろ,私だって障害あるわ,9年経ってやっと,今みたいに働けてるんだよ,薬だってあんたより服薬してお金もなくて,毎日毎日死にたいと思いながら,それでも通勤通学してんだよ
自分だけ辛いと思ってんじゃねえ。こんな言い争いはしたくないんだよ!

そうすると彼女は言った。
言い争いなんて言うなら私は(私の)上司に言いますよ,私にどうしても行けというならうらさんが(職を)辞めてください。

あまりにもムカついたので更に私は言った。
勝手にチクってください。私のクビなんてどうだっていい。それよりはあなたが望む通りご両親と暮らせるように,思ったとおりに生きて行けるようになることのほうが,私にとっても大切なんですよ!

さすがに彼女もだまった。だまって,行った。

何をやっているんだろう,と思った。
なんで私は彼女と私を比べてしまったのだろう。たしかにどんな障害があるとは言え,この件に関しては彼女の甘えの部分を否定することはできない。はっきりと,私は何もしたくない(遊びは大好き),と言った。そして自分に言い訳をし,自分の欲だけは主張し,それを障害のせいにした。それは,もはや人格の問題でもある。
でも,彼女は彼女なりの苦しみの末に,そのような生き方を選ばざるを得なかったはずだ。
そこを聞かずに,ただ私の勝手な思い込みで彼女と私を比べ,責めた。私の障害について,しゃべってしまった。障害の質は人それぞれなのに,比べてしまった。

泣きたくなった。最低だ。何をしているんだろう。
職員ではない。ピアですらない。
現場で働ける人間ではないし,研究だってこんな考えの私では上手く行くはずがない。
私は,ただ多くの人が,孤独や自己偏見を軽減できて,よりよく生きられることを望んでいるだけだ。でも,彼女の「よりよい生き方」が,「なにもせず,帰れないと文句をいいつつも遊ぶ」ことだったら?のらりくらりと行政の勧めをかわしてそうやって生きるのも1つの生き方だったら?
施設の方針はもちろん,活動をすることだ。でも,私はそれだけが人々の人生ではないことを知っている。

だから,昨日の対応は最悪だった。
そして,そんな思いが自分にあることに,心底がっかりした。
この分野に,私はいるべきではないのかもしれない。

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なーんかやる気がおきない私です。
一応、最低限だけはやっているのだけど、なんかね...生きている実感がわかないよね...

ここ数回、精神障害に関連することを書いてきている。
私は孤独が、精神障害者をよけいに蝕み、最悪の場合、死に至らしめているのだと思っている。

最近、「孤独力」という言葉を聴いた。何かの本のタイトルで使われていて、聞くようになったのだと思う。
私は、そこで言う孤独力、には納得した。
この孤独力、というのは、だれかとつるむまねば生きていけないとかSNS依存とか、見かけのつながりにたよらずとも生きていける力、というものだと私は解釈した。
常に人といっしょにいなければ「恥ずかしい」「寂しい」。人に囲まれて人と同じことして、が心地よい、そんな人は孤独力がないと言えて、それでは何かに躓いたとき、または老年期に差し掛かった時、困るよね、だから一人でも平気だと強がりでなく言える生き方をしようか、みたいな感じかな。

孤独力には、自尊感情が関わっている。自尊感情が高く保たれている人ほど、平常時は一人でも大丈夫であり、人との本物のつながりを築けている。
逆に自尊感情の低い人ほど、人がそばにいなければ不安になったり、一人では何もできない無力感に襲われたり、何かの役を失うと一気にしぼんだり荒れたりする。
自尊感情を育て、孤独力をつけよう、ということだ。

でも、私が精神障害者に対して思う、「孤独」はそれとは違う。
自分は孤独が好きだから、一人でも大丈夫です、っていう精神障害者を知っている。私はその人を、心から哀れだと思っている。孤独が好きで自分から一人でいる人間はあなたみたいな表情はしない、と思う。
はっきり言って、言い訳、負け惜しみ、強がりであると思った。孤独や寂しさがあなたを蝕んでいなければ、もっと前を向いて歩けるはずだ、と思った。

孤独でもいい、という精神障害者は本物のつながりを欠いていることがよくあるように思う。
根底には、どうせ分かってくれない、だれかとつながるなんて、後で痛むからいやだ、だったら一人の方がマシだ、という気持がある。もし、本当に孤独でいいなら、なんであなた自助会に来ているのですか、なんであなた、一人になると病むのですか?と聞いてみたいことが多々ある。つながりを諦めた人々。

逆に、つながりを切望する人がいる。自分の孤独を知り、分かり合える者を探す人。
私はこのような人を「孤独力が低い」とは決して思わない。彼らは、本当に分かり合える人から力を得て、自尊感情を回復させるだろうと思うからだ。
本当に分かり合える人から認められ、自分も人の役に立ったとき、自分の価値を認め、自尊感情が高まる、そして、孤独力が高まる。
だから、本当の意味でのつながりに飢えて切望し、行動を起こす人間は、自分に正直だと思う。

私は、自分のまわりでものすごく孤独力が高い人は、例の人だと思う。
2年半の間、つるまず、人にひるまず、一人でも自分を見失わず、堂々としている。元々、自尊感情が正常に高い人なのだと思う。私は例の人を見て、学んだ。
私は孤独力が低く、つながりを切望した。切望の仕方が間違っていて、人を傷つけるくらい、求めていたら、いつの間にか、本当の意味で孤独ではなくなっていた。
自分は一部の人と、離れていようがつながっているし、自分の何かを与えることができる人がいる、そしてその人びとは私に何かを与える、と分かっているからだ。

それがない人は、多分病む。
病んでいてそれがない人は蝕まれるし、求めている最中の人は苦しんでいるのかもしれない。
でも、求めて行動すればいつか、本当の意味でつながれる人は見つかるはずだし、それによって心持ちもかわるだろう。
求めて行動している人を、受け止められる「孤独力の高い」人が、少しでも増えればよい。

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謎の過眠がようやく収まってきて昨日からはなんとかいつもの生活に戻りつつある私です。仕方がないのでゼミの発表準備やら英語の勉強やらを再開。院試の書類等必要なものリストに目を通したり。やることは少ないけれどそれぞれの重量があるので疲れます。

私がこれ以降やりたい、やろう、と思っていることは精神障害者のサポートの仕事だ。今も、バイトで精神障害者の支援をしている。当事者としては、当事者会のスタッフをしている。もちろんこの経験も重要だけれど、私はもっと勉強して専門性を身に着けたい。当事者目線だけでなく、地域の人の目線、強い偏見を持つ人の目線、支援者の目線、様々な視点から私達をとりまく現状を見たいと思っている。そのために、様々な文献や資料を当たったり、機関のHPを見たりするだけでなく、実際に現場に潜入してみることも、さりげなく笑、していきたいと思っている。

こう思うようになったのは、9年間通っている病院で、様々思うところがあったからだ。
その病院は、慢性的な精神病患者が多く、病院ができてから10数年間ずっと入院している、いわゆる「長期の社会的入院」を多くかかえている。また、結構重度な患者や錯乱中の患者も多い。薬物・アルコール等による影響がもろにあるよね、っていう患者も多い。冗談抜きで、「生気がない」人たちがわんさかいる。これが偏見に満ちた見方だとは分かっているけれど、どう見たってそうなんだ。病院は、昔ながらの精神科らしく、市の端っこ、不便で静かで、開発が遅れてます感満載のところに立っている。

多分、都市に出て当事者会に参加できたり、大手の(?)就労移行とか民間の支援に積極的につながり、社会復帰を目指す人で、都内のビルのキレイなメンクリしか知らない障害者は、驚くだろう。でも、このクソ病院みたいな場所にいる人々こそが、私が本当に見たい、つながりたい、何かをしたい、場所なんだ。

一例。
70歳のおじいさん。私が19歳のとき、63歳だった。彼は、20代からどこかの精神科に入院し、約40年、精神科にいる。アルコール依存症だ。学歴は高いが、大学在学中にアイドルのおっかけをはじめてから、人生がおかしくなった、と言う。今は、腰をいためて車椅子生活になり、一人では外に出られないけれど、毎日かならず朝日新聞と文芸雑誌に目を通す。自分のことをインテリだと言い、19歳のときに病院の患者のなかではある程度しっかりしていた私によく話しかけてきた。散歩もたくさんしたし、毎日話した。あれから7年経って、信じられないほどに歳を取ってしまった...と、思う。
なのに、彼は一年に3回ほど私に手紙をくれる。どこから住所を入手したかしらないけど笑 
ミミズがはったような文字、というのを初めて見た。そんな字で、私との思い出を書いているんだ。身体が老化して、多分このまま精神科で一生を過ごすであろうおじいさん。それでもインテリのプライドは持ち続け、高尚な手紙を書こうとしている。
狂っていると思う。でも、どこまでも人間らしいと思う。

40代後半で亡くなったおっさん。
彼は確か、シンナー中毒からのアルコール依存症、統合失調症併発?みたいな、世の中からしたら詰んでいる男。多分、昔はオラオラ系だったのか、まだそんな雰囲気はあった。私が21のとき、3回目の入院でいっしょだった
、よく絡んできた。ときおり、過去の話をしていた。自衛隊にいたと言っていた。訓練の話を、なつかしそうにしていたことは覚えている。
その後、私も彼も退院した。私が5回目に入院したとき、どこからその情報を聞きつけたか、病棟に電話をしてきたらしいが、私はそいつの名前を忘れていたので電話を取ることができなかった。
その一年後、亡くなった。私を心配してくれていたことは、別の、これまたとち狂った人からの手紙で知った。

40代前半のおっさん、とその彼女(奥さん)。
何かある度に、いつも私を誘ってくれる。温泉行かない?彼女が一緒に行きたいんだって。飲みに行かない?こんなイベントがあるよ。彼女の誕生日だから。この人も一緒だよ...
その、この人も相当おかしい。30代後半の兄ちゃん。現実と妄想が混ざっているが、あぶなっかしい連中とお知り合いなのは確認済み笑だ。ここまで生きてこられたのが奇跡的なのに、自分はチャンピオンだという妄想の中にいる。
40代男性の奥さんは、ここ9年で何回も就職と離職を繰り返しているらしい。

挙げればキリがない。どうしようもないって言えば、もちろんどうしようもない。
社会が見えないものに蓋、をしようとするならば真っ先に蓋をされる人たちだ。綺麗事抜きにね。

彼らは、どこか孤独で意思がないか意思が病気に奪われているか空回りしているかで、現実と折り合いがついていない。言い訳をすることもあれば、自己保身に走ることもある、逃げていると感じることもある。
でも、まだ、逃げている段階だ。自分の状況を、これは仕方ないよね、ひっそり生きよう、なんてふうに捉えていない。
こんな自分が恥ずかしいとか、社会からどう思われるかわからなくて怖い、だから今の状況を受け入れて、甘んじよう、とは、多分していないと思う。
なまじ、どこかで「まとも街道」のレールを踏み外した人のほうが、そんな自分を恥に思い自分から孤独になってそんな自分を受け入れ甘んじながら、社会の片隅で息を殺して生きているのかもしれない。それも悲しいことだが。

そんな、意思をコントロールしきれずにあがいている人々に何かをしたい、と最初は思っていた。
でもここ数年で、それが偽善じゃないかと気がついた。そして、偽善以上の問題があることに気がついた。

多分、私達が、彼らを何とかしたいと思ってすることは、「できるだけ『今の社会に適応する形で』生きさせること」になってしまうだろうと思う。おじいさんはもう落ち着いたね、じゃあ長期入院はやめましょう、老人ホームに移りしょう。おっさんたちはまだ働ける歳だから作業所から出発ね、お姉さんは就労移行からはじめようか。お兄さんはとりあえずもう一回きっちり入院して妄想とろうね、危ない人達を絡まないようにね。
うるせえ、死ね、と思う。
彼らの何を知っているんだ?何を見ているんだ?
そんな社会に適応しましょう圧力に、耐えられるとでも思ってんの?ってか、耐えるべきだとでも思ってんの、と思う。

私は、もう、あの精神科の一部の人たちはそういったコミューンで暮せばいいのではないかとすら思っている、だってそのほうが幸せかもしれないじゃん。それなら、私がそういうコミューンを作ろう、とすら思う。
でも、それは何の解決になる?
日本中に、コミューンが乱立して終わりだ。
だったら、もっと根本から考え方を変えなければならない。世の中のスタンダードから外れてもべつに生きていけるような考え方を、一部にでもいいから根付かせないとならない。


それを、とってもオブラートに包んで。
精神障害者どうしのサポートを研究したいです、と言う。本当はそんなきれいなものではない。
ただ、私が好きな一部の人々が、生きやすくなればそれでいいという発想と、わけわかんない世界でわけわかんない苦労を強いられる私自身のためだけに、てっとりばやく言えば、ただの恨みの解消として、これからの人生を使おうと思っている。

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謎の過眠が続いてる私です。
6月は心身ともにたいてい調子悪くなる時期なので、最近はほんっとに何もしないで欲求のままに寝てます勉強絶賛滞り中w

自己開示について考えている。
最近、セルフスティグマに関する論文を読んだこと、ツイッターでリツイートされてきたブログの内容に考えさせられたこと、がきっかけかな。きっかけとなったブログは私と同じ年くらいで発達障害を持ったアーティスト兼モデル兼なんちゃら、みたいな人のものだが、名前は忘れたorz

そのブログの内容は、彼女の元に届く相談に彼女が答える、というもので、今回の相談者は精神疾患を持っているという方だったのだけど。正直、彼女、相談の回答になってんだかなってないんだかわからない文章で回答していて、何が言いたいんだかイマイチわからなかったので、内容自体はどうでもよいのだが...ってかその子も相談内容については二の次みたいな感じだったので。
で、相談内容よりも彼女が力説していたのは、自己紹介で精神疾患のことを言うのはクズ(?)、だということであった。そもそもタイトル自体がそうなってたからね笑 

彼女がどういう意図でそう言っているのかも、読解力のない私にはイマイチ理解できなかったので(多分彼女の文章と私の理解の仕方が合わないのだろうと思うが)、それは置いておいて。「自己紹介で精神疾患のことを言う」こと、つまり自己開示について、私はどう思っているかについて、考えてみた。

自己開示をするかしないか、というのには大きく2つの要因に左右されると思う。
1つは、自己開示をすることによって、実質的な不利益が生じてしまうこと。会社辞めさせられるとか異動させられるとか。親しい人に迷惑がかかるとか。
もう1つは、セルフ・スティグマによるものだ。

セルフ・スティグマは、人々が社会からの偏見やネガティブな態度を内在化してしまったときに起こるものだそうだ。
てっとりばやく言うと、自分が精神障害者だとして、社会が持つステレオタイプを自身にあてはめてその通りだと考え、自身を偏見の目で見てしまい、精神的によくない結果をもたらす、といったところだろうか。
セルフ・スティグマが内在化されるのには4段階あって、1段階目は例えば「社会は精神障害者は弱いと思っている」ということに気がつく、という段階。2段階目は、「確かに、そうだ。精神障害者は弱いんだ」と、それを認めてしまう段階。3段階目は、「私は精神障害者だから、弱いのだ」と受け入れてしまう段階。そして最終段階は、「私は弱いので、価値がないし何もできない」と感じてしまう段階だ。最終段階は、精神的に有害だ。

セルフ・スティグマに向かい合うためには、まず「開示する」ということが有効であるらしい。
しかし、「開示」することが良い場合ばかりではなく、リスキーな場合もあるわけで、だから人々が自己開示するかどうかは「する」「しない」の2種類だけどは言い切れず、大きく5つの開示方法(戦略)にわけられる、と言う。

1つは、社会を避けることで開示をしないで済むようにする、という方法。この人々は基本的に偏見にさらされそうな場を避けているが、同じ障害を抱え、お互いに傷つけることのない場では、開示する可能性がある。
2つ目は、社会を避けることはしないが、そもそも誰にも打ち明けない、という方法。
3つ目は、場や人を選んで開示する方法。彼らは、開示する相手と開示しない相手を分け、開示によって自分が嫌な思いをすると見なした場所では開示しない、というやり方を取る。
4つ目は、まったく隠さないこと。つまり、誰にでも開示するという人々のこと。彼らはそもそも、開示をすることで社会からネガティブな扱いを受けていることを、大したことだと思っていない可能性がある。
5つ目が、自分の経験を公にすることで、障害についての理解を促進させること。このことで、自身の障害そのものや偏見に対しての力をより強く持てるようになる。

多分、多くの人は、1つ目か3つ目の方法を取っていると思う。私は、明らかに3つ目の方略を取っている。
偏見を恐れて社会との関わりを小さくする、ということはしていない。だけど、学校やバイト先では、偏見の目で見られることが嫌だしめんどうだから、言わないけれどネット上とか当事者会とか、言ったほうがいろいろスムーズに行く場や傷つかない場所では言う、っていうスタンス。

ただ、私の方法では、セルフ・スティグマを感じずには済むけれど、だからといって内在化されてしまったものは軽減してはいない。
もちろん個人的にセルフ・スティグマを軽減させるには、そういったプログラムを受けるとか、セルフ・ヘルプグループへの参加とか、当事者同士の友人関係でも可能だと思う。

だけど、もっとも基本に立ち返れば、セルフ・スティグマを持ってしまうのは、社会的なスティグマの強さが原因だ。そして社会的なスティグマを取り除くためには、持たれる側と持つ側の適切な関わり合いが必要なんだ。
ということは、セルフ・スティグマへの向き合い方としては、5つ目の「自分の経験を公にすることで、障害についての理解を促進させること」が必要になる。社会のスティグマに気がついた上で、「自分はこういった経験をしているし、この障害はこれこれの性質を持っているが、決して甘えているとか弱いというわけではない」と知らせて行くといった、能動的関わりが重要になるのだろう。

私は、たまに今の自分の位置がとても嫌になることがある。
クローズで精神障害者の支援のバイトをしていたり、これからやりたいことをやる上でも、自己開示はしない予定だ。今書いた、社会のスティグマが、大きく関わってきている内容のことをやりたいのに、そんな私が開示しない。社会と向き合うには、こちらから適応するだけでは足りなくて、どちらからも能動的に関わる必要がある、と思うくせに、主張したいくせに、自分はひた隠し。
力を持ってから開示しよう、っていう言い訳で、本当は力を持つために必要な要素である「開示」をしない。

冒頭の、「自己紹介で精神疾患のことを言うヤツはクズだ」論に戻る。
社会に適応するためには、言わないほうがいい、「分かってほしい気を使って欲しい」というのは甘え、という論調。
では、なぜこちらが社会に適応しなければならない?我々が社会に適応する努力をしている間、社会はこちらを理解しようとしているのか。
努力とは、「偏見が多くある社会に、偏見を持たれずに人並みに過ごすため」の努力でいいのか。

私は、「偏見が多くある社会に少しでも発信し、能動的にアプローチする。」努力でありたいと思う。だから、その意味での自己開示なら、大賛成である。

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ズドーンとなってます。ゾンビみたいになってる私です。

そろそろかなーと思ってたら昨日生理が来た。私は生理前3日くらいと始まって3日はとにかく調子が悪い。
身体に出る症状は,腹痛,だるさ,肌荒れ,精神的に出るのはイライラ,絶望感,恐怖感,私なんかだめだ感笑,等々。

恐怖感というのは,夜部屋にいて例の人が眠ってしまうと,ベランダから誰か入ってくるんじゃないかとか,今すぐ地震が起こるのではないかとか,先月はミサイルが飛んで来るんじゃないかとか,ありえなくもないことばかり(怖い)考えてしまう。
絶望感はアレだ,まだ受けてもいないのに,あー院試落ちた。落ちた落ちた,と思ってしまうとか。それに伴って,どーせ私はダメ人間ですよ,何やってもダメですよええ,みたいに自己肯定感が急落してしまうとか。
イライラについては,外で人とすれ違う度に「死ね」「死ね」「死ねばいいのに」と繰り返すことで少し解消してます。
そんな私が死ねばいいのに。

生理前と生理中は,特に理由がないのに精神的に不安定になり,そんな不安定な自分が嫌になる。
加えて,1.5キロくらい体重が増加しむくむことでパンツが入らなくてイラ度上昇。まあ体重は生理が始まった日にはストンと戻るのだけど。肌荒れで外出たくない。
集中できない,わーってなる,余裕を持てない,話したくない,寝ていたい...みたいなね。

そんなんで,日曜日は本当ブルー以下の精神状態でバイトに行ったけど不安定すぎてワイパックス飲んでごまかしてなんとかやりすごす。昨日はちょうどよくすべておやすみの日だったので,家でやるべきだけ片付けて後はあーーーってなってた。夜なんて,さっさと寝ればいいのに,服薬とハミガキとトイレをどの順番でどうやればよいかわからなくなって狭い部屋の一部をゾンビみたいになってうろうろまわってた。月一恒例行事なので例の人は慣れたのかもしれない,スルーされた。

今日はこれまたちょうどよくゼミが休校だったので学校からはやめに帰ってこれてる。夕飯作ったし洗濯したし,授業出たし自習もしてきたし,やるべき最低限はやった。
明日あたりでこんな精神状態も一度落ち着くのではないかと思うので,朝からバイトだけどがんばります。
腹巻きと靴下必須で寝よう。

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