Take it EZ! セカンドダンジョン

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65年,ストーンズはサティスファクションで大成功を収める。これは,ジャガー=リチャーズによるもので,実験的なものであったとされているが,すでに疎外感と劣等感を感じていたブライアンにとっては,この成功はある意味で精神的な打撃となった。
この年にブライアンは,リンダと別れて,アニタ・パレンバーグと交際するようになった(アニタは今年の6月ごろ,亡くなった)。アニタは,彼女なりの強烈な独創性を持っていて,そして精神的にはブライアンよりもずっとタフな人間だったようだ。後に,ブライアンと付き合っている最中でキースとできちゃうわけだし...これについてはブライアンも悪いと思うけど。

66年のアフターマスでは,昨日書いた通り,ブライアンの楽器が光る。でも,ブライアンはそのレコーディングに真面目に参加しなかった。遅れてくる,すっぽかす,かと思えば驚くほどの演奏を始める。
きっと,ストーンズの中でミックとキースが主導権と存在感を大きく得た中で,ブライアンは居場所を失い,どうしていいかわからなかった,矛盾していたんだと思う。
音楽を愛していて自分のやりたい,出したい音を出すためには本気で取り組みたい,でも,その曲はジャガー=リチャーズによるものだ...っていう葛藤。そんな中で,「ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ」としてのスター性を持ち続けなければならない重圧,重圧なのに,スターでありたいともどこかで思っているという矛盾。

そんな精神状態で生きていれば,それで時期が60年代で,金があるって条件が揃ってるならなら当たり前のことだと思うけれど,ブライアンもドラッグをやった。アンフェタミン,バルビツール酸塩系(笑),を酒と一緒に飲むっていうことをやっていたようだ。LSDとかヘロインはどうだったんだろ?と思うけど,アンフェタミンや睡眠鎮静剤系が好きだったとはシンパシーを感じざるをえないと思わない?

例えば,67年のヴェルヴェッツの「ヘロイン」,68年「シスターレイ」あたりはヘロインの産物だと考えると,人それぞれ,好みがあるんだなぁ,と思う。ルーとかニコはヘロイン派だったわけで,でも同じ27クラブでも時代が違えば,ジム・モリソンは酒で崩壊したようだし。

話が逸れた。
ブライアンは,モロッコが好きだった。65年にリンダと行った後,何度も訪れていたらしい。民族楽器とそのリズム,衣服・装飾品に魅せられていた。
しかし,67年のモロッコ旅行はが,決定的にブライアンを崩壊させた(と思う)。
キースとアニタとあと誰かと4人でモロッコに行った際,ブライアンが体調を崩して入院する。その間に,旅を続けたキースとアニタが関係を持った。アニタがブライアンのところに戻った後,関係性に勘付いた彼はアニタを殴るようになって,更にマラケシュのホテルでは現地女性を呼んでアニタと行為させようとして,次の朝,キースとアニタはブライアンのもとから逃げ出した,とされている。
そもそも,モロッコへ旅行しようとした発端は,ストーンズが薬物疑惑で騒がれたためにロンドンから逃れるためのものだった。なのに,そこでアニタを取られるという失態,その後,傷つきながらロンドンに帰ってきて,今度は自分が薬物で逮捕されるという悪循環。

そんなブライアンの精神状態を表す記録がある。ブライアンは何度か入院していて,精神治療を受けていて,そのこともあってか,裁判では精神科医からの意見書のようなものも出ている。そのレポートが,ブライアンの本質を示しているようで,すごく面白い。

以下引用 「ブライアン・ジョーンズ 孤独な反逆者の肖像」著:マンディ・アフテル 訳:玉置覚 編:鳥井賀句,シンコー・ミュージック(1983), p238
『被告人ジョーンズ氏の思考過程の中には,漠然とした不安を極度にいだいた結果起きる,自己の現実把握力の弱体化がはっきりと認められるのであります。』
『被告人は一方においては混乱をきたした,外見はおとなだが受動的で依存性の高い子供であり,もう一方ではポップス文化のアイドルであるという,2つの自己の間を揺れ動いているのであります。』引用終

68年のベガーズベンゲットのレコーディングでのブライアンはひどいものだったらしい。
来ない,来てもなにもできない,レコーディングで自分が何をすればよいかわからず不安に陥る,ということも多かったという(なのに,あのシタール,ダルシマーのキレイさ!)。ドラッグとお酒と,精神的な衰弱がひどかったせいだ。
69年,6月,有名な話だが,ミックとキースがブライアンの家を訪れて話をする。ブライアンも予想していたことで,ストーンズ側からしたら「練られた策」だったとされているが,脱退の話だった。

7月3日,ブライアンは自宅のプールで死んだ。酒に酔って,睡眠薬を飲んで(眠剤に関しては詳細と真偽は不明),プールに飛び込んで,泳いで,死んだ。彼の死の真実は分かっていないし,一部では誰それが殺した,だとかいろいろ言われているけれど,私はそこはどうでもいいと思う。
死すべくして死んだ,それだけな,気がする。

ストーンズを脱退してから死ぬまでの間の,ブライアンのエピソードがとても好きだ。ブライアンは,彼の最後の家,『くまのプーさん邸』(かつてはプーさん著者の所有物だったから)で,少々精神が回復したとき,ストーンズではない新しい音楽を始めたいと思い始めていたようだった。そんな時の彼について,古くからの友人が語ったエピソード。

『…ブライアンがどれほどステージに戻りたいか,そしてツアーに行きたいかを語った時のことを鮮明に覚えているよ。彼はしゃべりながらそのことばを強調するために,タンバリンをたたきながらすごい勢いで部屋の中を歩きまわっていたよ。ステージでやるみたいにしてね。(「ブライアン・ジョーンズ 孤独な反逆者の肖像」p286)』

想像してみる。天才な音楽家が,自身のやりたい音楽を探し求めて,バンドを組む。バンドのため,音楽のために奔走し,バンドは成功,容姿も相まって,若者のカリスマに。しかしメンバーとは上手くいかなくなり,疎外感と劣等感に苛まされ,ドラッグを使いながらなんとか精神を保ってツアーやレコーディングに参加する。彼女をメンバーに取られ,裏切られ,警察からは見せしめみたく逮捕され,ボロボロになって,それでも楽器を弾きつづけるが,その音楽を作るのは,ジャガー=リチャーズ。また劣等感を持ち,精神不安定が悪化し,ストーンズを追い出されて,それでもまだ自分の音楽を追い求めている,容姿抜群で服のセンスもいい27歳の「スター」が,自宅でタンバリンをたたきながら未来を語る。きっと興奮していたんだろう,興奮と不安と諦めと希望と,いろいろなものがごちゃ混ぜになっている。

常人離れしていて格好良すぎる。いや,人間くさすぎて格好悪すぎる。


今日は10月22日,思い入れのある日にもかかわらず,ブライアン・ジョーンズについて長々書いてしまいました笑
それでは27歳,さようなら。私は残念ながら,まだ生きよう。

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今日で, 27歳は終わりだ...あー27歳のうちに死ねなかったか!と少しがっかりしながら,27クラブの一人である,ブライアン・ジョーンズを思う。

ブライアン・ジョーンズ,69年7月3日に亡くなった,ローリング・ストーンズのメンバーでリーダーだった人間だ。
ギタリスト,とされているが,彼はあらゆる楽器をすぐに弾けるようになるという天性の素質をもっていて,ありとあらゆる楽器を使っている。

アフターマスでは特にいろいろな楽器を使っていて,「Under my Thumb(66)」ではマリンバ,「paint it black(66)」ではシタール,「Lady Jane(66)」や「I am Waiting(66)」 でダルシマー,前にこのブログでも書いた,「Mother’s Little Helper(66)」では12弦ギター(ちらっとだけど)。
ビトウィーンザバンドズのRuby Tuesday(67)でリコーダー。
ゼアサタニックマジェスティスリクエストの「2000Light Years From Home(67)」と,ベガーズバンケッドの「Jigsaw Puzzle(68)」や,シングルの「Jampin’Jack Flashe(68)」でメロトロン,同じくベガーズ〜の「Street Fighting Man(68)」でシタールとタンブーラ,遡ると,12×5の「2120 South Michigan Avenue(64)」でハーモニカ,ザ・ローリング・ストーンズの「Tell Me(64)」ではバックボーカル, シングルの「Get Off of My Cloud」では12弦ギターに加えてピアノ…等々。
(12×5と,ザ・ローリング・ストーンズはカバー曲が多いからか,ブライアンが何の楽器を弾いているか出典が少ないのと,キースと混ざるせいで,いまいちわからんところもある。)

彼は,イギリスのチェルトナムというところの中流階級以上の出。楽器もできたけど,めちゃくちゃ頭がよく(IQ135以上だとか)だったらしい。しかし,小さいころから独創的すぎて,学校でもいろいろやらかした挙句,今でいう中学時代?に女の子を妊娠させて退学。
その後は職につくも,1年に20回は転職をするというようなやる気のなさ(+適性のなさ?)のせいでうまく行かなかった。
それからはロンドンに行ってみたり帰ってきてみたりしながら,様々なクラブでプレイし,腕を磨く。その後はチェルトナムに戻ってバンドを組む。このころ,地元のガールフレンドとの間に子供が産まれ,共にロンドンへ行く(というか,ブライアンを追って彼女が後から来た)。
ロンドンに移ってからは,バンドを組む計画を立てながら,毎晩のようにクラブでプレイ。イアン・スチュワートやチャーリー・ワッツと出会う。そして,ブライアンは,彼のプレイをたまたま見て感動したミックとキースに話しかけられる。そこから,ローリング・ストーンズが結成されるに至る。

しかし,最初から上手くはいかず,62, 63年はブライアンがバンドのために奔走する日々となる。リーダーという気負いもあり,情熱もあった。
クラブで売り込み,毎晩ミックとキースと語ったり練習し,その間に契約を取るため,レコードを出すために忙しい日々を過ごした。その成果もあり,よいマネージャーと出会い(彼はブライアンが嫌いだったようだけど笑),契約も獲得し,64年にはレコードを発売,ストーンズが出るクラブにはたくさんの女の子がつめかけ,追い回される日々になる。
その間,最初の彼女とは別れ,リンダという,多分ブライアンが最も愛したであろう---アニタなのかもしれないけど私はリンダのほうが良いのではないかと....って私が決めることではないし知らん---,女性と付き合い,子供をもうける。

ローリング・ストーンズが軌道に乗ったのも,人気になったのも,ブライアンの功績が大きい。けれど,彼はそれと同時に反感を買うことが多かった。本人は悪気があってやってるつもりがなく,それどころか本気で悩んで行動していることがことごとく裏目に出てメンバーからいじられる,嫌われる。
そして,リンダとの子供のこと,ロンドン中の人気と「悪童・ローリング・ストーンズ」というイメージと自分がどうしても相反してしまうこと,彼が本当にやりたい音楽ができていないのではないかという危惧,これらから,彼は少しずつ,蝕まれていく。本当に繊細な方だったようだ。
だけど,だからと言って彼を擁護することもできない。ミックは彼が亡くなった後にもインタビューで「酷い男」ということを言っていたようだ。イアンに至っては,ブライアンなんてもう大っ嫌いの極みだったのではないかな。自分をステージから引きずり下ろした人間だから,ね(実際はブライアンはそう告げただけで,決定したのは別人)。

そして,私もブライアンに関する記録を読んでいて,この人とはさすがにプライベートで関わりたくないと思った笑 自己中,プライドは高いのに誰よりも繊細で傷つきやすく,でもそれを人に見せられない,頭が良すぎるが故に,誰が何を考えているかを勘ぐりすぎる,そして一部,自分のやりたいことのために酷いことを平気でするという,感情が欠落している部分があると思えば,それに対する自責の念も並じゃない。

ただ確かなことは,彼は確実に容姿が抜群で服のセンスが最高で,そして...彼の生き方は最高にかっこよくてかっこ悪くて切ないということだ。
今,書いたのはただの導入で,ブライアンが本格的に狂うのはこれから(65年以降)です笑
それについては次の機会に。
私の好きな曲。↓


「Hey! Think the time is right for a palace revolution
 'Cause where I live the game to play is compromise solution
 Well, then what can a poor boy do,Except to sing for a rock 'n' roll band
 'Cause in sleepy London town,There's just no place for a street fighting man...No」

「今こそ,宮廷革命の時が来ただろ。
 俺の住んでいる場所では,ゲームでもやることが,妥協案になってるんだからな。
 それで,ロックン・ロール・バンドを歌う以外に,ただの少年に何ができるっていうんだ?
 眠れるロンドンの街では,ストリート・ファイティング・マンの居場所はないんだってことだ。」

  -The Rolling Stones, 「Street Fighting Man」より


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疲れが溜まってきた...
毎日の卒論研究は,細心の注意を払いつつやるものだから,実験そのものの時間的には短くても,精神的な負荷はでかいし終わるかわからないという焦燥感が強い。特に私は効率的になにかをできる人間でもないので,いちいち時間がかかってしまい,時間は経過するしやっている「つもり」にはなっているけれど成果がでないということが多くて,自己嫌悪に飲み込まれる。

一昨日あたりから急激に死にたくなってきた。
私は今障害者手帳申請中(初診から10年目にして笑)の身なので,一応「精神障害者」ということでいいんだろう。
構ってちゃんレベルではない自殺未遂も数度しているので,死にたいという考えはいつもすぐそばにある。
この間,「55歳からのハローワーク」(いつものことだが龍さん)を読んだとき,後期中年の男性が死の方向に引きずられた記述に結構おどろいた。今まで死,というものに対してあまり考えていなかった人でも「死のう」という気持がいきなり出てくることもあるのだ,という驚きだった。それは,疲れ切ってるのに「自殺」という方法を思いつかずに,しかしいきなりホームから線路に飛び込むのに近いのかもしれないと思った。

私の場合は,確実に違う。
死のうと思う時が来るのは明らかだと思っているし,私の死因は,きっと不慮の事故とか地震とか刺されるとか撃たれるとかミサイルにやられるとかいきなり脳卒中や心筋梗塞になる以外は,多分服薬での自殺だろうと思う(大抵の人はそうか)。

前に,失敗したのは,ベゲタミンA100錠以上とラボナ50錠以上,イソミタール粉末10g以上用意したときだった。用意したものの,飲みきれなかったんだと思う。これだけの量を飲むとなると,相当の体力がいるものだけど,私はその時は酒に酔っていたし胃の内容物もそれなりにあって,入院明けで体力もなく,半分も飲む前に倒れていたのだと思う。約2日,同じ体勢で寝ていたので褥瘡ができた,でもそれで終わりだった。それから明らかに,自分の体力は激減し,精神的な何かも変わったとは思うけれど,それと死ねなかったことには関係がないと思う。

また,それをやろうかな,と考えている。多分,もうあれほどの量を手に入れることは難しいだろう。2年半前とは睡眠薬に関する規制がかなり変わってしまった。ネットでの売買は,あまりに危険なのか,ほとんどできる状態ではなくなった。
だから,実際にはかなり難しいと思う。

失敗したら,こんどこそ色々なものを失う。
2015年では,例の人とまだ同棲していなかったし,大学も1年の終わりで確固たる目標はなかった。失敗したら廃人になってもいいくらいには思っていた。
今は,失敗をすれば例の人を失う,というリスクと,大学が卒業できない,院も行けなくなる,というリスク,廃人になりたくないという余計な思いが邪魔をしている。
多分,まだ本気ではないのだろう。本気で死にたければ,リスクなど考えない。第一,失敗を考えない。
本気でない自分が,恨めしい。こんな自分は嫌だけれど,私の能力はこれ以上変わらない。能力が変わらない以上生きる上での苦しさも無意味さも変わらない。結局,最後のODから何も変わっていない。

今,できることは,きっと死ねるような用意だけだろうな。
それにしても,なぜ私が死ぬのに薬にこだわっているのかよくわからない。飛び込みでも飛び降りでも首吊りでもなんでもいいじゃないかと頭では分かっているのに,想像できるのは服薬だけだ。ベッドで死にたい。
本気ではないと言われればそれまでだけど,私は自殺であれば自分の死に方くらい自分で選びたいと思うし,そのためなら努力するつもりでもある。

この記事に関してはコメントしないでください。

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えー,書くことはたくさんあるけれど。
まずは,8月に受けて落ちた落ちた言ってた大学院入試の結果が出て,合格していました。
絶対落ちていると思っていたから,ネットの合格発表に自分の受験番号があるのが信じられず,両親や例の人にまで確認してもらいました笑。
来年から,あの研究室で,いろんな職種・立場・国籍の人々に囲まれて自分のやりたい研究ができる、そう思うととても嬉しくて,でも反面,私のようなバカがやっていけるのかどうかという不安にも駆られた。

今回の試験は英語が異常に難しくて,午前中の筆記で確実に落ちたと思っていた。だから,午後の面接は大胆になっていて,これはもう自分が今考えていること,計画していることを全部言ってこよう,と思っていた。池井戸潤の「民王」じゃないけど,「面接と演説を履き違えている」レベルで。堂々と研究計画やその意義や志望理由を述べた。おかげで,かなり内容に突っ込んだ面接になったと思うし,教授からのアドバイス等もありがたかった。ただ,それだけじゃなくて,事前に研究室の教授やOGの方とアポを取って何回かお会いして話を聞いてもらっていたのがよかったのかもしれない...


で,合格発表の翌日から昨日まで入院してました笑
ずっとじーさんに,「入院レベルで心身ともに疲労しているのだから休め!」と言われていたのだけど,院試落ちたと思っていて,だから後期や他の大学を受けなければ〜と思っていて,入院している場合ではないと突っぱねていたからね。
今回は,いつものヌマが満床ということで,別の病院は4回目の入院。トータル14回目の入院となりました。5泊6日だけどね。

入院中の1日は外出許可をもらって,他大の教授にお話を伺いに言ったり,今のゼミの先生に卒論の相談に言ったり,英語の会に行っていました(今のゼミの教授は院合格は祝福してくれたけど,卒論の実験についてはダメ出しが多くて痛かった...)。
他大の教授の私の研究計画に対するアプローチの曖昧さの指摘や,ゼミの先生のダメだしから,私はまだまだ「ていねいさ」に欠けていると痛感した。

という感じの1週間でした。

でもま!とにかく!私はがんばった!
これから,本当にやりたい・やるべき・やれる,道に進むのだ。時間がかかっても,一歩ずつ。


「ていねいになれる何かをつかんでいる人は具体的な努力ができる,そのなにかと出会えれば,目標がどんなに遠くても,近づくように少しずつ努力できる,自分にとって大切なものと,ていねいに対処できるものが一致していないといけない。」
 ー村上龍「心はあなたのもとに」より

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北海道に来ております,3泊4日。今日は最終日で札幌にいる。
今,ホテル併設の温泉・露天風呂入ってきたぁ〜すぐのぼせるから20分も入ってないけどね笑

今回,北海道に来たのは,べてるの家を見学したかったから。
べてるの家,というのは北海道の日高の方にある,浦河町,というところでもう30年以上の歴史を持つ,
当事者中心の「家」だ。
グループホーム,就労継続支援B型を運営しているのだが,それが町全体にあって,共同生活体を作っている。
私は,19歳でかなり具合が悪くなり,じーさんに「統合失調症寸前」と言われたころ,親にべてるを紹介されたことで,ここを知った。それからは,存在は知っていたけれどあまり気にしていなかった。

私が今回落ちた大学院のOGの研究者が,べてるの家とその周辺住民との関係性の論文を執筆されていて,私はその方にお会いしにいったのだが,そこでべてるのことを聞いて,受験が終わったら言ってみます!と宣言していた。
それで,もう1ヶ月以上前に,ホテルの予約と飛行機のチケットを取っていた。

浦河町は,新千歳空港からバスで4時間...しかも,その道のりのほとんどが,海と牧場(馬中心)と林ばかりでたまにまちがあります,みたいなまーっすぐな道で,一応都内の大学に通っている私としては、おぉ...って感じの4時間だった。
で,20時頃にようやく浦河につき,チェックイン。
次の朝はJアラートに叩き起こされ(浦河町は襟裳岬と近いので上空をミサイルが通過している気が..),それからべてるへ。
私は,25日にリカバリーフォーラムに行っていたのだけど,そこで,たまたまべてるの家の管理者の方とお会いできていたので,あまり緊張などはなく入り込めた。

べてるで見たこと,感じたことはもはやこの記事では書ききれない。
基本的には本当にすごい取り組みをしていて,とってもカオスででも温かく,皆の表情はよく,自由!って感じだけど,実際はかなりシステマティックで,よく考えられてプログラムが作られていると感じた。

私の場合は,べてるに「精神障害者の桃源郷」的なイメージはもともとなかった(先生の論文読んでから行ったので,初めから問題点は分かっていた)。それに,たとえばこのような取り組みが全国規模で行われることは,不可能かつ,もしやってしまったらそれは時代と逆行することになるのかもしれない,などということも感じた。
...べてるについては,また別の記事に書きます。まだまだ入手してきた書籍や参加したプログラムや,見学させてもらったことについての考察ができていないんで,ね。

ただ1つだけ,強調したいのは,私はあんな感じのカオスな状況,「誰だおまえー,病気かぁー?」なんて怒鳴られたりする嬉しさ(「もちろんですよ,頭の中がごちゃごちゃになる病気です」と答えたが),いきなり相対性理論の話をしながら私の似顔絵を書くおじいさん(すごく上手!),など,ヌマもびっくりな人々が多くいらして,それは私に1日だけの居場所を提供してくれたと思ったことだ。問題点があったりいろいろ言われても,私はべてるという場所が好きになり,また必ず行きたい,と思えた。

で,今日は朝7時前の千歳行きのバスに乗り,また4時間。それから30分電車に乗って札幌のホテルへ。
まずは,お土産!例の人が仕事の都合で来られなかったので,好きなものをたくさん送った。あ,今度2日にウェーブの例会があるのでそれにもお土産買いました。
それから,大通りの広場とか時計台とか見つつ,海鮮系の食べ放題に行き,札幌市内ぶらついてきました。

まったく,受験に合格してなんの心配もなく(卒論の心配は常にある)来られたら良かったのに,2月入試のための勉強道具を持ちつつバスではネイチャーを読みながら旅をするとは...何とも悲しいけれど,べてる訪問のおかげで力がつきました。
明日帰ってからはいつもの日常が待っている。
またやらねばならない受験勉強,卒論研究,バイト。精神的に負荷がかかりすぎて,もうまた浦河行って1年くらい暮らすかぁ?とか思いつつも,やはり自分の精神はそこではない,ヌマだ,ということをなんども言い聞かせて,明日は帰ります。

とにかく,とても良い3日間だった。
明日からのことを考えると鬱でしかないので明日からは上下の概念メタファー(卒論テーマ)のことだけ考えます。

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